第20話 夢と希望


 次の瞬間、縮小されたジャングルジムによって来須と呉人の体は拘束された。来須の足も、さすがにそう都合よく間に合ったりなどしなかった。

 すぐに自分の拘束だけを解き、呉人は灰を払いながら立ち上がった。


 来須も必死に解こうとするが、魔道具によって作られた頑丈な灰からは抜け出せない。

 非常に呆気なかった。必死に脱出しようと足掻くも、縮小のスピードには間に合わなかった。いや、正確には間に合っていた。しかし、ジャングルジムという複雑な檻が、その行手を阻んだのだった。


「まったく、時間を無駄にした。お前はもう少し利口だと思っていたが、どうも私の勘違いだったらしい」


 拘束されて地べたに倒れる来須に、呉人は失望の眼差しを向けた。あれほど罠だとわかっていながら、来須は僅かな可能性に賭けて強行してきたのだ。いくらそれが最良になり得る可能性があったとしても、罠にかかったネズミの姿は哀れなものだった。


「これでは昨夜と同じじゃないか。まさか、またあの女に助けてもらうのか? まあ、もしあの女が来ているのであれば最初から魔法を行使していたか。この広い空間にお前のその足、そしてあの女の透過魔法、私を追い詰めるには十分だ。そうすればいくらか勝ちの目があっただろうに」

「は、はは……お前はともかく、他のクネヒトのことも考える必要があったからな。そんな状態で、切り札を簡単に投入したりしねぇだろ。あの気持ちの悪い魔獣のことだってある」

「なるほど、たしかにそれは考慮すべきだな。あの女を失えば私に勝つ手段は無くなってしまうかもしれない。まさに切り札は最後まで取っておくということか。いや失礼、勘違いしていたよ。てっきりお前が、私とタイマンでもする気だったのかと思ってしまった」

「ばぁか、んなこと誰がするかよ。たしかにてめぇは憎たらしいが、変な私情よりも子供たちのが大事なもんでね」


 あくまでも優先したのは子供たち、そこに個人の勝敗などはどうでもよかったのだ。そもそもの話、サンタクロースにとって戦いにおける勝利など、何の成果にはならない。彼らが欲するのは子供たちの夢と幸福、たったそれだけなのだから。


「やはり、お前は嫌いになれないな。私とはまるで違うが、子供たちのことを第一に考えて動いている。失うのは、とても惜しい」


 己の姿を重ねたのか、呉人はすぐにとどめを刺したりはしなかった。何を思ったのか、来須へと語りかける。


「出会う場所が違っていれば、私たちは友人になれたかもしれない。お互い、志は同じなのだから」

「はっ! ふざけんな、てめぇとダチになんてごめんだぜ。俺はなぁ、お前みたいな勘違い野郎が一番嫌いなんだよ」

「ふん、そうか……なら、ここで死ぬといい」


 来須の頭上に、再び聖灰で形成したギロチンを出現させた。

 まさに断頭台にかけられたも同然の状態だ。逃げることも、防ぐこともできない。


「無謀にも私の元へ来たりしなければ、もう少し長く生きられたものを」


 呉人は哀れみの言葉を紡いだ。


「殺せるものなら殺してみろ。断言してやる。俺は死なない」

「強がりもここまで来ると滑稽だな。この空間には私とお前の二人だけ、あの女の助けも来ない。あったとしても、もう遅い。つまり、お前はここまで死ぬ以外ないんだよ。ゾンビのように生き返るとでも言うなら、是非ともそうしてみてくれ」


