第8話 クランプス
魔獣が雄叫びをあげながら、その巨大な手で来須に掴みかかった。体重の影響か、魔獣の動きは亀のように鈍い。来須の特化したスピードがなくとも避けるのは難しくない。
来須から見れば、魔獣の動きはスローモーションだ。
だが、動くたびに起きる風圧が、来須の邪魔をする。普段と違い、思ったように空を飛ぶことができない。
一撃でも食らえば終わりという状況は、人間とハエに例えるとわかりやすい。いくら時間を稼げても、いずれは来須も弱り、力尽きていく。その瞬間を狙われれば勝ち目はない。
一定の距離を保ちつつ、魔獣の視界をくるくると回る来須。
ひたすら注意を引くことに専念した。
スピードを加えて攻撃しても、そう大したダメージにはならない。今はまず、真純に注意がいかないようすることが適切だ。
攻撃こそ単調だが、やはりその体格差の壁はそう簡単に埋まらない。
風圧や咆哮は、来須のスピードをもってしても避けることができないからだ。
「このただでかいだけのノロマが、大人しくしてやがれ!」
来須は撹乱しつつ、生物の弱点となる箇所、魔獣の眼球を狙った。
体毛に覆われた分厚い肉の壁より、遥かに脆い部分である。
加速を上手く使い、魔獣の眼球へと直進する。そして勢いを殺さず、渾身の蹴りを打ち込む。
瞬間。魔獣から今までにないほどの咆哮が轟いた。さすがに体格差があったが、それでも多少なりとも大きなダメージは与えられたようだ。
「うわっ、感触が気持ち悪いな。二度とやりたくないぜ、仮にも生き物の眼球に足突っ込むなんてよぉ」
それでも殺されるよりは遥かにましだ。
来須は少しずつ、魔獣の動きというものを理解していく。
それを魔獣と称してはいるが、来須の知っている普通の獣と特に大きな違いはなかった。それこそ体格差くらいである。
動きは、普段から心得のあるトナカイとあまり変わらない。それは魔獣などという大層なものではなかった。
単調で大仰、短時間で容易くその動きが読めてしまうもの。
最初こそ、その大きさや凶暴さに呆気取られたが、もはや恐れるに足りない。
正確な指示を出す相手がいないため、どうしても動きが悪くなる。力だけしか持たない、考えなしの獣。
「はは、どうしたよ、そんなんじゃいつまで経っても俺を捕まえられないぜ」
挑発しながら、来須は魔獣の周りを飛び回る。
「教えてやるよ鈍足野郎。どっちが狩られる側かってことをなぁ!」
少しずつ余裕ができてきた。このまま何もなければ、無理なくこの魔獣を退治できるかもしれない。
来須は一旦魔獣から離れ、わざと攻撃を誘う。
魔獣の巨大な前足が振り上げられ、来須の背後に建てられていた遊具が破壊される。そしてこれが、彼の狙いだった。この瞬間こそ、まさに好機。
壊された遊具には、滑り台やブランコ、他には鉄棒などもあった。
その一つ、鉄棒の残骸から手頃な棒を三本ほど拾った。
魔獣の力を借りてではあるが、まさにお手製のセルフ武器である。
来須は再び飛び上がると、その二つの鉄の棒を持ちながら、魔獣の鼻先へと突っ込んだ。
まず一本、そして二本と、魔獣の目玉に直接突き刺す。
瞬間。魔獣は激しく体を揺らしながら、衝撃波のような咆哮をあげた。
「いてぇだろ。はは、血の涙が出てるぞ、ヤギ野郎」
次にブランコの鎖を魔獣の後ろ足に引っ掛け、バランスを崩させた。すぐに引きちぎられてしまいそうなほどに脆い鎖だが、数秒間だけでも動きを封じられればそれで十分だった。
来須は先ほど拾っていたもう一本の金属棒を握りしめ、暴れ狂う魔獣の真上へと飛んだ。
帽子がばたばたと風で揺れる。
足の裏を空へと向け、魔法の力を利用して一気に急降下する。手に持っている鉄の棒を魔獣の脳天へと向け、頭上から勢いを乗せて突き刺した。
金属棒が頭蓋を突き破り、下顎を粉砕した。貫かれた肉の隙間から血しぶきが飛び散った。
反動で来須は大きく跳ね、砂場へと叩きつけられる。
「ど、どうだ……今のは効いただろ」
その時、たしかな手ごたえを感じた。魔獣はしばらくピクピクと体を震わせていたが、時期に動かなくなった。
「……なんだ? あの鳥のような人間は」
黒いサンタクロースの服を着た謎の人物が、怪訝な顔で呟いた。
その風貌から、魔獣の周りを飛び回っている来須が、聖ミラウス学園の生徒だと気づいた。
