第1話 子供に夢と幸福を
十二月下旬、少年は学校に向かう中、ソリの上でゆらゆらと揺られていた。
いくら進んでも、景色は一向に変わらない。果てしなく続く氷原と、立ち並ぶ小さなレンガ造りの建物だけが少年の瞳に映っていた。意味もなく天を仰ぐと、ソリが突然止まってしまった。
その瞬間、少年の目の色が変わる。
「おいロバート、何故足を止めた」
少年の声からは、名前を呼ばれた者に対しての明らかな苛立ちがわかる。
前方へと目を向けると、そこには同じようにソリに乗った者たちが長蛇の列を作っており、渋滞していた。
「……死にたい」
ネガティブな言葉をこぼしながら、少年はしきりに貧乏ゆすりを始める。特に安定感が強いわけではないソリは、その微弱な振動でガタガタと揺れ始めた。体感的に震度三ほどの揺れだ。
彼のソリを引く相棒、ロバートは難しい顔を浮かべる。だが決して愚痴や文句を吐いたりなどしない。そもそも、吐いたところで人間の言葉を発することはできない。何故なら、ロバートは人間ではない、トナカイだからだ。
ソリと体を繋いだまま、律儀に列が動くのを待っている。主人である少年の方が、トナカイより渋滞を待てずにイライラしている。まるで本来持つ知能が逆転しているかのようだ。
少年の名は、
短く切り揃えられた髪に、活力の漲る吊り上がった瞳。学校指定の赤い制服に身を包み、先端に白い房がついた赤い三角帽子を被っている。
「最悪だ、もっと早く家を出るべきだった。これでもかというほど急いだのに、忘れ物を取りに戻ったのがいけなかった……」
ぶつぶつと独り言を呟き始める来須。
彼は、漢字で表すと最も悪いと書く言葉を、簡単にこぼす。
人生において最も悪いわけではないにも関わらず、人はよくこの最悪という言葉を口にする。軽々しく使うが、別にそこまで最悪な状況でもない。
あくまで、これはただの渋滞だ。来須同様、トナカイの引くソリで通学している生徒が多すぎるため、朝の学校前はいつも混雑している。
やがて渋滞は少しずつ前へと進んでいき、来須の目指す高校がその姿を現わす。
地球の北部にある小さな学園島、そこに聳え立つ高校、その名も聖ミラウス学園。
レンガ造りの四階建ての巨大な建造物。辺り一帯にはそのまま縮小したかのような同じタイプの建物が立ち並んでいる。
学園の中央には中庭があり、その先には大きな時計塔が建てられている。
「やっと着いたか。ったく……予定より十三分も遅れてしまった。ちっ……朝からイライラする。くそっ!」
来須は異常なほど、時間に過敏だ。いわゆる、せっかちな人間だ。過剰に時間をロスすることを何よりも恐れ、気にしている。
「ロバート、また放課後迎えに来るからな。大人しく待ってろよ」
彼が授業を受けている間、トナカイは校内にある施設で管理されている。一般的な高校で言うところの、自転車やスクールバスのようなものだ。
見た目こそ同じだが、来須たち生徒は自分のトナカイを完璧に見分けることができる。それはトナカイ側からも同じである。そのため、間違いが起こることはまずない。
トナカイのロバートと別れ、来須は教室へと足を向けた。
三年の生徒たちは一週間後のクリスマスに卒業試験を控えており、校内は少しピリピリしている。
誰しもが、無事に高校を卒業したい。そう願っている。
ただ、少しだけ問題もあった。校内の空気はその問題のせいで若干悪い。毎年のことだが、単純な卒業試験というわけにもいかなかった。
特に去年起きたある事件が、頭から離れない。
廊下は最短距離を早足で進み、程なくして自分の教室へとたどり着いた。一度プレートに目を通し、間違っていないかどうかを確認する。ここでも決して、無駄なことなどは一切ない。全てが最短で最善であり、適切でコンパクトだ。
唯一教室内の移動だけは嫌に感じる。来須の席は運の悪いことに、窓際の一番後ろにあり、最も教室のドアから遠い。普通、この席は生徒にとって当たりと言ってもいいのだが、来須からしてみればこれほど最悪な席はない。
登下校、移動教室、トイレの行き来、全てにおいて最も時間をロスする席だ。
理想としては、廊下側の一番前か一番後ろが好ましかった。何事も素早く手短に、それが彼の信条だからだ。
席に着くと、隣に座っている男子生徒が来須に声をかけてきた。
「よぉ、お前にしては遅いじゃねーか、どうしたんだ?」
「渋滞で立ち往生してたんだよ。まったく、朝からついてない」
「そりゃあ、お気の毒で」
クラスメイトの名は
今も手元には漫画雑誌がある。
「お前さぁ……その見た目で漫画って、全然合わないんだけど。ダンベルとか持ってた方が似合うぞ」
「ふん、筋トレは日本にいた頃、アニメのキャラのコスプレをするために始めたものだ。今はもう、俺の中でのマイブームを過ぎている」
「あ……そうですか」
この男のアニメからの影響力は相当なものなので、筋肉関係のものが流行ればまたそっちに流れそうではある。
「逆に聞くが、来須はどうして漫画を読まないんだ? こんなに面白いのに」
「時間の無駄だからだ。アニメでは確定で二十分、漫画だって早く読んでも一冊にかかる時間はおそよ十五分。そんなことを続けてみろ、すぐに寿命が来て死ぬぞ」
「いやいや、大げさだろ……」
礼二は引き気味に言った。
「俺が今日生きられると誰が決めた。娯楽のために、大切な俺の時間を捨てられるものか。人生は限られているから人生なんだ」
「じゃあ、逆にお前は何のために時間を使うんだよ」
来須は鼻で笑い、愚問だな、と一言添えてから続けた。
「俺はこの限られた時間を、子供たちのために使う! そのために、わざわざ日本を離れてこの学園島にまで来たんだからな!」
「それはまた、ご立派なことで」
「ふん、アニメや漫画を見てニヤニヤしてるお前とは次元が違うのさ」
「小学生を見てニヤニヤしてるお前にだけは言われたくねーよ」
「ニヤニヤなどしてない! 微笑みかけているだけだ!」
「いや! どっちも同じだから!」
この二人の言い争いは今に始まったことではない。クラスではもはや恒例行事の一つだ。
その時、始業を告げるチャイムが鳴った。
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