第7話 おはよう
薄く目を開く。窓から差し込む明るい日差しが眩しい。目の前の全裸の少女と目が合う。
「おはよう、玲くん」
「……おはよう、菜乃花」
目線をそらし、応じる。
「……どうして目をそらすの」
「目のやり場に、困って……」
「昨日あんなに見たのに?」
「昨日のことを思い出すからというか……」
「ふーん……えいっ!」
「ちょっ!?」
頑張って菜乃花の裸を直視しないようにしていたのに、あろうことか菜乃花の方から俺の眼前に胸を付き出してくる。
「ほら、玲くんの好きな私のおっぱいだぞ~? 今ならなにしてもいいんだぞ~?」
「言ったね?」
「ひゃんっ!?」
ちょうど顔の前にあったということで、菜乃花のおっぱいを口に含む。
「ん♡ あ、汗くさくない……?」
「……なんか、甘い気がする」
「あ♡ な、なんか……ん♡ ちょっと、嫌なんです、けど……ぁん♡」
菜乃花の口から漏れる小さな喘ぎ声が俺の耳にダイレクトに届き、さらに情欲が掻き立てられる。
そんなときだった。
『ぐ~~~』
と、菜乃花のお腹から場違いな音。
菜乃花の顔を見ると、みるみるうちに赤く染まっていく頬。
そういえばと、時計を見ると十一時過ぎ。
昨晩は二十時ごろに晩御飯を食べてから、六時間もの間あれだけ激しい夜を過ごしたのだ。
そりゃあ、お腹もすくことだろう。
「……朝ごはんにしようか」
「うぅ~~……。玲くん、忘れて~‼」
お腹をおさえ叫ぶ菜乃花に、微笑ましい気持ちになる。この空間に、先ほどまでの淫靡な雰囲気は消え去っていた。
◆◇◆
「本当に借りちゃってよかったの?」
俺は、自らの見にまとった衣服を指して菜乃花に尋ねた。今俺が身に付けている衣服は、下着も含めて、菜乃花の父のものらしい。
「うん、しばらく帰ってこないし」
「でもいつ返せばいいかな? さすがに学校は不味いだろうし」
「んー……いや、学校で大丈夫だよ。時間作れるし」
「そう? じゃあ、学校で返すよ」
「りょーかい。さ、朝ごはん作ろ」
「うん」
服を着て、キッチンへと向かう。
朝食はトーストに目玉焼き、サラダに昨晩のシチューらしい。
トーストを焼いている間に、俺はサラダを担当し、菜乃花が目玉焼きを作り、十分ほどで全てを作り終える。
「玲くん、マーガリンといちごジャムがあるけどどっちがいい?」
「うーん、マーガリンお願いしていい?」
「おっけー! じゃあ、私も今日はマーガリンにしよっと」
菜乃花からマーガリンを受け取り、パンの一面に塗り、菜乃花に返す。菜乃花もパンにマーガリンを塗ったのを確認してから、手を合わした。
「「いただきます」」
意図せず発した言葉がシンクロして、二人で笑う。
和やかな空気のまま朝食を開始した。
「そういえば、玲くん。今日はどうするの?」
「さすがにご飯食べ終わったら帰ろうかなって。お母さんも心配してるだろうし」
「そっかぁ……。ちょっと寂しくなっちゃうなぁ……。ねえ、玲くん、連絡先交換しちゃおっか?」
「……いいの?」
確か、寝取らせプレイをするにあたって鷺沼に告げられた約束ごとのひとつに、連絡先を交換するなというものがあったはずだ。
「穣くんには内緒だけどね。クラスメイトの連絡先持ってるのなんて普通でしょ?」
「…………そうなの……?」
「へ……? あ、そういえば玲くん、クラスのグループ入ってない……。もしかして、誰とも……?」
「グループってなに?」
「え!? そこから!?」
「ごめん。お母さんとバイト先の人の連絡先しかないから、あんまりライムの機能知らないんだよね」
「謝ることはないんだけど……。グループっていうのはね、複数の人でやり取りするのに便利なチャットルームって感じ? ほら、部活のメンバーみんなに知って貰いたい情報があるとき、一人一人に送るのは面倒だけど、部活のメンバーみんなが入ってるグループがあればそこに送信したらみんな見れるの」
