第7話 最速の男
部屋の壁が崩れ、外の空気が流れ込む。そして外の土や草の匂いとともに、鼻腔を刺激する生臭い獣の匂いが漂ってきた。
嫌な予感が、来須の脳をかすめた。
失われた壁から見える外の景色には、見慣れない巨大な影が存在している。
土煙が舞い、段々とその正体が見えてきた。来須は思わず、目を剥いて歯をくいしばる。
彼らが相対していたのは、にわかには信じられない怪物だった。
体躯は大型犬、雄牛よりもその身は大きい。ゴツゴツとした筋肉質な体に、焦げ茶色の体毛を纏っている。
その巨体を支える四肢は長く太く、鋭い爪で大地を踏みしめている。
口の中から余るほどの長い牙と、発達した長い角を頭の両端から生やし、目玉はぎょろぎょろと飛び出ている。
毛深いだけの中年男性にも似た顔つきだが、その風貌は人間というよりは鬼に近かった。イメージするなら、鬼のお面だ。
「来須! すぐに子供たちを安全なところに!なんだかわからないけど、こいつは絶対にまずいわ!」
「お、おう!」
二人はすぐに、怯えて泣き叫ぶ子供たちを抱きかかえ、園内の奥へと逃げ込んだ。
怪物はその大きな体故に足取りは遅く、すぐには追いつかれなかった。
真純の壁抜け魔法を使い、奥の部屋へと子供たちを避難させる。
普段は入ることのない、職員専用のバックヤードだ。壁の強度などは、あまり他の部屋より秀でているわけではない。
怪物の進撃によっては、すぐにここも安全とは言えなくなるだろう。
室内には緊迫した空気が流れ始めた。
職員たちの不安な表情は、子供たちの恐怖をさらに加速させる。
「ねぇ来須……まさかこれも、試験の一環とかいうオチないわよね?」
「はは、さすがにそりゃあねーだろ……あんな気色悪い化け物を保育園に放つとか、退学したくなるレベルだぜ」
冗談でした、では片付けられないだろう。明らかな器物損害、解体工事などという話も当然だがない。
「こうなったら、あの怪物は俺たちで止めるしかないかもしれねぇな」
「嫌な結論ね。でも、今回ばかりは私もあなたに同意するわ」
二人の顔がこわばる。彼らは魔法を志す生徒たちだが、特に戦闘へ特化した力を持っているわけではない。
サンタクロースに、魔法使いとして強さは求められていないからだ。
しかし、今はそんなことを言い訳に逃げられる状況でもなかった。もはやこの状況を打開できるのは、来須と真純の二人だけである。
「先生、俺たち二人が殿を務めます。その間、できるだけ遠くに逃げてください。できれば、助けを呼んで来ていただけると助かります」
「わ、わかりました……ですが、お二人は大丈夫なんですか?」
「こう見えて、角の生えた獣の扱いには慣れているので」
「まあ、あそこまで凶暴じゃないけどね」
腹をくくる時が来た。
「俺と真純であのデカブツの注意を引きます。そしたらすぐに園内から逃げてください」
「はい、ではご武運を……」
来須は真純の腕を掴み、深呼吸した。同時に二人の体から青白い光が漏れる。
瞬間。二人の姿が消えた。いや、正確には飛び上がった。風圧が起こるほどのスピードで、天井をすり抜けて行ったのだ。
空中飛行、それこそが来須の使用できる魔法。それもただ単に空を飛ぶわけではない。足の裏で空気を蹴りあげ、その反動で勢いよくジャンプする。あくまでジャンプ力とその持続時間が他より秀でているだけだが、空中で空気を蹴り上げることで細かい移動も可能となる。
サンタクロースにとって必須と言える飛行、そしてスピードの二種を合わせ持つ。
学園では彼をこう呼ぶ、最速の男と。
飛び上がった来須と真純は、上空から怪物の姿を確認する。
改めて見ると、その異形さに思わず目を剥く。
来須たちは魔法を扱うことができ、トナカイとも意思疎通が可能だが、魔獣という存在は一般人と同じく、イメージはファンタジーの存在なのだ。
一応魔法歴では、魔獣を生み出す魔法使いも存在したと記録が残されている。しかし、今やそのような魔法を使える者の存在は確認されておらず、異次元の生物と思われてきていた。
だが、決して存在しないというわけではない。だから二人ともすぐに気づいた。この魔獣を作り、操っている首謀者がいるということに。
上空に飛んだのも、監視者がいないかどうかを確認するためだ。
もし魔獣が何者かの傀儡なのだとしたら、操っている人間を叩けば解決するかもしれない。そうすれば、わざわざ無理して魔獣と戦う必要はなくなる。
「どうだ真純、それらしい奴はいるか?」
「後ろ、八時の方向。人影あり」
来須が振り返ると、遊具の陰に隠れた怪しい人物が目にとまる。思わず二度見してしまいそうな、珍妙な格好だった。
それは来須たちの着ている聖ミラウス学園の制服と酷似していたのだ。
全身を黒いコートで覆い、頭には黒い三角帽を被っている。それは、来須たちの制服をそのまま赤から黒に変えたようであり、まさに黒いサンタクロースと呼ぶべき風貌だった。
「いかにもな感じだな」
「多分、間違いないと思う」
「よし、ならここは役割分担だ。俺はあのデカブツの注意を引く、その間にお前があの不審者を捕らえる。これでどうだ?」
「いい案だと思う。私も、できれば魔獣の相手は勘弁だから」
お互いの使える魔法の相性を考えて、二人は適切な役割分担を提案する。
体が大きく動きの鈍い魔獣は、的が小さく空中を自由に高速移動できる来須。対人戦は、武器の類を一切無効にしてしまう真純。壁抜けの魔法として彼女は使用しているが、その本質は無機物との完全なる別離にある。
真純の魔法は、自身と自身が触れている者を無機物と接触させなくすることができる。故に刃物や鈍器、鉛玉といった全ての物は彼女をすり抜けてしまうのだ。
相手が近接格闘技に優れた者や、非接触の効果魔法を使える者でない限り、その防御力の優位性は高い。
来須は一旦、真純を地面に下ろす。そしてすぐに魔獣の正面へと飛び上がった。
「待たせたな、てめぇの相手はこの俺がしてやるよ。俺はなぁ、ノロノロしてる鈍臭い野郎が一番嫌いなんだ」
言葉が通じるかはわからなかったが、来須はふてぶてしい笑みを浮かべながら、魔獣に対して挑発的な言葉を吐き捨てた。
意地悪く舌を出し、握った拳から親指を立て、それを逆さまに下ろした。
「俺を捕まえてみろよ、木偶の坊」
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