クレイジートレイン
牧野は信じる。努力の果てに、幸運は訪れると。
諦めなければ、活路はあると。
突破口を探し、フィーネマンの構える銃口を睨む牧野。
突如列車は急加速した。
――今しかない!
「死ねっ!」
フィーネマンの向ける銃の銃口が、突然の加速で私から外れた。
その隙にナイフを投げる。
フィーネマンに、ではない。
あいつが入ってきた、壊れた窓にだ。
さっきあいつは、このナイフがお母さんを殺した凶器だって言っていた。
だから、署まで来いと。
つまり、このナイフしかまだ証拠がないんじゃない?
「――っ、最高だね君ぃ!」
思惑通り、フィーネマンは証拠品を海に落とさないため、ナイフに飛びついた。
「そっちも死ね!」
走りだしながら、パンクゴスロリの女に拾った拳銃を撃つ。
「ちょ、お前!?」
良かった。弾、出た。
弾丸は躱されたけど、体勢は崩れた。
距離が稼げる。
でも、これからどうする?
先頭方面に向けて走っているが、その先のプランはない。
だけど、全力で抗ったんだ。
きっと、チャンスは訪れる。
私の祈りは――届いた。
「え、」
「動いたら撃つよ!」
ちょうど目の前の個室から、小学生の女の子が飛び出してきた。
……どこかで追い抜いた子、かな?
状況を理解できていない彼女に銃を突きつけ、抱えるようにフィーネマンへの盾にする。
ちょうど、フィーネマンはこっちに銃を向けてきたところだったけど、女の子を見て銃を下した。
「え、お姉ちゃん」
「黙って! 死にたいの?」
銃口をこめかみにおしつけ、黙らせる。
女の子が大人しくなったのを確認し、フィーネマンの方を見て叫ぶ。
「近づいたらこの子を撃つよ!」
フィーネマンは両手を上げて肩をすくめた。
むかつく。
パンクゴスロリの方は……まだ状況を理解しきれてないみたい。
でも、どうする?
フィーネマンたちを視界に収めるようにしながら、チラリと周囲を探る。
目に入ってきたのは、【展望デッキ】の文字。
何かに導かれるよう、女の子を盾にしながら私はデッキへの階段を登った。
「僕の想い人に小学生の女の子が人質に取られちゃったんだけど、誰か手あいてない? 爆発音がした先頭車両見てくれるんでもいいけど!」
牧野のナイフを弄びながら、連絡を取るフィーネマン。
『小学生の女の子が人質に取られたぁ? 何やってんだよフィーネマン!』
「こっちはこっちでちょっとヤバいから無理!」
最後尾のロボは、爆弾を見て頭を抱えていた。
『俺も厳しい。腕を切り落としたやつらの処置をしねぇと、全員死んじまう』
『俺たちは』『当然だけど』
『『無理だねぇ』』
『暁の鐘の音が――』
「祇園精舎はダメ! よーし、君たち!」
フィーネマンはAとアルファの肩を叩いた。
「えっ、何だよ?」
「君たちは運転席をよろしく!」
そう言い残すと、走って展望デッキへの階段を登っていく。
「は? いや俺は何も!」
フィーネマンは振り返らない。
「……はぁ。いや、逃げない。俺はやるよ、しょうがねぇ」
アルファは先頭車両に向けて走り出した。
人質の少女、ヒマリを抱えた牧野が飛び込む展望デッキ。
時間としては、それより少し前。
強風吹き荒れるそこで、佐々木健二は震えていた。
結局、何も出来ない。しなかった。
俺は、俺のせいで乗客みんな死ぬかもしれないっていうのに、ただここで震えていた。
今頃、もう誰か殺されてしまったんだろうか?
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ただ蹲って、謝ることしか出来ない。
いや、こんなの何もしてないのと一緒なんだ。
ただ、自分の罪悪感を少しでも減らすために謝ってるだけだ。
自己嫌悪で死にたくなる。
でも、死にたくない。
どうしても死は怖い。
そうしてただただ震えていると、突然列車が急加速した。
「ひっ!?」
元から強かった風が、更に強くなる。
死ぬ? 嫌だ、死にたくない。
じゃあ降りるか? でも、下にはテロリストがいるはずだ。
結局何も出来ない。
ここで震えているしかない。
でも、いつかテロリストはここにも来るんじゃないか?
