牧野こまり 乗車経緯
赤い。赤い。
真っ赤な血が、手の間から溢れ出す。
「お、」
傷口に触れた手から感じる、鼓動が。
ゆっくり。
ゆっくり。
弱くなっていく。
「お、」
お母さんが、死ぬ。
横須賀駅のベンチで一人の少女、
「……夢、かぁ~」
制服のスカートのポケットに手を突っ込み、スマホのアラームを止めた。
変なところで寝たせいで、身体が固まっちゃった。
ほぐすように伸びをして、深呼吸。
胸いっぱいに横須賀の空気をすいこんで。
「くさっ!?」
慌てて鼻を押さえた。
そうだ、すっかり忘れてた。
環境汚染のせいで、ここは腐った魚みたいな匂いが酷いんだった。
新高天原の企業がその原因だって、過激な宗教団体がデモを起こしたっていうニュースを思い出す。
青い服を着た人達が、ニコニコ笑顔で行進していた。
『人工島がすべて悪い! 滅べ』ってプラカードを掲げながら。
全ては言い過ぎじゃない? とか、笑顔なのに物騒なプレートだなぁ、とか思った。
彼らの主張が嘘か本当かは知らないけど、今大事なのはそこじゃない。
とにかく、変な宗教が出来るくらいここは臭いってことだ。
「流石、最悪の日」
スマホを取り出し、開きっぱなしにしていた占いサイトを見る。
星座占い。誕生日占い。血液型占い。動物占い。
何度も確認した通り、全部の占いが最下位だ。
占いを信じるなんてバカっぽいっていう友達もいるけど、私は信じてる。
運勢は存在する。
特に、色々な最下位が重なる最悪の日は、本当に最悪なことが起こる。
小学生のあの時は、お母さんがいなくなった。
中学生の時は、友達と秘密の隠れ家でストレス発散してたら火事が起きた。
高校三年生の今日は、冷凍マグロを運んでいたトレーラーが事故って。
冷凍マグロがすごい勢いでばら撒かれて。
道路を滑る冷凍マグロを避けようとした車が私の泊まってたホテルに突っこんで。
水のトラブルが起きて私の部屋だけびしゃびしゃになって。
代わりの空き部屋はなくて。
太陽が顔を出したくらいの時間にホテルを出ることになって。
じゃあもう横須賀駅に行っちゃおうとここに来て。
ベンチに座って寝ちゃって今に至る。
私を目覚めさせたあのアラームは、本当はホテルで私を起こすはずだったやつだ。
冷静に思い返すと、本当に意味が分かんない。
ネットニュースで事のあらましを知った時は、三度見しちゃった。
これだけでもう一年分くらいの不運な気がするけど、恐ろしいことにまだ朝なのだ。
私はこれからクレイジートレインに乗って、新高天原の大学の、オープンキャンパスに参加するのだ。
……この運勢でクレイジートレインに? 無理では?
もう乗らない方が良いんじゃないかという諦めが心をよぎるが、頭をブンブン振って振り払う。
四年間、場合によっては六年通うことになるかもしれない大学だ。あっちは本州とは全然雰囲気が違うっていうし(というか法律が違うらしいけど)とにかくオープンキャンパスにも行かないで「えい!」と決めるのはちょっとリスキーすぎる。
それに……と鞄から取り出したるはクレイジートレインのチケット。
しかも二等客車の。
親戚の家に住まわせてもらっている私には、早割を使っても安い買い物じゃなかった。
値段だけを考えるなら三等客車が良かったのかも知れないけれど、治安が怖すぎる。
ネットに流れているクレイジートレインの噂は殆ど嘘だと知ってはいるけど、三等客車で軽犯罪が頻発しているのは事実だ。たまに重犯罪もある。
今を輝く十八の女子高生が一人で乗ったら、多分アウトだ。
一等客車なら個室だし指紋認証もあるし絶対安全だけど、それなら飛行機に乗った方が絶対に良い。値段ほとんど変わらないし。
そういうわけで、不運に立ち向かう決意を「むん!」と込めていたところ。
「あ、あああっ!?」
チケットが風に飛ばされた。
空を舞うチケットは倉庫が立ち並ぶ一角へとたどり着き、一つの倉庫の中へ滑り込んだ。
追いかけてきた牧野は半開きのシャッターをくぐりながら、心の中で悪態を吐く。
なんでこの時代に紙のチケットなのさ? もう!
