第18話 その袋に詰めるもの

 

 扉の方から聞き慣れた声が響いた。視線を向けると、クラスメイトの遠野礼二が部屋の入り口に立っていた。その手には缶コーヒーが握られている。


「大変だったらしいじゃねぇか。襲われて怪我したんだって? それにしては元気そうだな。頭殴られてむしろ冴えたか?」


 軽く缶を放り投げられ、来須は戸惑いつつも受け取った。


「うるせぇオタク野郎、嫌味を言いに来たんならさっさと帰れ」

「おっと、怖いねぇ。人がせっかく見舞いに来てやったってのに」


 礼二はプルトップを開け、中のコーヒーを一気に飲み干す。


「ちょっと! それ私のじゃないの?」


 二本あるうちの片方が、当たり前のように自分のだと感じる真純。そのあまり見習いたくない図太さに、礼二も苦い顔を浮かべる。


「私だって負傷したんだけどぉ!」

「いや、お前は元気じゃねーか」

「これは差別よッ! 今すぐ私の分も買って来て! 早く!」

「なんでだよ! 自分で行け!」

「お前らうるさいぞ、怪我に響くだろ」

「あんたこそ元気でしょうが! 私がいなかったら、今ごろ殺されてたんだからね!もっと感謝の気持ちとかないわけ?」

「はいはい、感謝してますよ」


 まるで普段の日常に戻ったような気分だった。この何もない、いつもの教室での日々、妙な安心感に包まれる。自然と、来須の顔が穏やかなものになっていた。


「お、元気出てきたな、ロリコン」

「黙れキモオタ、ニヤニヤするな」

「キモくはねぇだろ! てか、お前にだけは言われたくない!」

「あんた、オタクは否定しないのね」

「隠すつもりもないぞ」


 世間ではオタクに対して冷たい視線が浴びせられているが、この三人の中ならむしろ一番まともな存在だろう。

 小児性愛気質の変態、好奇心の権化、アニメオタク。扱いやすさに関しても、前者二つの方が面倒だ。


「さて、そろそろ私は行くとするか。とにかくまずは、例の保育園を襲ったクネヒトから話を聞くことにしよう。口を割ってはくれないだろうが、何もしないよりはましだ」


 学長は三人の輪に入るのは場違いだと判断したのか、そそくさと医務室を後にした。保健医も便乗し、学長に続いた。


「ちっ、使えねぇジジイだ」

「おい来須、学長に向かってそれはないだろ」

「ふん、お前は知らないだけだよ、あのジジイのクソさをな」

「よっぽどみたいだな。やれやれ、何があったのやら」


 クネヒトや玄野呉人のことについて何も知らない礼二は、肩をすくめて首を振った。

 来須の負傷に関しても、試験中のアクシデントということになっている。学園はまだ、世間や生徒にクネヒトのことを何も話してはいない。

 謎の黒服に襲われたことまでは認知できていても、それがかつて学園の生徒であったこと、保管されていた魔道具を奪ったことなど、詳しいことは何も知らない。


「ったく、去年といい今年といい、何で聖夜にこう変な事件が起きるんだろうな。ついてねぇよな、俺なんて普通に試験はクリアできてたってのによ」

「ああ、サンタクロースの誘拐事件、これ以上の風評被害は勘弁してほしいぜ」


 また世間に何も好評していないせいか、クリスマスの印象が悪くなる。

 今回は謎の黒い服の集団が目撃されているため、学園にも僅かながらに圧力がかかり始めていた。もしもこの事件を学園側が対処できていれば、印象も多少は良かったかもしれない。


「つうか真純、お前が学長相手に何も質問しないなんて珍しいな。昨夜のこと、相手が学園のトップだろうとなんだろうと、気持ち悪いくらい質問してんのに」

「ま、まあ……今回は来須のお見舞いに来たわけだし、その辺は時と場を弁えたってことで。てか……私そんなに質問ばっかりしてないし、知らなくてはならないことをただ尋ねてるだけでしょ!」


 本人はそう言うが、ただ単に自覚がないだけである。全校集会の最中などであっても、真純は問答無用で質問をする。彼女が他人に配慮をすることなどはない。


「はぁ……お前の口から時と場って、頭が痛くなるぜ」

「まったくだ。こちとらただでさえ頭殴られて痛いってのによぉ」

「それはあんたがちゃんと避けないからでしょうが! 大事な時にトロいんだから」

「うるせぇっ! 狭い室内だと俺の魔法は使いにくいんだよ! それに、避けられない状況だったから仕方ねぇだろ! お前は一部始終を見てねぇからわかんねぇだろうけどなぁ!」