魔獣を援護しようとしたその時、目の前にもう一人、聖ミラウス学園の制服を着た少女が現れる。
咄嗟に、黒服は身構えた。
「ふん、なるほどな。私を倒せば、あのクランプスをどうにかできると思っているわけだ。浅はかな」
赤いサンタ服を着た少女、真純は首をひねりながら訊ねた。
「……クランプス? それってもしかして、あの怪物のことを言ってるの?」
「なんだ、知らないのか。まあいい、死に行く相手に答える理由など、私にはない」
黒服のサンタは、顔全体に大きな刺青を掘っており、見ただけでは年齢がよくわからない。だが、その顔つきから性別が男であることは明らかだった。
「あなた、いったい何者? どうして保育園を襲うの? ていうか、その格好なんなの?もしかして、私たちの真似?」
「お前たちに教えてやる義理はない」
「その刺青はかっこいいと思って入れてるの?その妙に芝居がかった口調もわざとなの?」
「うざい! さっきなんなんだお前はっ! いい加減にしろ! 答えないと言っているだろうが!」
真純の質問攻めに、さすがの黒服も苛立ちを覚えた。鬱陶しいと感じない方が異常である。
この男は不審者だが、真純への対応は正常だ。
しかしながら、それはあまり適切ではない。真純は己が納得するまで、しつこく疑問を吐き出す異常者だ、感情を露わにしたところで解決はしない。
男は冷静な口調でシリアスな雰囲気を作っていたが、壊れるのは早かった。
「そう、答えないの。ならいいわ、あなたを縛り上げて、できる限り常識から外れない程度に拷問して、無理やりにでも吐かせてあげる」
瞬間。真純の瞳からハイライトが消え、虚ろなものへと変化する。
聖ミラウス学園では、彼女が質問攻めをしてくる頭のおかしい人間ということは周知の事実である。故に、彼女に対して誤った扱いをする者はいない。
だが、それを知らない黒服は、彼女のパンドラの箱に触れてしまった。まだ完全には解放されていないが、もはやそれは時間の問題だ。
真純は対等、もしくは下に見ている相手から納得のいかない返しをされた時、その本性が露呈する。
仁義や道徳など関係なく、どんな手を使ってもその口から欲しい言葉を絞り出す。彼女の異常性の根幹は、その答えへの執着にあった。
さすがに黒服も気づく、この女は危険だと。
「何が目的で、いったい何者なのか、後でゆっくり問いただす」
「ちっ、なんなんだこの女はっ! 面倒だ、黙らせてやる!」
すると、黒服は空中に、サンタクロースが背負う大きな白い袋を出現させた。
それはまるで意思があるかのごとく、生き物のように動いている。
異様な光景だが、真純は眉をひそめるだけで、特に驚いてはいなかった。むしろ、何か言いたそうである。彼女は、今にも疑問を口から吐き出したかった。
「これが俺の持つ魔法だ。この袋は魔獣の一種でね、俺の意思でありとあらゆるものを飲み込む。一度捕まれば逃げられないぞ」
「ご丁寧に説明どうも。その調子で、さっきの私の質問にも答えてほしいのだけれど」
「小娘が、そうやって余裕を見せていられるのも今のうちだぞ」
黒服はすました態度の真純に苛立ちを覚え、息を荒くする。
そして、次々と空中に大量の袋の魔獣を出現させる。
「醜く逃げ惑うがいい!」
声を張り上げた瞬間、袋の魔獣が一斉に真純へと襲いかかった。それはまるで、肉食生物による捕食行為のようだった。大きく広げた口で、真純を丸呑みする。
「はっ、はははっ、ざまぁないなぁ。所詮、まだ子供では俺の相手など務まらないのだよ」
黒服はふてぶてしい笑みを浮かべ、次の標的に照準を定めようと、来須の方へと向き直った。
その時だった、背後を何者かに殴打され、黒服は前方へと倒れ込んだ。
「ぐっ……だ、誰だっ!」
振り向き、男は己の眼を疑った。そこにいたのは、先ほど袋の魔獣で飲み込んだはずの真純だったのだ。
真純は何事もなかったように、落ち着いた表情を浮かべ続けていた。
「なに倒れてるのよ。まさか、ちょっと小突いただけでもうギブなの? はぁ、大人のくせに情けない」
「お前、いったいどうやって」
黒服は額に青筋を浮かべる。
「教えてほしいなら、まずは私の質問に答えてからにしてくれる?」
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