第3話 今日誰もいないから
こうして俺と綾野はショッピングモールに併設された映画館にやってきた。
あのとき繋がれた手は、今も指を一つ一つ絡ませるように繋がれたまま。
「綾野は何か見たいやつある?」
「うーん……最近調べてなかったからなぁ。那波くんは?」
「俺あんまり映画見ないから分かんないんだよね」
「そっか。じゃあ、面白そうなやつ一緒に選ぼう。全く注目してなかった作品との出会いも映画の醍醐味だよ」
「そういうもの?」
「そういうものだよ。ほら、本屋さんとかで表紙とかタイトルで興味を惹かれた作品が、実際に読んで面白かったら嬉しくなるでしょ? なんか新しく開拓した感覚って言うか」
「あー、それはなんとなく分かるかも」
「ね! だからせっかくだし今日は一緒に新しい作品開拓しよ!」
俺は頷き、現在この映画館で放映されている映画のタイトルが並んでいるモニターを二人で眺める。
「あれなんかどう?」「あれも面白そう」などと話し合って結局見る作品が決まるまでおよそ十分ほどかかった。
チケットを発券し、入場が開始されるまでの時間、売店でグッズを見て回り、時間が近くなってくると、ポップコーンや飲み物を購入してからスクリーンへと向かった。
薄暗い空間に隣り合って座る二人。
明かりはスクリーンに流れる予告映像のみ。
席についてからも手は離すことなく、握られたまま。
ポップコーンは二人の間に置いてあるため、少々取りづらいが、そんなことよりもこの手を離したくない。
「まだ始まらなさそうだね」
「そうみたいだね」
「那波くん。あーん」
「……え?」
スクリーンに向けていた視線を綾野へと向けた。
薄暗い空間で、スクリーンの明かりのみに照らされている彼女。そんな彼女が頬をやや赤らめながら、繋がれていない方の手でポップコーンを一つつまみ俺へと差し出していた。
「えっと、綾野……?」
「あーんして」
「な、なんで?」
「恋人だから。ほら、あーん」
綾野が俺の方へと身をのりだし、二人の物理的距離が近くなる。
む、胸が腕に当たってるし……。
柔らかいな……。じゃなくて!
恐らくこれは、俺が食べるまで終わらないだろう。綾野の圧もどんどん強くなっている。
もちろん嫌というわけではない。
……いや、覚悟を決めよう。綾野が笑顔になれるように、ちゃんと彼氏を全うするんだ。
「あ、あーん……?」
なんとか綾野の手に触れないように、歯でポップコーンの端を咥え、食べる。
「どお?」
「……味がしない」
「そこは嘘でも美味しいって言うところでしょ?」
「お、美味しいです」
「もう、遅いでーす。でも、照れてて可愛い那波くんに特別チャンス!」
「特別?」
俺が首を傾げると、綾野は口を大きく開けて口許をとんとんと指差す。
要するに、あーんして、ということだろう。
俺はポップコーンを一つつまみ、恐る恐る綾野の前へと差し出した。
「……あーん」
「あーむ!」
「!?!?」
綾野はポップコーンを俺の指ごと口に含み、そして器用に舌でポップコーンを絡めとる。
生暖かくて、柔らかい。少し奇妙だけどそこはかとなく気持ちいい、そんな感覚。
やがて、綾野の口が俺の指から離れていく。
「ふふ、那波くんの味」
「お、俺の味……?」
「うん、美味しかった……あ、映画始まるみたい」
いつの間にか、有名な映画泥棒の映像がスクリーンに流れていた。そろそろ本編が始まる。
◆◇◆
スクリーンにはエンドロールが流れている。
内容は、独特な世界観で紡がれるファンタジーのアニメーション映画だった。
異形の怪物の侵略によって、人類は数を減らし住処を追いやられていった世界で、その怪物と命を懸けて戦う兵士である少年である主人公と、その帰りを待つ少女との恋愛ファンタジー作品。
至るところからすすり泣く声が聞こえる。
隣を見ると綾野も涙を流していた。
俺は泣けなかった。いや、面白かったんだけど、何より映画が始まる前の綾野の行動のせいで全く集中できなかったのだ。
手があの暖かさと柔らかさを忘れてくれなかったのだ。
挙げ句の果てにはこの手でポップコーンを食べたら間接キスになるのでは、と気付きポップコーンを食べることも出来なかった。
