第12話 聖夜の悲劇
八年前。
聖ミラウス学園、卒業試験前日。
明日の試験を控えた三年生は、皆が放課後残って魔法の鍛錬に励んでいた。
サンタクロースの仕事には、大きなルールが存在する。全ての子供たちにプレゼントを配ることはもちろん、決して夢を壊してはならないということだ。そのためにも、姿を見られなくするための魔法や、円滑にプレゼントを運び終えるための移動魔法などを、中庭で実践している生徒は多かった。
だがそんな中、中庭のベンチで静かに本を読んでいる生徒が一人いた。
他の生徒と違い、どこか余裕を感じさせる。焦ったりなどせず、魔法のイメージトレーニングすら行っていない。
彼の名は玄野呉人、聖ミラウス学園で過去最高の成績を持つ首席だ。
整った顔立ちに、知的な雰囲気を漂わせるメガネ。目は綺麗な二重で、肌は生を感じないほどに白い。
髪を肩よりも少し上のところで切り揃え、真面目で勤勉な印象を自然と受ける。
その優れた容姿と成績から、女子生徒からの人気が高く、噂ではファンクラブのようなものまで作られているらしい。
だが、本人からは全く異性との噂を聞かないため、中には同性愛説を推している者もいる。
それは単に、同性愛を好むものだけには止まらず、異性への人気に対して嫉妬心を抱く者による嘘の噂でもあったりする。
異性からも同性からも多種多様な注目を集めており、憧れや嫉妬という感情を多く向けられている。
人によっては、期待という想いに応えきれず、己を見失ってしまう者もいるだろう。
そんな彼が中庭で本を読む姿は、言わずもがな絵になる。今も丁度、生徒たちから熱い視線を多く浴びせられている。
「見て、あそこにいるの玄野さんよ!」
「ああ、本を読むお姿もお美しい」
「うーん、どうにかお近づきになれないものかしら」
彼に憧れや好意を抱く者は、陰からただ眺めるだけ、声をかけたりすることはほとんどない。
しかし、呉人のベンチへと近づく者が、一人だけいた。
「ここにいたのか、玄野」
赤い服を着た白髯の老人が、馴染みのある雰囲気で声をかけた。
「学長、どうしました? 僕に何か?」
「いや、特にはない。ただ、明日はついに卒業試験だ。我が学園首席の君が、試験に向けていったい何をしているのか、少々気になってね」
「ははは、そうですか。別に僕は何も特別なことはしてませんよ。むしろ緊張と不安で、今にも吐きそうです」
冗談、というわけでもなかった。
容姿端麗、成績優秀、どこを取っても非の打ち所がない彼だが、実はメンタル面があまり強くない。それでいて思考は自信家とは真逆なネガティブ思考、余裕などありはしない。
はたから見れば、呉人は特に悩むことなく、前日に本を読んでいても試験に合格できると、余裕に浸っているように映っているだろう。
しかし、実際は違う。彼が前日に本を読んでいるのは、単なる現実逃避に過ぎないのである。
「まったく、君ほどの魔法使いが不安を覚えるほどとは、どれだけ我が学園の試験は難解なのかね」
「それは買い被りですよ。自分はまだ半人前です。ただ、人より少しできるだけで」
「その少しがすごいんじゃないか。君は、我が学園の誇りだよ。ほほほ、私が学長の代に君のような優秀な生徒を持てたこと、本当に誇りに思う」
「そう言っていただけると光栄です」
謙虚な態度で、呉人は後頭部に軽く手を当てた。
「けど、やはり不安です。いくら成績が良くても、本番で失敗すれば意味がない。それに、子供たちの夢を壊してはならないというプレッシャーは、あまりにも重たい」
「なるほど、自分ではなく、子供たちことを想ってか。それで不安を覚えてしまうとは、君は優しすぎるな。もう少しわがままになったとしても、誰も文句は言わないだろうに」
良い意味で欲がないと言えるが、魔法使いにとってそれは致命的だ。内に秘めた大きな知的探究心の結晶こそ、魔法の力そのものだからだ。
だが、呉人にはそういった欲すら、微塵も心に宿していなかった。
子供たちに夢を与える。それだけが彼を学園首席にまで押し上げた力、勉学の糧だったのだ。