 来須の首に、鋭い漆黒の刃が落とされる。地響きが起きるほどの衝撃とともに、土埃が舞い上がった。

 その瞬間、来須の首は無残にも切り落とされたはずだった。しかし何故か、血飛沫が一切吹き上がらない。


 デジャブのような状況に、呉人は目を白黒させた。

 初めてあった昨夜同様、来須の首に刃は通っていなかった。いや、正確には通ってはいた。だがその刃先はただ地面に突き刺さるのみで、来須の首は繋がったままだった。


「ど、どういうことだ? ここにあの女はいないはずだ……なのに何故、お前が透過魔法を使っている!」


 呉人は声を震わせた。


「ここにはいない? 本当にそうか?」

「な、なんだと?」


 その瞬間、呉人の視界に二人の人物が映し出された。

 一人は真面目とは程遠い風貌の少女、そしてもう一人は恵まれた肉体の少年。どちらも、呉人が見知った存在だった。


「昨夜はどうも。仮面がないと、結構イケメンじゃないの。顔だけだったら満点だったのに、残念ね」

「俺もあんたの顔を見るのは初めてだな。祈りの最中は外してるみたいだけど、普段は立ち入り禁止だったもんな」


 明石真純、そして遠野礼二。聖ミラウス学園に通う、来須のクラスメイトである。

 真純とは昨晩、ミラーナの家で対峙している。礼二とは裏で繋がり、協力関係にあった。

 その二人の存在を初めて認知し、この不可思議な状況にも察しがついた。


「なるほど。礼二、君がそちら側についていたのか。君に裏切られるとは、少し予想外だったよ」

「最初に言ったろ、俺は強者の下につく。あんたじゃなくて、来須を認めたってだけのことだよ。結果として、俺の目は正しかったみたいだな」


 礼二のステルス魔法を使い、ずっとこの地下教会に二人は潜んでいたのだ。そして魔法を解いた瞬間、まるで突然その場に出現したかのように感じた。最初から、目の前に二人がいたのに気づかなかった。これは昨夜、クネヒトたちが行ったのと同じ方法だった。


 呉人は探知結界を避けるため、礼二の魔法を使って街へと侵入した。来須たちはそれと同じ方法を使い、この地下教会へとやって来たのだ。


 それも真純の壁抜けを使い、他のクネヒトとエンカウントすることなく、呉人のいる地下教会の最奥までフリーパスで到達していた。これによって、どうして何の騒ぎも起こさずにたどり着いたのか、その方法がわかった。同時に、何故この地下教会の場所を来須が知っていたのかという疑問も、礼二が寝返ったことで察することができた。


 だが、ここで新たな疑問が生まれた。どうして来須は、初めから二人の魔法を使わなかったのか。

 最初に透過とステルスを発動していれば、そもそも呉人と闘う意味などない。いくら魔道具があっても、三人の魔法を同時に看破するのはほぼ不可能だ。


 呉人の頭の中で、嫌なイメージが膨らんだ。振り返ると、椅子の上に寝かせていたはずの子供たちの姿がどこにもなかった。忽然と消えてしまっていたのだ。


「ま、まさか……これがお前たちの狙い?」


 動揺する呉人を見て、来須はほくそ笑んだ。


「ふっ、ばぁか。今頃になって気付いたのか、ノロマ」

「くっ、お前は最初からずっと、子供たちだけを見ていたのか」

「そういうことだ。礼二の魔法を使っても、子供たちが急に消え始めたらてめぇに気づかれちまう。だから俺がわざと時間を稼いでたのさ。てめぇは子供たちも、俺を処理することばかりに意識を向けすぎた」


 体についた灰を払いながら、来須は立ち上がった。

 その表情は、彼が幼い少女を見つめている時のように不気味だった。


「もう子供たちは真純と礼二が安全なところに連れて行った。最初からずっと、俺らは子供たちを助けることを第一に行動してたんだよ」

「さすがに疲れたわよ。それに、気の短いあんたがいつ我慢できなくなるか、こっちはヒヤヒヤしてたしね」

「うるせぇ、気が短いとかお前にだけは言われたくねぇんだよ」

「ったく、こんなところでもいつもみたく口喧嘩できるんだから……お前らってある意味すげぇよな」 


 呆れながらも、礼二は嬉しそうに笑っていた。


「ふ、ふざけるな。勝てる勝負を優先せず、先に子供たちを助けるだと?」

「それが俺たちにとっての勝利だ。てめぇらと違って、サンタクロースってのは子供たちの夢と幸福のために存在するんだよ」


 子供たちの財産を守ることこそがサンタクロースの存在意義であり、在り方なのだ。サンタクロースとは、与えることに意味がある。どんな理由があっても、決して奪うようなことは許されない。来須の目からは、その意志が強く感じられた。


「ほれに、約束したからな。絶対に守ってるやるって。はは、破ったら鉄の処女アイアンメイデンの刑だからよ」


 来須は小指を突き立てた。あの日、保育園でプレゼント渡した日の約束を、彼はいま果たしたのだ。

 諦めたように、呉人は片膝を着いた。


 もはや言葉を紡ぐことさえ無意味だった。三人の魔法を相手に、呉人が勝つ術はない。聖灰による攻撃はそもそも通らず、眠らせようにも礼二な魔法で探知できなくなればそれも不可能。加えて来須のスピードを前に逃げることもできない。


