第15話 緋色の鮮血はやがて黒へと染まる
頭から靴の先まで全身を黒い服で覆い、顔までも黒い仮面で隠した謎の人物。その服装は、つい最近見たことのある、記憶に新しいものだった。
その人物の指先は、そっと電灯のスイッチへと添えられており、もう片方の手には大きな袋が握られていた。
「な、なんでここに……」
思わず、声が震えた。その動揺は、イヤホンを通して携帯電話から学長へと届いた。
『おい、どうした?』
「学長、すぐにこの家に応援をよこしてくれ。どうやったかは知らないが、クネヒトが侵入してやがった」
『な、なんだと? わかった、すぐに向かわせよう!』
来須はプレゼントの入った袋を床に置き、ミラーナを守るようにベッドの前に立った。
「てめぇ……クネヒトだな」
仮面の人物は、若干こもったような少し低めの声で答えた。それは男だということがはっきりわかるトーンだった。
「へぇ、学生からその名で呼ばれるのは初めてだな。学園の回し者かい?」
「はは、まあそんなところだな。あのクソジジイの読み通り、てめぇらはどうもクリスマスに拘りが強いらしい」
「ふん、知ったようなことを言うな。お前たちは何も知らない、この世界の残酷さを。子供たちに目先の幸福だけを与え、厳しい現実から救いはしない。全てが偽善、紛い物だ。私はそんなお前たちに教えてやっているんだよ、それらが全て無駄な行為だとな。だから一年前も、そして今夜も、私は子供たちを救いに来たんだ」
「偽物だ? てめぇらのやってることこそ単なる偽善だろ! ただの自己満足、てめぇのことを子供たちに押し付ける! それこそ無駄じゃねぇかよ! てめぇのわがままに、子供たちを巻き込んで正当化するんじゃねぇ!」
来須の言葉は、僅かながらに仮面の男は反応した。
顔は見えなかったが、心なしか苛立ちを覚えているようだった。
「……黙れ」
「え?」
「お前ごときに、そんなことを言われる筋合いなどない!」
仮面の上からも、男の顔に血管が浮き出ていることが伝わった。
「まあいい、早くそこを退け。私はその子供に用がある」
「はぁ? 誰が退くかよ! てめぇ、この子をどうするつもりだ!」
「救済だ。残酷な世界を知る前に、私がその子を救う。何かあってからでは遅いのだよ。この世は、悪意に満ちているのだからな」
「だからって、すべてを奪う権利がてめぇにあるのかよ! 勝手にてめぇで正しいことを決めつけて、夢も自由も与えねぇのか!」
「うるさい、ただの生徒の分際で偉そうに説教するな。誰かがやらなければならない。この世の価値観に侵され、己の我を通すこともできない愚か者が」
「己の我だと? てめぇはわかっててそれを貫き通すつもりかよ!」
「そうだ。お前のように、世間に思考を毒された半人前にはわからないだろう。子供たちをこの世の悪意から救うには、悪意に殺される前に未来を奪うしかないんだ! これが私の正義なんだよ!」
仮面の男は激昂すると、持っていた袋に手を突っ込んだ。
何か武器を取り出すかと思い、来須は咄嗟に身構える。だが、出てきたのは武器ではなく謎の黒い粉だった。
来須は訝しげに眉をひそめる。しかし同時に、何やら嫌な予感が頭をかすめた。
「ま、まさか!」
だがその思考が追いつくよりも早く、男が取り出した黒い粉は徐々に形を作り、持ちやすい棍棒へと変わった。
男はそれを振り上げ、来須の頭に斜め上から振り下ろした。
しかし、来須は避けなかった。もし避ければ、後ろにいるミラーナが危ないと感じたからだ。その思考が行動を制限し、咄嗟に受け止めるという行為が間に合わなかった。
単なる黒い粉の集合体だったが、その一撃は本物の棍棒で殴られたのと同じ衝撃だった。
よろける体を必死に起こすが、黒い粉は再びその姿を変え、来須の四肢に纏わり付いた。
両手両足を固定され、床に押しつけられる。まるで黒い粉は生きているかのようだった。
「な、なんだ……この魔法は」
「魔法ではない、魔道具さ。学園の生徒でクネヒトのことを知っているのなら、聞いたことくらいはあるだろう。学園の地下で保管されていた魔道具……聖灰を」
「せ、聖灰……だと?」
『聖灰!? おい今、聖灰と言ったのか!?』
会話を聞いていた学長がイヤホン越しに声を張り上げる。
「そうだ。私の意のままに姿を変える。お前の魔法が何かは知らないが、この魔道具の前では無力さ」
「くっそ、ふざけやがって。いや待てよ、聖灰を持ってるってことは、てめぇがあのクネヒト共のリーダー、玄野呉人なのか?」
「ああ、その通りだ。まあ、最初から隠すつもりなどはなかったんだがな」