怯えてドアを眺めた、その時だった。
「――っ!」
ドアが開いた。
でも、入ってきたのはテロリストではなく。
「ひ、ヒマリちゃん!?」
「おじさ――」
「黙って! あなたも動かないで!」
血まみれの女子高生に人質に取られた、ヒマリちゃんだった。
何が起こっているんだ?
何か予想をするより早く、またドアが開く。
「一応言っとくけど、その子を放して投降しない?」
「フィーネマン! 追って来たら撃つって言ったよね!?」
黒ヘルメットの男だ。フィーネマンというらしい。
こっちもこっちで、ワイシャツが血まみれだ。
本当に、何が起きてるんだ?
俺はどうしたらいい?
いや、本当は分かってる。
俺には、何もできない。
牧野は悩んだ。
全力で抗って、ここまでは来れた。
でも、この後どうする?
展望デッキにいた男の人は……何もできなさそうだ。
【獲物選び】で培った私の人物評価は、結構当たるはずだ。自分を信じよう。
だから、結局問題はフィーネマンだ。
どうしたらいい?
佐々木健二は、何も出来ない。
自分には何もできるはずがない。
今までの人生と同じだ。
大きな決断なんてしないで、簡単なほう簡単な方に流れて。
努力するのは【その場しのぎ】の時だけ。
そんな自分に何かが出来るはずがない。
フィーネマンもまた、嫌な予感がしつつも何もできずにいた。
普通、唯一の人質を本当に殺したりしない。
その先がないから。
でも、でもだ。
彼女、絶対普通じゃない。
そのうち撃つだろう。
恋する男の勘がそう言っている。
だけど、動けない。
牧野君の目は、ずっと僕だけを見ている。
僕が銃を構えたら、たぶん本当に撃つ。
どうする? 覚悟の時は、多分近いぞヒーロー。
膠着する状況。
最初に覚悟を決めたのは、牧野だった。
よし、殺そう。
唯一の人質を殺すなんて、誰も思ってないはずだ。
だからこの子を殺して、みんなが驚いているうちに海に飛び込もう。
最悪の日の、最悪の状況。
こんな状況になるなんて、本当に運が悪すぎる。
でも、抗う。
今できる最大限は、これだ。
引き金にしっかりと意識を集中する。
ゆっくりと、だけど確かに力を込めて。
「助けて! 刑事のおじさん!」
子供が叫んだ。
「う、うわあああああ!?」
蹲っていた男が、情けない声で叫びながらこっちに走ってきた。
何考えてんのコイツ!?
佐々木は何も考えていなかった。
何で動きだしたのか、自分でも分からなかった。
でも、人質に取られたヒマリちゃんの表情をはっきり見て、理解した。
あぁ、俺が適当に積み上げてきた二十一年の佐々木健二よりも。
たった一時間くらいの刑事のおじさんの方が、価値があった。
それだけのことだ。
女子高生がヒマリちゃんに向けていた銃は、こっちを向き。
俺の腹部を弾丸が撃ち抜いた。
「君っ!?」
フィーネマンは心の中で舌打ちした。
失態だ。
一般人に行動させてしまった。
牧野君が銃をあっちに向けた瞬間、僕も撃った。
でも、間に合わなかった。
「ぎっ!?」
感電した牧野君が展望デッキの柵に寄りかかり、カーブに入って落下した。
あぁ、本当に失態だ。
牧野君を追いかけて海に飛び込みたい気持ちを抑え、撃たれた男に駆け寄る。
「おじさん! おじさん!?」
僕よりも早く、人質だった女の子が駆け寄って揺する。
「あはは、ヒマリちゃんが無事で、良かった……」
「ヘルメットのおじさん! 刑事のおじさんを助けて!」
刑事? そうは見えないが、今そこをつくのは無粋だ。
「ごめん、応急処置しか出来ないけど、死んだらダメだぞ!」
被弾箇所は、急所でこそないが楽観できる場所でもない。
偽物の刑事が少女を救う少し前。
A/アルファは運転席にたどりついた。
「こりゃ、ひでぇ……」
『多分、即死だね』
青服の、たぶんテロリストたちの一員だったやつはバラバラになっていた。
