佐々木健二 乗車経緯
クレイジートレインには貨物部と呼ばれる車両が二つある。
三等客車の一番後ろ、つまり列車の最後尾に一つ。
そして二等客車と三等客車の間に一つだ。
貨物部と言っても、ただ乗客の荷物を置いておくだけの車両で特別なものはない。
その上、殆どの乗客は盗まれる危険性を考えて貨物部に荷物を預けたりしない。
そんな貨物部にわざわざ乗せてある荷物は、よほど大きな荷物か、さもなければ。
普通ではない荷物である。
二等客車の貨物部に向かいながら、佐々木健二は自分の人生を振り返っていた。
いつ、自分の人生は狂ったのか。
最初に思いつくのは、高校受験だ。
本当に行きたい志望校は別にあった。
でも、塾の先生や両親に今のままじゃ無理だと言われた。
もっと頑張って勉強すればいける、と発破をかける意味で言ったのかもしれない。
そう考えもしたが、俺はそうしなかった。
大人の勧めるまま志望校のランクを落とし、あの高校に入った。
入学した俺は、もう顔もあまり思い出せないクラスメイトの誘いで部活を決めた。
そして、一年生の夏で辞めた。
部活がきつかったから、というのも理由の一つだが、それだけならきっと俺は辞めていなかっただろう。
退部に踏み切った一番の訳は、当時少し気が合った同じ部活の友人だった。
きつすぎるけど、一人で辞めるのはしんどい。だから一緒に辞めない? そんで、出来た時間でバンドやろうぜ。
たしか、そんな風に誘われた。
そのバンド活動も半年経たず「なあなあ」になり、二年生になったころにはその友人と関わることも殆どなくなった。
たぶん、同じきつい部活をやっていた、というのが俺とあいつを友人にしていたのだ。
やがて大学受験の時期になり、自分の学力だけ考えて志望校を決め、無事合格した。
ここまでは、うまくいってると思ってた。
でもきっと、もう駄目だったんだと思う。
俺は、何に対しても大して本気にならなかった。
だけどたちが悪いことに、俺は【その場しのぎ】が得意だった。
将来の夢とかそういうものがないから、先の先を見据えた努力は出来ない。
それなのに、テストとか、受験とか、そういう目に見えたミスるとマズい何かを回避するためにちょっと頑張ることは出来た。
そしてそのちょっとの頑張りで、何とかなってきていた。
そんな自分を【本気で努力すれば何でもできる人間】だと思っていた。
本当は【ちょっとの努力しかそもそも出来ない人間】なのに。
それに気づかなかった俺の人生は、大学で明確に狂った。
大学では、自分でカリキュラムを組む。
自分で行きたいゼミや就職先を考え、行動する。
それが、俺には全く出来なかった。
そりゃそうだ。
今まで全部の重要な決断を人に任せて、楽な方に簡単な方に逃げてきたんだから。
大学では、自分でカリキュラムを組む。
だから、いくらでも楽が出来た。
出来てしまった。
サークルに全てをかけるとかでもなく、バイトに本気になるわけでもなく。
ただただ、【何もしない】という楽が出来てしまった。
そして気づけば、どう頑張っても単位が足りない状況になっていた。
留年の危機、というか確定だ。
当然、自分で学費を払っていたはずもなく、両親に学費を出してもらっていた俺。
ごめん、留年するからもう一年分の学費出して! なんて言えなかった。
何せ、自分のことを【本気で努力すれば何でもできる人間】だと思っていたのだから。
妙なプライドがあったのだ。
この後のことは……ちょっと本気で思い出したくない。
結果だけ言おう。
大学を中退し両親に見捨てられた、借金持ちの二十一歳の無職が生まれた。
無駄なプライドのために変に足掻いて、今までなんとかしてきた【その場しのぎ】で耐えきろうとして。
気づけばこのざまってわけだが、ここで底じゃないってのが最低なところだ。
変なところから借金してしまった俺の負債は、色んなショックからちょっと立ち直ったころには膨れ上がっていた。
当たり前だが、無職に金を返せるあてなんてない。
しかし【優しい】ことに借金取りは、一つ仕事をしたら借金を無しにしてくれるという。
どんな仕事かって?
