第6話 優しく、してね……♡

「……菜乃花」


 俺の下で頬を赤く染める彼女の名を呼ぶ。


「玲くん」

「菜乃花、好き」

「嬉しい。……ねえ、キスしようか。おとななやつ」


 おとななやつ。いわゆるディープキスというやつだろう。舌を絡める、先ほどまでの啄むようなものとは違う、深く繋がるキス。

 

 唇が重なる。

 俺の口の中に菜乃花の舌が入り込み、舌同士が絡み合う。

 体験したことのない快楽が俺の身を襲う。

 菜乃花の口から漏れる、甘い吐息に心が乱される。

 菜乃花の惚けた表情に胸が高鳴る。この顔を他の誰にも見せたくないと、強く思う。

 菜乃花には好きな人が、彼氏がいて、所詮俺は間男でしかないというのに、鷺沼にさえこの顔を見せたくないと、俺だけのものにしたいと、そう思ってしまった。


「はぁ、はぁ……♡」


 呼吸のため、唇が離れる。

 菜乃花の色っぽい吐息だけが、俺の鼓膜を震わせる。

 唾液が糸を引き、重力にしたがい菜乃花の口元へと滴った。


 しばらくお互い見つめ合う。

 紅潮した頬、蕩けた瞳、少し乱れた髪の毛。その全てが愛おしい。


「菜乃花、可愛い」

「ほんと……? 私の顔、ぐちゃぐちゃになってなあい……?」


 乱れた呼吸で、少し呂律が回っていない幼い口調で菜乃花は俺に尋ねる。


「他の誰にも見せたくないくらい、可愛い」

「こんなきもちいキス、始めてだから……。この顔は玲くんだけの、ものだよ……」

「本当?」

「うん……。優しくて、目があって……。玲くんとのキス、好き。はまっちゃいそう」

「俺でよければ、いつでもどこでも」

「じゃあ、もういっかい。……今から、しよ。……んっ♡」


 再び唇を重ねる。今度は俺から舌を絡ませる。

 数分。粘液どうしが交わる音と、菜乃花の甘い吐息だけが、静寂の中に響き渡る。


「はぁ……ん♡ ……玲くんの、お風呂の時より、おっきくなってる」

「……菜乃花とのキスが、気持ちいいから」

「ふふ。じゃあ、私と一緒だあ。私もね、玲くんとのキス、きもちいの。おそろいだね」

「うん。おそろいだ」

「玲くんと、一緒。うれしいね」

「うん、嬉しい。菜乃花と同じ気持ちになれて嬉しい」


 静かに口づけ。今度は啄むようなキス。

 それから俺は、菜乃花の上から、身を起こした。俺の股間がどうしようもないほど主張している。


「玲くん。私がゴム、着けたげる」


 菜乃花が箱から小袋を取り出し、その小袋を開け、ゴムを俺の股間へとあてがった。

 菜乃花の小さくて細い指が、俺の股間を滑らかになぞっていく。

 やがて、ピンクの薄いゴムが、俺の股間を完全に包み込む。


「玲くん、入れて……? 優しく、してね……♡」


◆◇◆


 セックスが気持ちいいものなんて知らなかった。

 私にとってセックスは苦しくて、惨めな気持ちになるものだから。

 だから、部屋中に響き渡るこの艶かしい喘ぎ声が、自分のものだと自覚するのに時間がかかった。

 

 玲くんと目が合う。

 私の反応を見ながら、優しく腰を振っている。

 そんな玲くんが愛おしくて、離れたくなくて、私は無意識に玲くんの首に手を回していた。

 もっと玲くんの体温を感じていたくて、玲くんの背中に足を回していた。


 玲くんの口が動く。耳はあまり聞こえないけど、私は彼がなんと言っているのかわかった。

 今日だけで何度も聞いた、彼の愛おしい言葉。


『菜乃花のことが好き』


 胸が高鳴る。身体が熱い。

 私を貫く、彼のまっすぐな瞳。

 私も……私だって──。あなたのことが、玲くんのことが──。


 脳をよぎるのは、玲くんではない、他の男の子。私の彼氏の顔。

 玲くんのことが好きだと、そう思う度に私の頭に何度もよぎる穣くん。

 もう、なんで私が穣くんのことを好きになったのか分からないほど、彼には酷いことをさせられていたと思う。

 それでも私は、まだ彼に期待してしまっている。優しい彼を知っているから。かっこいい彼を知っているから。付き合ったばかりの頃の、楽しかった日々を覚えているから。


 私、最低だ…。

 こんなどっちつかず、二股となにも変わらないのに。

 玲くんを好きだと思う気持ちと、未だ穣くんに期待している気持ちが同時に存在している私の心に自己嫌悪を覚えながらも、頭はただ波のように襲いかかる快楽に流され、溺れていった。


◇◆◇


 時計を見た。午前三時。凡そ六時間、一日の四分の一ほどの時間を菜乃花との行為に費やしていた。

 ゴムは一箱使いきった。

 シーツは汗とその他の体液で湿っている。

 お互い服は着ていない。


 俺の横で寝息をたてて寝ている菜乃花の髪の毛をなぞる。

 可愛い、綺麗、愛おしい。

 この顔を見るのは、見ることが出来るのは俺だけでありたい。もう、彼女の身体を他の男に見せたくない。蕩けるようなあの顔を、他の男に見せたくない。

 たとえ、鷺沼であっても。

 ただの間男だというのに、とんだ独占欲。


「…………んっ、玲くん……?」


 薄く開かれた彼女の瞳が、俺の姿をとらえる。


「ごめん。起こしちゃった?」

「んん……、玲くん、もっとこっち来て……?」


 言われた通り、菜乃花にさらに身を寄せる。

 胸とか足とか、身体中のいたるところが密着している。さすがに、もう色々と出し切ったから無節操におっ勃てたりはしないが。


 菜乃花の腕が俺の背中へと回される。さらに密着するお互いの身体。

 俺も菜乃花の背中に手を回し、背中を優しくさする。

 やがて、俺の胸から規則正しい、小さな寝息が聞こえてくる。


「おやすみ、菜乃花」


 菜乃花の頭を撫で、耳元でそう小さく呟いてから、俺もだんだんと重くなってきている目蓋を静かに下ろした。

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