第8話 玲くんの、服……

 玄関を開ける。

 俺と母だけが暮らす、小さな部屋。

 いつもこの時間は静かなはずだが、今日は少し騒がしい。

 部屋の奥からドタドタと何かが迫ってくる音がする。


「お帰り、昼帰りの玲くん」

「ただいま。起きてるなんて珍しいね、お母さん。それと友達の家で勉強してただけだから変な言い方はやめて」

「ふーん、知らない服着てるのに?」

「急遽決まったから友達から借りたんだよ」

「でもぉ……」


 母は、俺の胸に顔を近づけ匂いを嗅ぐ。


「なに……?」

「女の子の匂い」

「はぁ?」

「それも新鮮な……。さっきまでハグしてたな?」

「なんで分かるんだよっ!? あ……」

「ふっ、母に嘘つこうだなんて百年早いね!」


 なんなんだこの母は……。

 それにしてもあんな短いハグで匂いなんてつくんだろうか。それともブラフ? 本当になに考えているのかよく分からない人だ、俺のお母さんは。


「彼女?」

「違う」

「えー、じゃあセフレ? お母さん、玲くんにはもっと健全な高校生でいてほしいなぁ」

「違う。ただのクラスメイト」

「玲くん、ただのクラスメイトとハグするの? それはそれで不健全じゃない?」

「色々あるんだよ。とりあえずそこ退いてよ。入れない」

「うー、玲くんが冷た~い!」


 母を押し退け、リビングへと入る。

 後ろから俺の身体にしがみついたままのお母さんが引きずられるようについてくる。


「離れて」

「お母さん、お腹空いちゃった」

「なんも食べてないの?」

「だって玲くん、冷蔵庫の中勝手に使ったら怒るじゃん。あー、これ今晩使う予定だったのに~って」

「……冷飯とかあったでしょ。まあ、いいや。なんか適当に作るから離れて」

「やったぁー! 玲くんのごはん♪」


 帰ったばっかだというのに、何故料理をしなければならないのだろうか。

 面倒だから、簡単なものを作ろう。

 冷蔵庫の中を確認する。……うん、炒飯でいっか。

 俺はそんなにお腹は空いてないから、お母さんの分だけの一人前。

 ちゃちゃっと作って、母に差し出した。


 いっただきまーす、と意気揚々と食べ始め、食べ終えるとさっさと布団に潜り寝てしまった。

 眠かったのならわざわざ出迎えなんかしないで寝てればよかったのに。

 母は昔からこういうところがある。

 朝まで仕事をしていて眠いだろうに、学校の行事には必ず参加してくれていたし。いい親だとは思うけど、息子の身としては、体調を崩してしまわないか心配だ。


 それはそうと、荷物を整理しなければ。

 溜まった洗濯物を昨日着ていた服とまとめて洗濯……。あれ……? 昨日着ていた服は……?

 もしかして忘れた……?


◆◇◆


 家に帰り、ベッドの上で先ほどまでのことを思い出しながらボーッとしていたら、耳元のスマホから着信音。

 画面に映し出されるのは玲くんの名前。

 すぐにメッセージを確認すると、内容は玲くんが昨日着ていた服を私の家に忘れていないか、というものだった。


 私はすぐに脱衣所に向かい、部屋の隅に畳まれている玲くんの服を見つける。


『あったよー』『洗って今度学校に持ってくね』

『やっぱり忘れてたか』『そこまでして貰うわけには……さすがに迷惑だと思うし』

『手間変わんないからだいじょーぶ!』


 それから、『任せろ!』という、熊のスタンプを送信し、そういうことならお願いするねと、玲くんから返信がある。

 少しすると、玲くんの方からデフォルトでライムに入っている、白いウサギが敬礼するスタンプが送られてきた。


 ……可愛い。

 玲くん本当にライム慣れてないんだなぁ。

 スタンプ、頑張って探したんだろうか。

 適当に選んだスタンプじゃない、必死に選んだ末にあのスタンプを送信してくれる玲くんのことを想像したら……愛おしくてたまらなくなってくる。

 

 やり取りが終わったため、私の視線は必然的にある一点に向かっていた。


「玲くんの、服……」


 私と会うために、玲くんが着てきてくれたおしゃれな服。

 少し運動して、玲くんの汗が染み込んだ服。

 服に触れる。さすがにもう、玲くんの温もりを感じることはない。

 服を抱える。微かに香る、玲くんの匂い。


 これ、やばい……。この香りだけで、昨晩のことを思い出して……。


「お腹が熱い……」


 さすがにこれ以上はだめ……。こんなことしたって知られたら、玲くんに失望されちゃう。

 でも……。


「ごめんなさい、玲くん。ちゃんと洗濯、するから……」


 玲くんの服を抱き締めると、昨晩の玲くんの大きな身体を思い出す。

 玲くんの服に顔を埋めると、昨晩玲くんとした、おとなのキスを思い出す。


 玲くんの服に顔を埋めたまま、私の右手は自然と局部へと向かう。


「んっ……」


 既に少し湿っているショーツを軽くなぞる。

 思わず声が漏れる、けど……。

 もっと、もっとほしい……。玲くんが足りない……。


 そうだ。と、私はスマホの画面を操作して、ある動画を開いた。

 昨晩の、玲くんとのえっちの動画。

 穣くんのために撮った動画だけど、まさか役に立つとは。

 今までの動画は私にとって嫌な思い出でしかないから、一切開くことはなかった。

 けど、玲くんとのえっちは……。気持ちよくて、愛されていると実感できて……。きっと何度も見てしまう。


 はじめは、お互い全裸でベッドの端にならんで座っていて。

 それから玲くんが私のことを押し倒して、おとなのキスをして。

 それから玲くんのが私の中に入ってきて。

 それに合わせて、私も自分の指を入れる。


 脱衣所に私の二つの喘ぎ声が響く。


『菜乃花のことが、好き』


 玲くんのこの言葉が動画内にはしっかり残っていて、私の胸は玲くんのその言葉を耳にするのと痛いくらいに高鳴った。

 それからすぐに、私は動画内の自分とほぼ同時に一度絶頂した。


 動画の再生時間が一時間を越えた。

 この段階で、動画の中の私は四度、そして私も二度絶頂していた。

 やめどきが見つからない。

 これでも動画はまだ全体の六分の一程度しか経過していない。


 私は玲くんとのえっちの時、三度絶頂した辺りから、記憶があまり残っていない。だから今、画面の中で私が玲くんに向けて言っている言葉に驚きを隠せないでいた。


『玲くん……♡ 玲くん、しゅき♡ きす、きすして……♡』


 こんな感じで、玲くんに向けてすごく好き好き言っていた。

 こんなの覚えてない。とても恥ずかしすぎて見ていられない。

 ていうか、こんなの穣くんに見せちゃってもいいの?

 いや、穣くんはこういうのが好きなんだ。私が他の男の人に取られちゃうのが好きなんだ。


 ……あれ? だったら私が玲くんのことを好きになっちゃっても何も問題ないじゃん。だって、穣くんもそれを望んでるんだから。

 だったら、私が玲くんのこと好きって言っちゃっても、いいってことだよね。


 よくよく考えたら、穣くんは、私が本当に寝取られるのを望んでいないことなんて分かることだ。だから、理性があるときは私は玲くんに向けて好きといわなかった。

 でも今は、脳内がピンクに染まっていて、そんなまともな思考ができない状態だった。

 だから私は──。


「玲くん、すきっ♡ すきぃ……♡」


 心のうちをさらけ出すように叫び、果てた。

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