と、脳内で自問自答しながらいつものように人生を反省していたら、貨物部についた。
貨物部に荷物を預けるやつなんて殆どいないから、スカスカのはずと聞いていたのだが、そこには思ったより荷物があった。
余程大きな荷物か【普通じゃない】荷物しかないはずではなかったのか?
『まあ安心しろ、貨物部にあるのは普通じゃない荷物ばかりだ。普通じゃないってのはそうだな、例えば違法薬物とか、珍しいのだと密航者とかな!』
借金取りの言葉が思い出される。
密航者は与太話だとして、これが全部違法薬物なら世も末だ。
そんなわけで、予想外に荷物が多く、探し物を見つけるのに手間取ってしまった。
ようやく見つけたのは【大人でも入れる】んじゃないかというキャリーバッグだ。
大きすぎるほど大きなバッグを開き、中身を確認する。
目に飛び込んでくるのは、今回の【仕事】に使う荷物一式。
警察官なりきりセット+エトセトラだ。
コスプレ撮影をするわけじゃないぜ?
新高天原の一つ前の島で降りて、これを着て、お婆ちゃんから荷物を受け取るのだ。
……そうだ、分かってる。
俺は、詐欺の受け子をやらされる。いや、やるんだ。
借金取りがそう明言したわけじゃない。でも、まあ、分かる。
俺はこれから、違法なことをする。返せない借金を返すために。
だが、これで終わりにする。
借金を返したら、俺は変わる。
どんな仕事でもいいから就職して、普通になって、両親に顔見せできるようになる。
今回だけ、今回だけだ。
幸い本州と人工島は法律が違う。
そんで本州と新高天原を結ぶクレイジートレインは、なんとも微妙な立ち位置なのだ。
乗車途中のある場所、新四国と新九州の間あたりの境界線でズバッと法律が切り替わる。
例えば俺の受け子がバレて、新高天原の警察に追われるとする。
なんとか帰りの列車に飛び乗って、その境界線まで隠れたとする。
そこでズバッと法律が切り替わり、本州の法律になる。
法律が変われば警察も変わる。
境界線を越えると、新高天原の警察じゃ俺を逮捕出来なくなるのだ。
本州の警察と新高天原の警察は仲が悪い。
殺人とかの重犯罪は別だけど、詐欺くらいなら逃げ切り無罪だ。
そうやって自分を騙していると、列車がカーブに差し掛かる。
荷物たちがひしめき、押し合って、こぼれ出た何かが俺の方へ滑ってくる。
やがて俺の足元で止まったそれは、拳銃だった。
「え……って、本物なわけないか」
いくらクレイジートレインと言っても、二等客車でそれはない。あり得ない。
どこから落ちてきたんだか、と半笑いでそれを拾い上げ。
銃が暴発した。
「……痛っ!?」
想定していなかった反動に手から拳銃は落ち、文字通りの爆音に耳が痛くなる。
心臓が高鳴り、呼吸が荒くなる。
「うそ、嘘だろ?」
そうじゃないと分かっていながら呟き、両耳を押さえながら深呼吸を数回。
少しだけ落ち着いた頭が、余計なことを考え始める。
本物の銃、誰が持ち込んだんだよ。ていうか、俺、なんかの罪に問われる? 銃刀法違反になるのか? 警察に通報、はダメだ。別で捕まる。っていうかそれより。
弾は、どこに当たった?
拳銃が暴発した時、銃口がどこに向いていたかなんとか思い出し、その先を確認する。
そこにあったのは、穴の開いた大きな【木箱】だった。
中身はなんだ? 高価なものだったらどうする? 逃げられるか?