「へ、へぇ……リーダー直々にお出ましとは、今日は本当に特別な日らしいなぁ」
「私に真実を告げた聖夜だからな。その私が引きこもっているわけにもいかないだろう」
呉人はミラーナを抱きかかえ、その体を聖灰で固定した。
『おい、聞こえるか?』
「あぁ? うるせぇな、聞こえるっての! つうか応援はまだか! 早くしねぇと、逃げられちまうぞ!」
『そ、そのことなんだが……そうも言ってられない状況なんだ』
「はぁ? どういうことだよ!」
『今、街の中にクネヒトが突然大量出現し、その対応に追われていて戦力を集められない状況になってしまったいるんだ!』
「な……なんだと?」
来須の表情が、絶望の色に染まった。
こんなことはありえないからだ。本来なら、探知魔法によってクネヒトが街に侵入すればすぐに感知できた。突然現れたりなどするはずがない。
そもそも、呉人が侵入できている時点でおかしかったのだ。何かそれを避ける魔法を使えば話は変わるが、この男が持つのは相手を眠らせる固有魔法と、灰の魔道具だけである。
この男が呉人だとわかった時点で、探知魔法が看破された事実に気づくべきだったのだ。
だが、その衝撃と多すぎる情報量の処理に追われ、思考から外してしまっていた。
「てめぇ、いったいどんなトリックを使いやがった!」
「さぁな、自分の頭で考えろ。さて、私はそろそろ去るとしようか。時期に私の同志たちも、子供の回収を終えて撤退する頃だ」
「ふざけんなっ! 誰がてめぇをほいほい逃すかよ!」
這いつくばりながらも、決して戦意を緩めない来須。
今にもその胸ぐらに飛び込みたかったが、体を拘束する灰が邪魔をする。
「諦めろ、お前ごときにその灰をどうにかすることは無理だ。魔道具は、どこにでもいるただの生徒に看破できるほど甘くはない」
呉人は来須を見下し、眠っているミラーナを袋に詰めて部屋を出ていこうとした。
「待ちやがれ! この臆病者が!」
去り際に放たれた言葉に、呉人は足を止めた。
「私が……臆病者だと?」
反応こそ意外だったが、来須は時間を稼ぐチャンスだと感じた。
「ああ、そうさ……てめぇはただ、怯えているだけだ。八年前に子供を救えなかったことから、ずっと逃げてる。だからてめぇは子供を攫うんだろ? あの日のような現実を、もうてめぇが見たくねぇから!」
「……それの何が悪い」
呉人の声が妙に重々しく、息苦しいものへと変化した。
「怖くて何が悪い。子供を救えない恐怖に比べれば、子供の未来を奪うことなどには何も感じない! 死んでしまっては未来も夢も、現実すらも意味をなさない! 違うかっ!」
感情を剥き出し、呉人は叫んだ。
己が間違っていると感じながらも、子供に未来を与えるのが怖い。怖くて怖くて、それでもどうしようもできないから、未来そのものを奪おうとする。
だがそれらが決して正しいとは、彼自身も思っていなかった。誰かが手を汚してでも、子供たちを守りたい。そんな苦渋の想いが、呉人から伝わってきた。
「だから、それはエゴだって言ってんだろ。それはてめぇが、何よりも理解できてることじゃねぇか!」
「黙れっ! 怒りで何も耳に届かない! お前は私のことを理解できるはずだ! なのに何故、そこまでして否定する!」
「それはこっちのセリフだ! てめぇは俺が言ってることを、誰よりも理解してるじゃねぇか! もうやめろ、てめぇが逃げるために、子供たちから未来を奪うな! 子供に夢を与え、その将来を願うことが、俺たちサンタクロースじゃねぇのかよ!」
「黙れっ!」
呉人の怒号が轟き、同時に聖灰で生み出した黒い刀を来須へと振り上げた。
「この手で、殺してやる。そして二度と、そんな現実を口にできなくさせてやる。最初は、殺すつもりまではなかったのだがなぁ」
その瞬間、来須は己の死さえも覚悟した。聖灰によって体は拘束され、もはや避けることは不可能だった。
目を閉じ、無駄に足掻くことすらやめた来須だったが、一向に刀の一撃は襲ってこなかった。不思議に思い、来須はその目をゆっくりと開いた。
「……え?」
見ると、灰の刀はしっかりと来須の首元へと振り下ろされていた。しかし、傷ができるどころか、来須には一切干渉していなかった。
「こ、これって……もしかして」
隣に目を向けると、見知った少女が来須の体に触れていた。
「ギリギリセーフね。感謝しなさいよ、このロリコン」
「ま、真純……!」
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