 トロいと言われたことに、異常なほど反応を示す来須。彼の前で、遅い、鈍いと言った言葉は厳禁である。


「あらそう、てっきり鈍臭くアホな顔して突っ立てたのかと思ったわ」

「んなわけねぇだろ……って、ん? いや、ちょっと待てよ」


 すると突然、来須は神妙な面持ちで固まった。震えた手で自分の頭を触り、近くの窓へと向き直る。


「こいつ、急にどうしたんだ?」

「さぁ、今頃になって包帯でも欲しくなったんじゃない?」

「そうだ……包帯だよ。礼二、お前なんで知ってたんだ? 俺が殴られたってこと」


 冷めたような、酷く低い声で呟く来須。


「……はぁ? いや、そんなの見ればわか……あっ……」


 来須の頭部に視線を向けると、礼二は目を見開いた。そこには、傷などはなかったからだ。いや、正確にはあった。だが、髪の毛に隠れていて傷は認知できない。


「ふん、わかるわけねぇよな、この状態じゃ傷は見えない。俺は包帯もしてねぇし、血だって垂れてない。なのに、お前は俺が頭を殴られたことを知っていた。これはどういうことだ?」

「そ、それは……」


 礼二の顔色が次第に青くなる。


「気づかない俺も間抜けだったな。よく考えれば、クネヒトが突然結界の中に現れたのも、お前の魔法があれば説明がつく」

「はぁ? な、何のことだよ。くねひと? 意味がわからねぇな」


 冷や汗を流しながらも、礼二は惚けた様子で答えた。しかし、来須と視線を合わせる気が全くない。


「俺が玄野呉人に殴られたことを、お前は最初から知ってたんだ。じゃなきゃ、頭殴られたなんて口走るはずがねぇからなぁ。普通、どこを怪我したのか真っ先に聞くはずだろ」


 礼二は下を向き、黙ってしまう。


「おい、顔を上げろ。まさかこの状況でやり過ごせるとでも思ってるのか?」

「怪我のことなんて、ただの言葉の綾だろう。俺があの黒服と繋がってたっていう証拠はどこにもない」


 礼二から、明らかな動揺が見て取れた。目は泳ぎ、声も僅かに震えている。


「学長が妙に内通者のことを気にしていたが、本当にいたとはな。お前、今までも少しずつボロ出してたんだろ。どうなんだ?」


 来須が攻めるも、礼二はバツが悪そうに押し黙ってしまう。


「何とかいいなさいよ! あんた、どこまで知ってるの?」

「どうも、お前は昨夜の一件に関して妙に詳しいらしいな。もう今さら隠し事はやめようぜ?俺たち、友達じゃねぇか」


 その口調からは、何の親しみも感じられなかった。ただ脅しているようにしか聞こえない。


「あのなぁ、別にお前を責めたりはしねぇよ。俺はただ、あのクソ野郎から子供たちを助けたいだけだ。なぁ、頼むよ……連中の居場所、教えてくれねぇか?」


 声を荒げているわけでもないのに、来須からは普段以上に怒りが感じられた。徐々に礼二との距離を詰める。


「お前が何で連中に手を貸したのか、そんなことを問い詰める気はない。いいから早く、子供たちを攫って行った場所を教えろ」


 礼二の唾を飲む音が、室内に響いた。


「はは、本当に大切なんだな……子供たちが」

「あぁ? んなの当たり前だろ! それこそ今更じゃねぇか!」

「お前はいつも、子供たちのことを優先しているな。こんな俺とは大違いだ」

「何のことだ?」

「俺は自分が大切で、常に己を磨くことを第一に考えてきた。それは今でも変わらない。だから、あの男の下についた。より強い魔法使いに従うことは、不思議なことか?」

「さぁな、興味もねぇよ」

「ふっ、否定も肯定もしないか……実にお前らしい」


 真純も、特に咎めたりするようなことはなかった。クラスメイトが敵の一人だったとわかっても、もはやその過程などどうでもよかった。

 裏切りがバレたりすれば、普通なら殴られてもおかしくない。むしろ友人であればなおさらだ。

 だが、二人は簡単に受け入れた。まるで些細なことのように、自然と。


「お前がクネヒト側にいる理由が強さだって言うなら、俺にだって考えがある」

「……え?」


 礼二は怪訝な顔で訊き返した。


「この俺に投資しろ。今から、俺があのバカをぶっ飛ばす。そのために協力しろ。より強い野郎の下につくんだろ? だったら俺が超えればいいだけのことだ。違うか?」


 来須は自信に満ち溢れた表情で、臆する様子など全く見せずに言ってのけた。

 普通なら笑われてもおかしくない、取るに足らない世迷言だ。

 礼二はその無謀な発言に戸惑い、目を剥いて唇を震わせていた。


「本気かよ……お前」

「悪いが、俺は冗談なんて言わない」

「ったく、参っちゃうわよね。付き合わされるこっちの身にもなれっての」


 真純はやれやれと言った表情で、動じることなく受け入れていた。


「別にお前は来なくてもいいぞ。またどうせ眠らされて、足手まといになるのがオチだ」

「あのねぇ、そうやって昨日の失態持ち出さないでよね! あんたがちゃんとその足で助けてれば問題なかったんだから!」

「はいはい、すみませんねぇ」

「むかつく、このロリコン」


 謝罪の気持ちが全く感じられない返事に、冷めた表情と声で怒りを露わにする真純。


「まあ、俺たちの答えは変わらない。勝ち逃げなんかさせねぇんだよ、あのバカに。だから連中の場所を教えろ、んでお前も一口乗れ。お前の求める強者がどっちかってこと、俺が証明してやるからよぉ」


 その瞳に自信と活力を漲らせたサンタクロースは、ふてぶてしく微笑んだ。



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