「なるほど、そんなのあったんだ。なんか便利そう」
「玲くんのことクラスグループに招待したいところだけど、そうすると穣くんにばれちゃうんだよね……」
「俺は大丈夫だよ。クラスのみんなが俺のこと怖がってるの知ってるし、そんな人が急にグループに入ってきたら怖がらせちゃうだろうし」
「玲くん……。よし! とりあえず私と交換しよう! そしたら、グループで流された情報とか共有できるし、内緒話もできるし、ね」
菜乃花がQRコードを差し出したので、菜乃花に操作を教わりながらなんとかそれを読み込み、そして菜乃花に友達申請を送った。
ライムの画面にクラスメイト名前が並んでるのが少し新鮮だ。
「玲くんって普段、お母さんとよく連絡取ったりしてるの?」
「ううん、あんまり。大体のことは直接話すし、昨日みたいなことがあったときに使うだけかな」
「ふーん、じゃあ、バイト先の人とは?」
「うーん……たまに? すごい良くしてくれるけど、この人とも基本的には直接話すかな?」
「じゃあ、ライムはほとんど私専用だ。なんか玲くんを独り占めしてるみたいで嬉しいな」
「菜乃花専用か……。なんかそれもいい気がしてきた」
「へへー、でしょ?」
そうこうしているうちに、二人とも朝食を食べ終えてしまった。刻々と、別れの時間が近づいてくる。
朝食の食器洗いも、あっという間に終わってしまった。
「それじゃあ、お邪魔しました」
名残惜しい気持ちを押さえて、菜乃花に告げる。
「……ねえ、私も玲くん家まで着いていっていいかな? なんか、まだ一緒にいたいっていうか……」
「……うん。俺も同じ気持ちだった」
「ひひ、ならお揃いだ」
菜乃花が靴を履き、俺の手を握る。
昨日、デート中ずっと握っていたためか、菜乃花と手を繋ぐと妙に心地いい。
「玲くんの家ってどの辺?」
「うーんと、青池駅の方、かな」
青池駅。
菜乃花の家の最寄駅から二駅先。歩くと大体三十分ほどだろうか。
青池からも十分ほど歩くけど、説明する上で便利な目印が青池駅くらいしかない。
「青池かぁ。ちょっと遠いね。電車乗るの?」
「そのつもりだったけど、今は少しでも長く菜乃花といたいから歩こうかなって。もちろん菜乃花が電車の方がいいなら電車だけど」
「ううん。私もおんなじ気持ち。少しでも長く一緒にいたい」
「じゃあ、歩きだね」
歩幅を合わせて、少しでも一緒にいたいという心の現れか、いつもよりものんびり歩く。
他愛のない会話を交わしながら、ただただこの時間が一生続けと願う。
が、そんなことはあり得ない。やがて終わりは来る。
俺の家が見えてくる。
そこまでぼろくはないけど、小さなアパート。その一室が、俺とお母さんが二人で暮らしている家だ。
俺はそのアパートの前まで歩いて、そして立ち止まった。
「? どうしたの?」
「……着いたから。ここ、俺の家」
「……そっか。もう……」
もう着いた。もう家の前だというのに、彼女の手を離したくない。
菜乃花の顔を見つめる。
そして、菜乃花の瞳もじっと俺の瞳を貫く。
俺は繋がれていない左手で、菜乃花の右頬を撫で、唇を塞ぐ。お別れのキス。名残惜しいけど、もう別れなければ。
「菜乃花。昨日今日とありがとう。すごく楽しかった」
「私の方こそ……救われた。ありがとう、玲くん。……ねえ、最後にお願い聞いて貰ってもいい?」
「うん」
菜乃花が握られていた手を離し、両手を広げ、上目遣いで俺のことを見つめる。
「ぎゅってして」
俺はすかさず自分の身体を菜乃花の身体に滑り込ませ、背中に手を回す。菜乃花の手も俺の背中に回る。
昨日何度も身体を重ねた、懐かしい温もり。
ああ、だめだ。もう、離れたくなくなってる。
目が合う。
菜乃花が目蓋を下ろし、口を付き出した。
唇を重ねる。
そして数秒。
唇を離すのと同時にハグしている身体も離れた。
