第4話 一緒に、入ろ……?

 押し付けられた綾野の柔らかな唇がゆっくりと離れていく。

 俺の唇は名残惜しいと言わんばかりに小さく震えながらも、なんとか言葉を吐き出した。


「綾野……今のは……?」

「私、那波くんとなら嫌じゃない……から。那波くんは私とするの、嫌?」

「……嫌なわけない、けど。でも……、性欲に溺れて、俺も綾野のこと傷つけた人たちと同じようになっちゃうのが……怖い」

「…………ふふっ。そう考えてくれてるだけであの人たちとは全然違うよ。でも、そうだなぁ……優しくしてね?」


 そう言って微笑む綾野。

 今日一日、綾野のころころと変わる表情を見ていた俺には、その微笑みはどこか影を持っているように見えた。

 だから俺は──。


 俺は優しく、この無駄に大きな身体で綾野の身体を包み込むように抱きついた。


「わ!? ちょ、那波くん!? ここまだ外!」

「綾野、好き」


 抱きついている関係上、耳元でささやくような形になってしまった。


「す──っ!? う、嬉しいな」

「キス、していい?」

「そ、それは黙ってした方がかっこいいんじゃな、ん……っ!?」


 綾野の言葉を遮るように。

 今度は俺から綾野に口付ける。

 一瞬にも、無限にも感じられる数秒。

 ただ唇を重ねているだけなのに、心が満たされる。綾野にも同じ感情を抱いていてほしい、なんて考えながら、ゆっくりと口を離す。

 月明かりと街頭で照らされた綾野の顔は、うっすら赤い。

 そして俺の顔も、熱い。


「……な、那波くん。身体おっきいね……」

「今も鍛えてるからね」

「そ、そっかそっか、どうりで。……那波くん、なんか、こういうの慣れてない……?」

「? いや、初めてだけど。女の子にハグするのも、キスするのも」

「ふ、ふーん。そうなんだ……。予想が外れちゃったなぁ。なら、私がリードしないとね。さ、そろそろ行こ?」

「もう少しだけこのままでいい? まだ離れたくない」

「も、もー。またそんなこと言って。少しだけだよ?」


 そのまま十分ほど、公園でハグし続け、やっと離れる。

 全身に綾野の温もりが残っていて、冬だというのに暖かい。


 それから自然に指を一つ一つ絡ませるように手を繋ぎ、公園を出る。

 先程までいた公園は、綾野の家の近くだったということもあり、ほんの数分歩いただけで辿り着く。

 その間、会話はあまりなかったが、心なしかデートの時よりも距離が近くなっていたように感じた。


 綾野が玄関の前で立ち止まる。

 綾野の家は住宅街の一角にある、ごく普通の一軒家といった感じ。

 そして綾野は今この家に実質一人暮らし。家族で暮らす分には一般的な大きさだが、一人だとこの広さは恐らく寂しく感じるのではないだろうか。


 綾野がゆっくりと俺と繋がれた手を離し、バッグから家の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで開錠。


「さ、入って」

「お邪魔します」


 靴を脱いで、綾野の案内にしたがってリビングへと向かう。


「汗かいちゃったし、お風呂入れてくるね。好きなところに座って待ってて」

「うん」


 綾野がリビングを出ていくのを見送り、俺はダイニングにあるテーブルの前に並べられた三つの椅子のうちの一つに腰かけた。

 時刻を見ると、今は六時半頃。

 妙な緊張感に身を包まれる。

 初めて入った女の子の家。好きな人の家。緊張しないはずがない。


「お待たせ。ねえねえ、那波くん。晩御飯って家にある感じかな?」

「ううん。いつも食べたいときに自分でつくってるから無いよ」

「なら、よかったらうちで食べてかない? 私が作ったやつでよかったらだけど」

「嫌なわけないけど……迷惑じゃない?」

「いつも一人だからさ、寂しいんだよね。だから一緒に食べてくれる方が嬉しい」

「そういうことなら、お言葉に甘えさせて貰おうかな。今から作るの?」

「うん」

「じゃあ、俺も手伝うよ。一応俺もいつも自分で作ってるから役に立てると思う」

「そお? じゃあ、私もお言葉に甘えちゃおっかな」


 二人でキッチンへと向かう。

 どうやら今日の献立はオムライスとシチューとのことだ。

 俺は主に食材を綾野に言われたとおりに切っていき、調理を綾野が担当した。

 こうして二人で並んでキッチンで作業していると、なんだか俺たちが新婚夫婦であるかのような気持ちになる。いや、今だけとはいえ、俺と綾野は恋人だ。実際似たようなものかもしれない。


 なかなかの手際で作業を進め、八時になる頃にオムライスとシチューを完成させ、テーブルに並べた。

 俺と綾野は向かい合って座る。


「それじゃあ、いただきます」

「いただきます」


 スプーンを手に取り、オムライスを一口分掬い上げる。

 俺も手伝ったとはいえ、調理は基本綾野が行っていたため、これは綾野の手料理ということで間違いないだろう。

 掬い上げたオムライスを口に運ぶ。


「うまっ!」

「よかったぁ、那波くんのお口に合って」

「ほんとに美味しい。味付けとか教えてほしいくらい」

「そんな特別なこととかしてないと思うけど。でも、いいよ。あとで教えたげる。それにしても、那波くんもすごい手際よかったね。野菜切るのとか早くてビックリしちゃったよ」

「綾野の役に立てたならよかったよ」


 なんて会話を交わしながら、着々と食べ進め、三十分も経つと二人とも食べ終えた。


「お風呂入る前に、洗い物だけ済ませちゃうね」


 そう俺に告げ、キッチンへと向かう綾野に俺もついていき、洗い物も手伝う。

 ご飯をつくって貰ったのだ、当然のことだろう。


 それから十分ほどでスムーズに洗い物を済ませた。


「じゃあ、お風呂場に案内するね。ついてきて」


 綾野に言われ通りについていき、リビングを出てお風呂場へと向かう。

 タオルの位置やどれがシャンプーかなどの説明を受けて、綾野の方へと視線を向けると、なぜか綾野が服を脱ぎ始めていた。


「ちょっ!? 綾野!? なんで脱いで!? せめて俺が出ていったあとに!」


 俺は急いで視線をそらし、脱衣所を後にしようとするが、綾野に手首を捕まれる。


「那波くんも脱いで。一緒に、入ろ……?」


 振り返ると、そこには頬を赤く染めた、下着姿の綾野が俺のことをじっと見つめていて。

 俺の瞳は、そんな綾野の瞳に吸い込まれるように逸らすことができず、数秒の後、俺の首は無意識的に縦に振られていた。

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