ようやく追いついたチケットちゃんを拾い上げポケットに入れ、顔を上げる。
そこは薄暗い倉庫だった。
貧弱な私の語彙で表現するなら、何かいそう、って表現になるだろうか。
でもそれは全然正しくない。
何故なら何か【いそう】ではなく、【いた】から。
白のワイシャツにジーパン。なのに頭は戦隊ヒーローみたいな黒いヘルメット状の何か。
そんな超ちぐはぐな格好をした不審者が、明らかに死んでる人を持っていた。
目立った傷とかはなかったけど、一目見て「あ、明らかに死んでるな」と思った。
そんな明らかに死んでる男の人を、黒ヘルの不審者は【木箱】に詰めようとしていた。
木箱に詰めようとしている途中で、こっちを見ていた。
目と目が合う。多分。
多分なのは、そのヘルメットだかヒーローマスクだかの何かで顔が全く見えないから。
とにかく、向かい合って無音の時間が流れて。
「……好きだ」
告白された。
人生初の告白だったけど、私の脳は一瞬で返答を決めた。
悲鳴を上げて逃げる、と。
「ぎゃあ――」
でもそれは果たされることなく。
逃げ出そうと振り返った瞬間、何かバチバチとした刺激を背中に感じ。
私の意識は途絶えた。
恋。愛。
楽しさに、切なさ。
そういうものを歌ったポップソングが、牧野を目覚めさせた。
「……へ?」
「aikoはお気に召したかな?」
声の方を向くと、目の前に黒いヘルメット。
さっきの不審者が、女性歌手の曲を流していたイヤホンを私の耳から優しく外した。
……無理無理無理無理無理無理無理無理っ!
「ぎゃ――」
暴れようとした私を、不審者の男(変なヘルメットでくぐもってるけど、多分男の声だった)が抑え込んだ。
不審者に抑え込まれたのでより一層暴れたが、びくともしない。
「おっとっと、周りをよく見たまえ、君」
そう言われ、反射的に周囲を見回す。
右は小汚い海。
左も小汚い海。
上は雲一つない朝の空。
下は列車の屋根。
導き出される答えは一つ。
ここは、クレイジートレインの、屋根の上だ。
そう理解した途端、身体に吹き付ける風をようやく脳が認識しだした。
動いてる、ってことは私どれだけ気を失ってたの!? え、クレイジートレインって時速何キロ? 新幹線より速かったような……ていうか、よく考えなくても落ちたら死ぬ?
「ようやく落ち着いたようだね」
落ち着いては全くないけど、状況を理解して暴れるのを止めた私。
それを確認した不審者は私を解放し、向かい合うように距離を取った。
「それでは、自己紹介といこう」
死の恐怖と、目の前の男に何をされるか分からない恐怖。
ダブル恐怖で震える私の目の前で、不審者は妙なポーズをとりながら叫んだ。
「僕は正義のヒーローフィーネマン!」
「………………………………………………は?」
「好きな歌手はaiko。好きな曲はaikoの歌う曲だ。aikoの曲のどこが好きかと言われたら全部と即答したいところだが、それだと何も言っていないのと同じになってしまうから敢えて一つ挙げるとするならポップに歌われる恋の切なさになるだろう。勿論、僕が切ない感じがするaikoの曲が好きというだけでどんなaikoも最高だと――」
矢継ぎ早に言葉の濁流が耳を通り抜けていく。
「――まあとにかく、aikoは天才ということだ。aikoについてはまだまだいくらでも語れるけど今はそれより優先しなきゃいけないことがある。非常に悲しいけどね。さっき君は僕が死体を運んでいるのを見ただろう。あの死体については申し訳ないけど何も教えられないんだけど、更に申し訳ないことに今現時点で君にあの死体について言いふらされると困ってしまう。だから僕は君が誰かにあの死体のことを言わないか監視しな――」
言っていることは全然理解できなかったが、一つだけはっきりわかった。