色々な考えが頭を埋め尽くし、何も行動を起こせない。
呆然と木箱に空いた穴を眺める。
十秒か、二十秒か。
やがて、その穴から赤黒い液体が流れ始めた。
ワインだろうか? だとしたら高いかもしれない。
なぜだろうか、俺はその中身を確かめなければいけない気になっていた。
何の覚悟もなしに、それを開ける。
「なっ……!?」
腰を抜かし、しりもちをついた。
「なんで、人が入ってんだよ……!」
木箱の中身は、人間だった。人間の男だった。
人間の男の、死体だった。明らかに死んでいた。
すぐに顔を反らしたせいでちゃんとは見れなかったが、一目で死んでいると分かった。
和らいでいた動悸が再び激しくなる。
不意に思い出す、借金取りの言葉。
『まあ安心しろ、貨物部にあるのは普通じゃない荷物ばかりだ。普通じゃないってのはそうだな、例えば違法薬物とか、珍しいのだと密航者とかな!』
密航者。
与太話なんかじゃ、なかったんだ。
「うっ……」
湧き上がってきた吐き気をなんとか抑え込む。
抑え込んで、もう一度木箱の中を、恐る恐る確認する。
何度見ても、明らかに死んでいる。胸に穴が開き、血が流れている。
顔は……恐ろしくなってよく見れなかった。
「なんで、なんで密航なんかすんだよ……!」
俺は、人を、殺した。
それを肯定するように、木箱から流れ出た液体は血だまりを作り始めていた。
木箱の中の、明らかに死んでいる男。
もしこの場に牧野か、もしくは自称ヒーローがいれば「あなたが撃つ前にその死体はもう死んでいましたよ」と教えてくれたかもしれない。もしくは借金取りがいれば、「いや、密航者は冗談だったんだけど」と言ってくれたかもしれない。
しかし、ここには佐々木健二しかいなかった。
自分が人を殺してしまった。
そう考えた佐々木健二はどうしたか。
人の生き方は、そう簡単に変わらない。
結局彼は、自分の【その場しのぎ】の才能を頼った。
つまり、隠蔽しようとした。
「急げ……急げ……!」
はやる気持ちを抑えながら、焦らず急いでことを進める。
銃声は大きかった。二等客車に大して人はいなかったし、クレイジートレインに警備員なんてものはいないが、誰がいつ来てもおかしくない。
まず、【仕事】の道具が入ったキャリーバッグを空にした。
大人が入れるくらいデカいバッグだ、大人の死体も当然入った。
木箱と違って穴は開いていないから、これ以上血だまりも広がらない。
死んだ男を木箱から出した時、何か魚のような生臭い匂いがして、気分が悪くなった。
人は死ぬと、そんな匂いになるのだろうか?
疑問を確かめたりしている時間はない。
次に出来てしまった血だまりを片付ける。
幸いなことに、ここ貨物部には清掃用具があった。
モップや雑巾を使って、丁寧に、丁寧に、元から何もなかったように拭き取る。
やりすぎて滑って転びそうなくらい床がツルツルになってしまったが、良いだろう。
掃除に使った道具も、残しておくわけにはいかない。死体と一緒にバッグに入れた。
「良し……!」
これで誰かがここを通っても、人が死んだとは思わないだろう。
残る問題は、血の付いた木箱と行き場を失った警察官なりきりセット。
木箱は、降りる時に抱えて降りて、どこかで捨てるしかないだろう。
なりきりセットは、どうすればいいだろうか?
基本的に違法なものはないが、一つだけ見られたらアウトなものがある。
そしてもう一つ、どこからどう見てもアウトなものがある。
これらを持っていくか、それともここに隠しておくか。
両手に持って悩んでいた時、それは起こった。
二等客車と貨物部をつなぐ扉が、開いたのだ。
マズい。
そう思ったが、遅かった。
隠す暇も、手放す暇もなく、闖入者と目が合う。
入ってきたのは、小学校中学年くらいの女の子だった。
何というか、元気そうな子だ。
服装も、髪型も、顔立ちも、元気いっぱいですといった感じの女の子。
曇りのない丸い瞳で、俺が両手にもったそれを見比べるようにキョロキョロ眺めている。
「おじさん……」
どうする!? 誤魔化せるか? 口封じ……いや、そんなこと無理だ! とにかく何か言わなければ! でも何を? どうする? どうしたらいい!? でも何か言わなきゃ!
「これは――」
「おじさん、刑事さん!?」
少女は目を輝かせた。
何で? と思った次の瞬間、理解した。
俺の左手には、アウトその一の偽造警察手帳。
右手には、アウトその二の拳銃。
そして俺の格好は、ドラマとかの刑事に見えなくもない。
「その通り! よくわかったね!」
気づけば、俺は爽やかな笑顔を浮かべていた。
いつ、自分の人生は狂ったのか。
きっといつの日か、今日を思い出すだろう。
絶対に。
「ヒマリは大鳳(おおとり)ヒマリ、四年生です!」
こうして、佐々木健二と大鳳ヒマリが出会った頃。
「ヒマリちゃん……」
一等客車の個室で、物思いにふける少女がいた。
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