「そうですね。強いて言えば、不幸な子供をより多く救いたい、それが僕のわがままです」
「ほぉ、それはある意味、誰よりも強欲かもしれないね」
「言ったのは学長じゃないですか。そりゃ、一つのわがままくらい、大きく出ますよ」
「うむ、それで結構。君はまだ若い、夢見がちな方が、年相応だ。その勢いで、明日の試験も頑張ってくれたまえ」
「はい。前より少し気が楽になったように思えます。期待に応えられるよう、全力で取り組みます」
呉人は活力を漲らせ、読んでいた本をそっと閉じ、ベンチを立った。
しかしその翌日、事件は起きた。
卒業試験当日、時刻は深夜零時。
卒業を控えた生徒たちは、校門の前に集合していた。
今からプレゼントの入った袋を学園から受け取り、学園島にある街に配りに行くのだ。
門の前に置かれた壇上に教師が上がり、メガホンで生徒たちに試験内容を改めて説明した。
各自が順番にプレゼントを手に取り、相棒のトナカイと共に街へと繰り出して行く。
やがて呉人にも順番が回り、プレゼントの入った袋が手渡された。
「頑張れよ、玄野」
「はい! それじゃあ、行ってきます!」
担当教諭から激励を受け、呉人はソリに乗って街へと向かった。
呉人が担当する家庭は、街の外れにある小さな家だ。
あまり裕福とは言えないが、両親と今年小学生なった娘が三人で暮らしている。
家の前まで着くと、呉人は相棒のトナカイを近くに待機させた。
ここからは、彼らの持つ魔法の出番である。決して正体を見られたりしてはならない。それは子供たちの夢を壊してしまう。サンタクロースである以上、その姿を簡単に晒すようなことは許されないのだ。
呉人は家に手をかざし、体から溢れる青白い光で建物を外から包み込んだ。
この結界の中に入ってしまうと、人は次第に眠気を覚え、わずか数秒で意識を失ってしまう。
家族が眠ってしまえば、侵入することはさほど難しくはない。呉人の魔法はある意味「麻酔」に近く、確実に三十分以上の時間を稼ぐことができるからだ。
だが呉人が煙突へ登ろうとした瞬間、ある異変に気付いた。
何故か、扉が開いていたのだ。
本来であれば、サンタクロースは正面からではなく、屋根から煙突を伝って家の中に入る。
しかし、どういうわけだか扉は閉まっていなかったのだ。それも、ただ鍵が開いているだけでなく、扉自体が少しだけ開け放たれている。
十二月下旬という寒い季節に、扉を開けっ放しにして寝る一家がいるだろうか。明らかに何かがおかしい。
恐る恐る、呉人は正面から家の中に入った。当然、中は真っ暗で何も見えない。
呉人は手探りの状態で照明のスイッチを探した。
電気を点けたとしても、呉人の魔法が効いているため、家族が起きてしまうことはない。
部屋の明かりを点けた瞬間、呉人は思わず声を漏らした。
目の前の異様な光景に面食らい、驚きのあまり尻餅をついてしまう。
「あ、ああ……そんな、こんなことが……」
無意識に呟き、呉人は頭を抱えた。
部屋の中はまさに惨状だった。
壁や天井は血しぶきで汚れ、中央には三人の死体が転がっていた。それはこの家の父親、母親、そして娘と思われるものだった。
母親は娘を守ろうと必死に抱きしめ、背中を何度も刺されており、母親の腕に覆われた娘は首をえぐられ、全身を己の血で赤く染め上げていた。
そして二人の隣では、自らの腹を刺して倒れている父親らしき男の姿があった。
呉人はすぐに察した、これは一家心中だと。この家はただでさえ貧しく、厳しい生活を強いられていた、それに耐えきれなくなってしまったのだ。
その瞬間、呉人の頭の中で何かの糸がプツンと切れた。
まるで魂が抜け落ちたように、呉人は何もない虚空を見つめ続け、固まってしまう。
やがて立会人の教師が、現場の異変に気付いて駆けつけた。
だがその時も、呉人はただ呆然としながら、一言も声を発することはなかった。
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