状況を見るに、たぶん至近距離で爆弾が爆発したんだろう。
『アルファ、大丈夫?』
「あぁ、大丈夫だ。落ち着いてる」
正直頭は痛いし、色々混乱もしてる。
でも、正しい事のために動いている。そんな気がしている。
止まってる時間はない。
『見て! 生きてるよ!』
Aの言う通り、死体にまみれて倒れている女は生きていた。
あれは、車内販売の姉ちゃんだ。
「傷は……ねぇな。運が良い……のか?」
そもそも、今日この列車に乗った時点で、運は最悪な気がするが。
『たぶん、テロリストたちが壁になったんだと思う』
「……因果応報、か。おい、起きろ!」
強く揺すって、姉ちゃんを起こした。
程なくして目覚めた氷取沢。
彼女はブレーキをかけるレバーを握りしめながら、なんとも言えない気分になっていた。
まさか、本当に爆弾で自動運転装置が壊れて、私が運転することになるなんて。
でも。
計器を見る。速度は、やっぱり全然落ちてない。
「おい、どうなってんだ!?」
「……壊れた自動運転装置が、全力で加速の指示を出してるみたいです」
「……つまり?」
「このままだと、あと一五分くらいで新高天原駅につっこんで全員死にます……」
「なんとかならねぇのか!?」
意外だ。
私を脅してきた女の子が、必死でみんなを助けようとしているのが意外だ。
それに。
こんな状況で、諦めないで冷静に動けている自分が何より意外だった。
冷静に、計算する。
そうだ、私なら出来る。
そういう妄想を、ずっとしてきたんだから。
冷静に、冷静に。
客観的に、答えを出す。
「例えば、乗客全員を最後尾の貨物部に移動させて、誰かが力技で切り離して、加速させてるエンジンを爆弾とかで吹き飛ばせたら、乗客は助かります」
「……つまり?」
「もう駄目ですぅ!」
無理だ。冷静に計算してもダメなものはダメ。
やっぱり、妄想は妄想に過ぎないんだ。
「なるほど、それって本当かい君?」
「ふぇ!?」
突然声をかけられ、肩越しに顔を覗き込まれた。
黒いヘルメットのやばい人に。
「あぁごめんごめん。僕警察だから安心して」
手帳を氷取沢に見せながら、フィーネマンは通信を繋いだ。
「誰か爆弾とかもってない? どうしても必要なんだけど」
『あるわけ』『ないじゃん』
『『馬鹿なの?』』
『そんなもん持ってるわけねぇだろうが、あ?』
ロボは、目の前の爆弾を見ながら答えた。
急加速で、間違った方の線を切ってしまった爆弾を。
解除に失敗した爆弾を。
「ある。10分くらいで爆発するやつが」
『でかした!』
ロボは複雑な気分になった。
「後輩君! さっきの聞いてたよね?」
フィーネマンの問いに、すぐに答えが来る。
『エンジンを爆発させる話ですか?』
「その通り。で、どう?」
『既に計算しておきました。八分後に貨物部を切り離し、十分後にエンジンを吹き飛ばせれば【乗客は】助かります。ただ……』
「聞いたな? 全員乗客を最後尾の貨物部に集めて! 祇園精舎は爆弾持って先頭に! それで問題は……
『既に避難誘導は開始しましたが……』
人工島新高天原の、新高天原駅。
クレイジートレイン以外にも様々な交通機関の要所であるそこ。
東京を越えた人工島のターミナル駅には、恐ろしい数の人がいる。
商業施設なども併設されているため、避難誘導は一筋縄では行かなかった。
『みなさん。落ち着いて避難してください。これは訓練ではありません』
機械音声アナウンスが、緊急事態を告げている。
各所で悲鳴が上がり、パニックが起きる。
『方法はありますが……』
言い淀むオペレーター。
フィーネマンが続きを催促するまえに、答えを言うものがいた。
「ブレーキをかけ続ける人が必要、なんですよね?」
オペレーターの声など聞こえていないはずの氷取沢だったが、理解していた。