 チェックメイトだ。

 達観した表情で、呉人は両手を上げた。


「降参するよ。今回はお前たちの勝ちだ、大人しく負けを認める」


 しかし呉人は、心なしか気分は穏やかだった。

 道筋は違えど、根本的な想いは同じなのだと感じていた。


「そういえば、まだお前の名前を聞いていなかったな」

「来須、日永来須だ。別に覚えてもらわなくていい」

「ははは、酷いな……けど、多分忘れない。その顔も、名前も……」

「気持ち悪いからやめろ」


 男に顔も名前も忘れないと言われ、良い気分になるはずもない。仮に嬉しいと感じる者がいるなら、それはそちら側の人間だけだ。


「私はたしかに負けた、だが諦めたわけじゃない。この身がどうなろうと、子供たちを救いたいという気持ちは変わらない。それだけは言っておく」

「うっざ、てめぇも我が強いな。悪いけど、それはもう真純だけで間に合ってるんだ。これ以上、面倒くさいのはごめんなんだよ」

「え? 私がなに?」


 自覚のない真純は首をひねった。だが、その疑問には答えない。いちいち説明するのが気怠かった。


「あのなぁ、子供ってのはてめぇが思ってるほど弱くねぇんだよ。結局、何も見えてねぇのはてめぇさ。目の前の救えなかった命のことばかり考えて、全てを極端に解決しようとした。それがそもそも間違いだったんだ。てめぇは単純に、自惚れてただけなんだよ。まあでも、今更てめぇに何を言ったところで無駄だと思うけどな」


 来須は酷く呆れたように、それでいて哀れむように呉人を眺めていた。

 それはある意味、自分を見ている気分だった。

 この男もまた、懸命に子供たちを救おうと足掻いた。

 その方法や方向性は違えど、その気持ちに偽りなどはなかった。

 間違っている、と来須は言った。けれど、それはあくまでも法やルールから外れているからに過ぎない。そもそも正解など、最初からありはしないのだ。


 たとえ誰かを犠牲することになったとしても。

 誰かを傷つけてしまう結果になったとしても。

 呉人は己の信念を貫いた。だが、それは信頼あってのことだったのだ。側から見れば、ただの小児性愛の強い身勝手な人間でしかない。正当化するには、世界の信用が必要なのだ。


 しかし、簡単には手に入らない。それだけ信頼とは大きい。

 サンタクロースが深夜に民家に侵入し、子供たちにプレゼントを渡せるのも、時間をかけて手に入れた信頼あってのことなのだ。


 だが、信頼があれば全てが正しくなるというわけではない。あくまでも、それが正しいと思われるだけだ。

 世間でいう正義やルールなど、ほとんどがその程度のものである。


「なら、お前はどうするつもりなんだ? 私が間違っていると言うなら、当然あるんだろう?いったいお前はどうやって子供たちを救おうと言うんだ?」

「はぁ、お前の頭の中には喜劇の台本でも詰まってるのかよ。まあ、笑えないんだけどな」

「理想論を持つだけなら誰にだってできる」

「そうだな、持つのは自由だ。けどな、それを行動に起こしたらテロリストと変わらねぇんだよ。子供たちを救う? あのなぁ、てめぇがやってるのはてめぇの気に入らねぇことを押し付けてるだけの行為に過ぎないんだよ。この世のどこかで、必ず不幸を背負う者は存在する。逆に言えば子供たち子供たちって、ただ子供たちを救うことばっか考えてるてめぇは、単純にてめぇの好きなもんに拘ってるだけの自分勝手野郎だ。本当に正義を語るなら、この世から悪ってやつを消してみろ。まあ、そんなことは神に不可能だがな」


 それはあまりにも冷たく、突き放すような言葉だった。だが、ぐうの音も出ない正論である。

 所詮、呉人は己が守りたいものを守ろうとしただけで、その他のことなど考えてはいない。


 極端に言ってしまえば、子供たちを救うという大義名分を振りかざし、障害となる者を殺そうとした。犠牲があって正義が成り立つなら、それは自己満足を肯定するための言い訳で終わってしまう。


 人によって、守りたいものは様々だ。だが方法が過激になればなるほど、理解とは程遠いものになる。

 非情だと言われればそれまでだが、特定の何かを守るために正義は掲げるものではない。

 目の前で救えるものに全力を尽くす、それが最低限であり最大限の正義だ。


「もう二度と、子供たちを救おうなんてバカな思想を持つな。全部捨てて、まっさらなてめぇに戻るんだな」


 救済など、エゴイストの言い訳だ。呉人は同族である来須に諭され、初めて己の間違いに気づけた。

 自分の愚かさを悟った呉人は、その場に座りこんだ。



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気の短いサンタクロース 江戸川努芽 @hasibahirohito

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