「――この列車にはイカれた奴が数えきれないほど乗り込んでくる。だからさっき言った僕のメリットと、僕が君を守るという君のメリットのウィンウィン関係になるためにだね。この手錠で僕とつながってくれないか?」
この人、頭がおかしい。
「絶対に嫌です!」
恭しく手錠を差し出す変態から、後ずさりしながら距離を取る。
そして思い出す、今日の占いは出会いの運が特に最悪だったことを。
でも、【死体を木箱に詰め】て【いきなり告白してきた】と思ったら【気絶させ】てきて【早口で意味不明なことをまくし立て】て【手錠で繋がろう】としてくるオリンピック級の変態と出会うなんて酷すぎる。
「どうしてだい? ちゃんと僕の話を聞いていたなら……そうだ、一つ伝え忘れていた」
じりじりと距離を詰めてきながら、変態が両手を広げる。
「好きだ」
「ひぃいいいい!?」
「この手錠で僕と一つになろう」
「無理無理無理無理!」
落ちないように後ずさる私と、何のためらいもなく歩く変態。
列車がカーブに差し掛かる。
私は屋根の凹凸に指をかけ必死に耐えるが、変態は歩みを止めない。
着実に近づいてくる変態。
人生終了の予感に触発され、走馬灯のように記憶が蘇る。
小学生の頃の最悪の日。
お母さんはいなくなったけど、出来る限りのことをしたら犯人は捕まって、私は今ここに生きている。
中学生の頃の最悪の日。
友達は焼死体として見つかったけど、最後まで諦めなかった私は今もピンピンしている。
最悪の日は、最悪のことが起きる。
不運は必ずやってくる。
でも、抗える。
全力で抵抗すれば、幸運がやってくる。
服の上から胸ポケットの【お守り】に手を当て、覚悟を決めたその瞬間、機会は訪れた。
「……銃声?」
突如鳴り響いた聞きなれない破裂音の正体を、自称ヒーローが呟く。
「二等客車の貨物部か!」
その位置すら特定したらしい彼は、後ろを振り向いた。
――今しかない!
「死ねっ!」
背中を向ける変態を、海に向かって全力で突き飛ばした。
「ちょ、うわぁああ!?」
狙いたがわず、黒いヘルメットの変態は列車の上から落ちていった。
「やった!」
何が正義のヒーローフィーネマンじゃい!
ガッツポーズを決めた私の耳に、ガンッという何か硬いものが列車に当たる音が届いた。
嫌な予感をビシビシ感じながら、恐る恐る身を乗り出して変態が落ちた辺りを見る。
「酷いじゃないか! 君ぃ!」
ヒーローを自称するのは伊達ではなかったらしい。
両腕で車体にへばりついたフィーネマンが、こちらを睨んでいる。多分。
そのまま落ちてくれないかなぁと祈りながら眺めていたが、そんなことは当然なく。
蜘蛛か何かのようにこっちに向かってよじ登ってきた。
「キモすぎ無理っ!?」
絶叫しながら、周囲を見回す。逃げ場を探す。
列車の先頭の方、一等客車には展望デッキがある。そこからなら車内に入れるはずだ。
でも、遠すぎる。
もっと近くに何かないの!?
八つ当たりに近い祈りが天に届いたのか、それを見つけた。
最後尾。三等客車貨物部の屋根に、ハンドル状の取っ手があった。
走るように這ってハンドルに飛びつき、回す。
「君、本当に聞いていたかい!?」
変態の叫びが聞こえるが、気にしている暇はない。
開いたハッチに、下も見ないで飛び込む。
「この列車にはこれから、【狂った悪人が何人も乗り込んでくる】んだよ!?」
焦ったような変態の言葉が、ハッチを閉じる直前に聞こえた。
こうして牧野こまりは、クレイジートレインに乗車した。
しかし当然、乗客は彼女だけではない。
牧野を救った銃声。それは何故、鳴り響いたのか。
時は少しだけ巻き戻る。
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