乗客が助かったとしても、列車に突っ込まれた新高天原がただでは済まないことを。
「爆弾が爆発するまで、ずっとここでブレーキをするひとが必要、なんですよね」
『すごいですね彼女。その通りです』
「その通りだって、すごいね君」
『そうすれば列車の速度が下がり、被害範囲、つまり避難範囲が狭まるので間に合う可能性が高まります。ですが……』
「死ぬね。その人」
運転席に沈黙が満ちる――かに思われた。
氷取沢愛生は、フィーネマンの顔をしっかりみて、すぐに答えた。
「じゃあ、私が残ります」
「君……」
「いや、なんか適当なもので固定とかすればいいだろ!?」
「これ、意外と複雑なことやってるんですよ?」
ブレーキレバーを全力で下ろしながら、運転装置を操作し続ける氷取沢。
「私しか出来ませんし、決まってるんですよ規則で。こういう時は、乗務員が最後まで残るって」
フィーネマンもアルファたちも気づいていた。
表情こそ取り繕っているが、氷取沢の手足が恐怖で震えていることに。
「それに私! こういう妄想ずっとしてて、こう、乗客のために命をかけ――」
「君は素晴らしい人だ。全然タイプじゃないけど、本当に尊敬できるよ」
無理に明るく振舞おうとする氷取沢を、フィーネマンが止めた。
「わかった、君に任せた」
「――っ、フィーネマンお前!」
「ありがとうございます」
「だから最後に握手しよう」
「はい!」
「あっ、おい!」
フィーネマンと氷取沢の手が、しっかりと繋がる。
「必殺、握手サンダー!」
「あばばばばばばば!?」
氷取沢愛生は気絶した。
「彼女は頼んだ。絶対に生かしてよね、君たち」
氷取沢の代わりにブレーキをかけ続けるフィーネマン。
氷取沢を担いだアルファは、尋ねる。
「……死ぬ気か?」
「言っただろう? 僕は改造人間、この立派な車掌さんと違って100パー死ぬってわけじゃないから」
「……そうかよ」
アルファは、フィーネマンの肩を一度叩いた。
「俺はアルファ、もう一人はAだ。死ぬなよ」
それだけ告げ、背を向ける。
「オッケー、覚えた」
運転席を、去る。
「アルファ君とエー君、次あったら署で話を聞こう!」
「やっぱり死ねっ!」
最後尾。三等客車の貨物部。
「押さないで、落ち着いて下さい。時間に余裕はあります」
ロボは避難誘導をしながら、思いをはせる。
祇園精舎は間に合うか? まあ、あいつならきっと大丈夫だろう。
爆弾をひっつかんで、窓から飛び出して屋根の上を走っていった。
これだから
『えー、これかな? あ、あってるね。あー、新高天原警察の来井です』
車内のスピーカーからフィーネマンの声がする。
『皆さん、落ち着いて聞いて下さい。まず、憂う魚たちによるテロは解決しました。ですが、列車エンジン部でトラブルがあり、皆さんには避難をしてもらっています。安心してください。三等客車の貨物部なら安全です。現在、新高天原警察が避難誘導を行っています。もし、テロから逃れるため隠れている方などがこの放送を聞きましたら、落ち着いて、急いで、三等客車の貨物部に、列車最後尾に向かって下さい』
「あいつ、真面目にも喋れんのかよ」
若干感心しながら、避難誘導を進める。
五分ほどして、乗客の避難は殆ど終わった。
ほっと一息つく。
さて、ユアちゃんでもからかって元気をもらうかなぁ。
「……いない?」
本当にいないのか? よく探す。いない。
「ユアちゃーん! いたら返事してー!」
大声を出しながら、記憶を掘り起こす。
……ここだ。
フィーネマンから連絡があった時だ。
小学生の女の子が人質にとられた、私は馬鹿正直に復唱しちまった。
あの時のユアちゃんの顔。
あれは、決意をした顔だ。
友達を救う、決意を。
「クソっ、マジで使えねぇ個性だよ!」
思い出せるだけなんて、なんてくだらない。
その時に気づかなきゃ無意味だろうが!