「いやー、面白かったねぇ。ね? 那波くん」
「……あ、うん。面白かった」
「そういえば、那波くん全然ポップコーン食べてなかったね」
「まあ……えっと、うん。なんか色々考えちゃって」
「……一応言うけど、あんなこと誰にでもやるわけじゃないからね? なんなら穣くんにもしたことないし」
「あ、いや。そんなことは思ってないけど……」
「そお? はしたない女とか思わなかった?」
「……うん、思ってないよ」
「思ってそーな顔。まあ、いいや。ほんとは感想会といきたいところだけど、時間もないし、次は那波くんの好きなところに連れてって?」
そうだ。そういう話だった。
今は四時すぎ。確かに感想会なるものをしたら、あっという間に解散する時間になってしまうだろう。
綾野の好きなことを全部堪能したいところだけど、仕方ない。
「本当に楽しくないかもしれないけど大丈夫?」
「うん。連れてって」
「わかった。綾野にも楽しんで貰えるように頑張るよ」
そう頷いて、俺はショッピングモール内のあるところを目指して歩を進めた。
◇◆◇
「ここは、スポーツショップ?」
俺が綾野の手を引いて連れていったのは、ショッピングモールに併設されているスポーツショップ。
「うん。俺、サッカー好きなんだよね。今は見る専だけど」
そのスポーツショップに入り、サッカーのコーナーへと歩き、やがてたどり着いた。
スパイクやボールがいくつも並んでいて、なんとなく懐かしい。
「へえ! 今はってことは昔はやってたってこと?」
「小学一年のころから中一の途中までかな。ほら、暴力沙汰起こしちゃったから退部させられちゃって」
「……そうだったんだ。好きなことやめさせられるって辛いよね」
「まあ、今はこれでよかったって思ってるんだけどね。お金もかかるし、送迎とかでお母さんに迷惑かけちゃってたし」
「でも、サッカー好きなんだよね?」
「まあ」
「……ねえ、ボール一個買ってかない? 私にサッカー教えてよ」
綾野は篭の中にたくさん入っている安物のサッカーボールをとりだし、俺に微笑んだ。
◆◇◆
俺たちは、ボールを買い、ショッピングモールを出て、綾野の家の近くの公園に来ていた。
十一月の末ということもあり、空はすっかり真っ暗。公園は月明かりと街頭に照らされているのみで、薄暗い。
「綾野は時間大丈夫なの? もう、結構暗いけど」
「うん。今お父さんが海外に出張行ってて、それにお母さんもついていってるから、実質一人暮らしみたいな感じなんだよね。そういう那波くんは大丈夫?」
「お母さんもう仕事に行ったと思うから、大丈夫」
「そっかそっか! じゃあまだまだ遊べるね」
そう言いながら綾野は買ってきたボールのビニールを剥がし、俺の足元にボールを転がした。
「へい! パスっ‼」
両手を上げ、手を振る綾野。そんな彼女の顔は、暗い公園には不相応な輝かしい笑顔。
そんな綾野の笑顔を俺が引き出せたことに喜びを噛み締めつつ、俺は綾野にインサイドでパスを出す。
こうしてしばらくパス交換。
それから綾野にボールの蹴り方をレクチャーしたりした後、ボールと荷物をベンチに置いて公園の遊具で遊ぶ。
ブランコに滑り台、シーソーなど懐かしい遊具を綾野とはしゃぎながら遊ぶ。
そうこうしている内に、いつの間にか一時間もの時間が過ぎていた。
「いやー、冬とはいえこんなに遊ぶと結構汗かいちゃうね」
「ね。こんなに動いたの久しぶり」
「私もー」
ベンチに隣り合って座り、俺は綾野の手を静かに握った。
綾野は少し驚いたような顔で俺を見て、そしてそれから微笑んだ。
「ねえ、那波くん。私の家、来ない? さっきも言ったけど、うち今日誰もいないから」
「え……?」
それは誰が聞いても分かる、誘い文句で。
確かに今日の本来の目的はそういう行為だったけども。
でも、綾野は好きでもない人とはヤりたくないと言っていたのに……。そして、綾野の好きな人は鷺沼で。
なんてごちゃごちゃ悩んでいる俺の唇に、綾野はその柔らかな唇を重ねた。
そう、キスをされた。
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