「……じゃあ、また、明日」
一歩後ずさり、告げる。
「うん……、また明日」
振り返り、アパートへ向けて歩を進める。
彼女との距離が離れていく度、形容しがたい空虚感のようなものが俺の身を包む。いやだ。離れたくない。もっと一緒にいたい。あの温もりを、忘れられない。
分かっている。あれは一夜だけの、夢のようなもの。
彼女には恋人がいて、俺との行為はその彼氏とのプレイによるもの。
彼女の思いが、俺に向くことはない。
玄関の前までたどり着き、視線を先ほどまでいたところへ向けると、菜乃花がこちらを見て微笑んでいた。
俺も微笑み返し、手を振って玄関の扉を開けた。
急に現実に引き戻される感覚。
こうして俺の夢は終わりを告げた。
◇◆◇
目の前で引き起こされている現実に理解が追い付かなかった。
昨晩、彼女である菜乃花からのライム。
『ごめん、明日は会えない』
何かあったんだろうかと、思った。
今回の相手は暴力男で有名な那波だ。
単に学校に友人がいないからという理由で、安易に那波を選んでしまったことを俺は後悔していた。
もしかしたら、那波に酷い扱いを受けて、苦しんでいるかも。いや、あるいはもっと那波と一緒にいたいという逆の可能性も……。
考え出すといくつも浮かび上がる可能性の数々。その一つ一つが想像するだけで胸が締め付けられるように苦しくて、菜乃花に何回も電話したりメッセージを送ったりしたけど返信は来ず、結局眠れない夜を過ごした。
挙げ句の果てには二人の様子が気になってしまい、部活を無断で休んで、菜乃花の家の前まで来てしまっていた。
何をやっているんだ、こんなのストーカーじゃないか、と頭を抱えつつも、視線はただただ菜乃花の家を見つめている。
しばらくたった頃、菜乃花の家の玄関が開かれた。
出てきたのは二人の男女。菜乃花と那波。
仲良さそうに手を繋いで出てきたのは二人の距離感はまるで恋人そのもので。
胸が強く締め付けられる。苦しい、そう思う反面、俺の股間は痛いくらいに膨らんでいた。
それから二人が歩いていくのを俺も着いていく。
まるで少しでも長く一緒にいたいと言うように、二人の歩くペースはとてもゆっくりで。苦しい。
菜乃花が那波に向ける顔はまるで恋する乙女のようで。苦しい。
そして、那波はそんな菜乃花のことを心底愛おしいと、そう思っているのが表情や所作から伝わってきて。苦しい。
このままでは本当に菜乃花を寝取られてしまう。
寝取られは好きだ。でも、本当に寝取られたい訳じゃない。
調子のいいことを言っているのは分かっている。それでも、菜乃花にはたくさんの男を経験した上で、俺のことを選んでほしい。
前を歩く二人が立ち止まる。
俺も近くの物陰に姿を隠して、二人の様子を見つめる。
物陰に隠れている間に一部見逃したようだが、今の様子は──。
菜乃花が那波にハグを求めるように両手を広げているところだった。
信じられなかった。あんなこと、彼氏である俺にもしたことないのに。
その上だ。菜乃花は那波に抱きつかれると、キスを求めるように目を閉じ口を付きだしていた。
あり得ないあり得ないあり得ない!
だって、菜乃花は俺の彼女だ。
今までの寝取らせだって、彼女は一切他の男になびかなかった。
だというのに、なんだあの顔は。
苦しい苦しい苦しい。
なんで俺はこんなことをしてしまったのだ。
なにか取り返しのつかない失敗をしてしまったのではないか!
このままでは本当に菜乃花は那波のものになってしまう。
そんな後悔の念が頭を渦巻くなか、反して股間は熱い。
胸がうるさいくらいに高鳴っている。
目の前の光景に、興奮してしまっている。
そして、二人の唇が重なった瞬間。
俺は、触ってもいないのに、果てた。
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