氷取沢を担いで走るアルファは、視界の先に人影を二つ見つけた。
大人の男と、それに肩を貸す小学生の女の子。
佐々木とヒマリだ。
「おい! 走れ! 最後尾まで走らねぇと死ぬぞ! 爆弾が爆発する!」
アルファの叫びは、佐々木の耳に届いてはいた。
フィーネマンの放送も、聞こえていた。
だが、もう走れなかった。
「もう、おじさんはいいから、ヒマリちゃんだけでも」
「…………」
もう、歩く気力も出てこない。
へたりこんでしまう。
アルファは、決断の時が近いことを感じていた。
この姉ちゃんを担いでる時点で、余裕は全然ない。
もし、あの二人も追加されたら……。
『……女の子だけなら、担いでも間に合うと思うよ』
「……っ、あっちはダメか?」
『ごめん』
二人は近づく。
決断しなきゃいけない。
しかし、事態はアルファの予想を超えていく。
「ヒマリちゃん!」
三等客車の方から、一人の少女が走ってきた。
ユアが、ヒマリの元にたどり着いたのだ。
「ユアちゃん!? どうして」
「よかった、よかった」
生きていて、よかった。
ヒマリちゃんを確かめるように、抱きしめる。
涙が溢れるのが止まらない。
小学生の女の子が人質に取られたと聞いた時、ヒマリちゃんのことだとすぐにわかった。
そして、気づいたら走りだしていた。
「おい! 感動の再会は後にしろって! 走らねぇと死ぬぞ!」
向こうの方から、女の人の声が聞こえた。
「そ、そうだよ。行こうヒマリちゃん!」
ヒマリちゃんの手を引っ張るけど、ヒマリちゃんは動かない。
「……ユアちゃん、このおじさん命の恩人なの! おいていけないの!」
へたりこんだ男の人を見る。腹部に血が滲んでいる。大けがなんだろう。
意識は、あまりないみたいだった。
「たすけて! ユアちゃん!」
「……うん、わかった!」
二人で男の人に肩を貸す。
重い。
それでも、一生懸命足を動かした。
間に合わない。
Aはそう結論を出した。
少女一人だけなら、追加しても間に合った。
でも、二人は無理だ。
友情は美しいけど、犠牲者が一人増えただけ。
決断する。
この三人は、切り捨てる。
『アルファ、ごめんね』
「A、何を」
美しい小学生二人の友情。
しかし、現実は美しさではどうにもならない。
小学四年生二人では、成人男性に肩を貸して走ることは出来なかった。
子供二人では、間に合わない。
佐々木健二を助けることは出来ない。
子供二人では、だ。
「なにやってんだ餓鬼っ!」
ユアの目は、恐ろしい形相で向かってくるロボをはっきり捉えた。
「ロボっ!?」
ロボが私に駆け寄ってくる。
身構えた私を、ロボは抱きしめた。
「こういう時は、大人を頼る! 大人に黙って勝手に動かない!」
ロボの手が、頭を撫でる。
「でも、ロボ、全然信用できないから……」
「……それに関しては、何も言い返せないけどさぁ」
ため息を一つ吐くと、ロボは私とヒマリちゃんを担ぎあげた。
「……っ、待って! おじさんが!」
叫んで暴れるヒマリちゃん。
「安心して。祇園精舎ァ!」
「仕った」
エンジン部に爆弾を設置し終えた祇園精舎は凄まじい速さで列車を駆けぬけ、佐々木を抱き上げた。
氷取沢を抱えたアルファ。
ユアとヒマリの小学生二人を担いだロボ。
佐々木を抱き上げた祇園精舎。
三人は、車内を風のように駆ける。
二等客車の貨物部を越え、三等客車を走る。
「……踏みとどまったな、お主」
朦朧とする意識の中で、その呟きは佐々木の耳に届いた。
「そう、かな」
「うむ」
それを最期に、佐々木は意識を手放した。
最後尾へと向かう三人に対し。
一人、先頭の運転席に残ったフィーネマン。
大音量でaikoを聞きながら、ブレーキをかけ続ける。
『……先輩、さっきの言葉ですが』
「嘘じゃあないじゃない?」
