第11話 玄野呉人
保育園の事件から翌日、来須と真純は学長室にて、緊急の呼び出しを受けていた。
だが、指定された時間になっても学長室に誰も来ないため、来須は次第に苛立ちを覚えていた。
いつもの癖で激しい貧乏揺りを始める。
隣にいる真純が、若干引いたような痛ましい視線を来須へと向けていた。
「ちょっとあんたさぁ……それやめてくんない? こっちまでイライラしてくるんだけど」
「あ? 何もしてねぇだろ。いったい何をやめろって言うんだ?」
「何をじゃないわよ! その足、小刻みに震えてるその足! うるさいのよ! 鬱陶しいのよ! 無意識だっていうなら、よりたちが悪いわ!」
来須は己が貧乏揺りをしていたという自覚がまるでなかった。彼女に指摘されるまで、それは本当に意識の外だった。
「まさか俺の足に別の人格が宿っていたとは」
「同じよ! あんたのその余裕のない性格と何一つ変わらないっての!」
「おいおい、声を荒げるようなことじゃないだろうに。女のくせにはしたないぞ、もっと清楚に振舞ったらどうなんだ?」
「あんたに言われる筋合いないわよ! てかその貧乏揺りをさっさとやめなさいよ!」
真純の荒ぶった叫び声は、学長室の廊下にまでまる聞こえだった。
普段はその頭のおかしさを周りに露呈している真純がツッコミ役に回るという、なんとも珍しい光景である。
そんな彼女の必死の怒りが届き、小さな地鳴りは程なくして止まった。
しかし、それでも来須の苛立ちが解消されたわけではない。逆に貧乏揺りという気を紛らわす行為が禁止され、不安定な精神は加速する一方だった。
来須は時計と睨み合い、学長室の中を落ち着きなくうろうろと歩き回る。
「もう二分だぞ! いくらなんでも遅すぎる!」
「いやいや、これくらい誤差でしょ。学長だって暇じゃないんだから」
叫び疲れたのか、真純のツッコミは冷めたものへと変化していた。
二人を学長室に呼んだのは、言うまでもなく聖ミラウス学園の学長だ。部屋に入って待っていてくれと言われ、その通りに待機しているが、たった二分でも来須の頭は崩壊寸前だった。
時間を無駄にしているという感覚そのものが、彼にとってはこの上ないほど不快でならない。
「ったくお前たち、待っている間くらい静かにできないのか」
二人が声のする方へ振り返ると、入り口で学長と学年主任が呆れた顔を浮かべて立っていた。
学長は、来須たちと同じサンタクロースの衣装に身を包んでおり、まさに世界で知られるサンタクロースそのもののような風貌だ。青く透き通るビー玉のような瞳に、今にも床につきそうなほどに長く蓄えられた白い髭、もはや絵に描いたように似ている。
しかし、さすがはサンタクロース育成機関と言うべきなのか、来ていたことに二人は全く気づけなかった。気配を消すことに関してはやはり一流だ。
「先生、学長、三分遅刻です」
「うわぁ、面倒くさい。あんた本当に細かいわね」
「お前にだけは言われたくない」
二人をよく知る者からしたら、どちらも細かくて本当に面倒くさいだけである。
「それくらいは寛容な心で見逃してほしいな、私や学長は忙しいんだ。だがまあ、呼び出しておいてこちらが遅れるというのはいただけないな。すまない」
「無理ですね。時間丁度がギリギリ許容範囲です」
「いや、そこは普通に許せよ」
約束した時間より前に来る、それがまず前提条件に含まれているらしい。
「まあ、そのことはもういいだろう。今はそれよりも、昨日の件に関して話しておかなければな」
教師は二人を部屋の中央にある椅子へと誘導すると、一度咳払いをした。
「まずは君たち二人に謝ろう。事件のことをわかっていながら黙っていて、本当に申し訳なかった。だがどうか許してほしい。このことに生徒を巻き込むわけにはいかなかったんだ」
「そのことはもういいです。今更、謝られても困ります」
真純は少々不機嫌そうに返答した。学長たちと目も合わせない。
「わかった。なら早速、本題に入ろう。昨日、君たち二人が対峙した黒いサンタクロースについてだ」
二人の表情を強張らせ、息を呑んだ。ついに語られる、黒いサンタ服を身に纏った謎の男の正体。それは来須たちが最も気になっていたことだ。いったい何者で、目的は何なのか、そして何故、学園はその存在を隠していたのか。そもそも学園とは、どういった関係なのか。
「我々は、あの黒いサンタ服の男たちをクネヒトと呼んでいる。彼らが崇拝するクネヒト・ループレヒトの一部を取ってな」
「それは私たちも昨日の黒服から聞きました。そういえば、彼は今どこに?」
「厳重に管理しているよ。だが、誰がどこで聞き耳を立てているかわからないのでな、さすがに居場所までは言えない。あの男は大切な証人だ」
「ずいぶんと慎重なんですね」
「どうも、外に情報が漏れすぎていてね。もしかしたら、内通者がいるのかもしれない。昨日の一件に関しても、連中の威力偵察という可能性もある。そうなれば、学園の人間全員が信用におけるとは限らないんだよ」
本当に礼二が言っていたことが現実になりつつあった。たしかに学園の中に黒服が紛れ込んでいる可能性は、決してゼロとは言えない。
可能性が一パーセントでもある限り、慎重になるのは当然だ。
「それにクネヒトとの因縁は、中々に深い。重要なカードは、確実に手元に置いておく必要があるんだよ」
「その因縁とは、いったい何なんです?どうして、このことを隠していたんですか?」
真純が我慢できずに疑問を吐き出した。
「我が学園において、最大の汚点だからだよ。彼らが崇拝する、クネヒト・ループレヒトという存在がな」
「ど、どういう意味ですか?」
思わず問いかけたが、真純は僅かながらに察していた。誰であっても、ここまでくればある程度は予想できる。
「それは……私の口から話そう」
口を開いたのは、学年主任ではなく学長だった。
今までになく深刻な表情で、学長は数秒目尻を抑える。
「クネヒト・ループレヒト、その本名は
「そ、そんな……」
肩を落とし、顔を青くする真純。同じ学園の卒業生が事件に関与してると知れば、誰だってショックを受ける。
「学園でもトップの成績を誇る、とても優秀な生徒だったよ。もしかしたら、過去に彼を超えた生徒はいなかったかもしれない」
学長が、わざと大げさに語っているようには感じられなかった。
どうやら本当に、過去最高の魔法使いだったらしい。
「だが、彼は卒業することができなかった。ある事件がきっかけでね」
「ある事件?」
来須と真純は眉をひそめた。
「ああ、あれは八年前の卒業試験の日のことだった……」
学長は顔をしかめながら、クネヒト・ループレヒト、もとい玄野呉人の過去について語り始めた。
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