すぐそこのエンジン部が爆発して、運転席の人が生き残る確率。
一般人ならゼロパーセントだ。
でも、僕なら。
「99パーセント死ぬけど、ゼロじゃないし」
『先輩……』
別に、死にたい訳ではない。
ただ、僕の正義感は納得している。
こういう事態は、警察官になった時すでに覚悟していた。
だから、ただただ切ない。
牧野君のナイフを、掲げるように眺める。
色んな悪人が、この列車には乗っていた。
すごい悪いヤツも、ちょっと悪いだけのヤツも、色々な悪人が乗っていた。
ぐちゃぐちゃのドミノみたいに、そんな悪人たちの思惑が絡み合って、崩れて。
生まれた一つの絵が、この現状だ。
なのに、死ぬのはたったの僕一人。
これを、切ないと言わずしてどうしよう。
「じゃあ、通信切るね」
返答を待たず、マスクの通話機能をオフにする。
僕の耳に届くのは、aikoだけだ。
恋。
愛。
愛しさ。
楽しさ。
嬉しさ。
そして、切なさ。
「やっぱりaikoは天才だよ」
2054年5月20日、午前8時27分。
爆弾は作動し、切り離された三等客車貨物部以外を吹き飛ばした。
この日のクレイジートレインでは、多くの人が亡くなった。
多くの悪人が死んだ。
けが人も、数多くいた。
しかし。
最後の【列車事故】による【民間人】の死者は、ゼロ名である。
同日正午、新高天原駅。
ある女性警官が、瓦礫まみれの駅に立っていた。
大きく減速こそしたものの、グローリーライナーは駅に衝突した。
膨大な質量が与えた被害は凄まじく。
煌びやかだった駅は、見る影もない。
ただ、瓦礫が残るのみである。
そんな、大きく変わってしまった駅。
一人の女性警官が、立っていた。
その腕の中には、幾つものヒビが入った黒いヘルメット。
彼女の良く知る人物が、いつもつけていたものだった。
「先輩のお陰で、死者はゼロ名ですよ」
グローリーライナーは吹き飛んでしまった。
新高天原駅も、復興までしばらく時間がかかるだろう。
経済的な損失は、計り知れない。
それでも、それでもだ。
人的被害は、ない。
いくら建物が壊れても。
いくら列車が壊れても。
いくら荷物が壊れても。
いくら商品が壊れても。
直せばいい。
また造ればいい。
また買えばいい。
取り返しは、いくらでもきく。
どうしようもないのは、たった一つ。
人命。
人の命だけだ。
正義のヒーローを自称する、変人のお陰で。
取り返しのつかない被害は、なかった。
「どうしてですか、先輩」
私はヘルメットに語り掛ける。
いつもそうしていたように。
語り掛ける。
「どうして生きてるんですか先輩?」
「いやぁ、本当にね?」
喋るヘルメットを、コツコツとノックしてみる。
「ほんと、99パーセント死ぬはずだったんだよ、僕」
「じゃあ何で生きてるんですか、警視」
「二階級特進させないでよ! 僕まだ警部補だから!」
ヘルメットを撫でる。
この、表には出せない技術で改造されたサイボーグの先輩は、ここが本体だ。
だから、ここだけ残って生きているというのは、分かる。
でも、そもそもここが残らないはずだったのだ。
「この最新技術で生み出されたサイボーグの僕が言いたくないんだけどさぁ」
「はい」
「運、だよね」
「はぁ」
「運よく1パーセントを引いた、それ以上でもそれ以下でもないでしょう?」
「そう、でしょうか」
私は、考える。
「普段の行いがよかったから、とかどうですか?」
「なるほど」
先輩は少しだけ嫌そうに言った。
「因果応報、ってやつか」
これにて、この喜劇は幕を閉じる。
後に残るのは、
役者たちが列車を降りたあと、一体どうなったのか?
但し、役者の数が数だ。
少し長めに、お付き合い頂く。
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