氷取沢愛生 乗車経緯 & 助走
小さい頃から電車が好きだった。
レールを敷いて走らせる電車のおもちゃが好きだった。
電車の運転士だったお爺ちゃんの話を聞くのが好きだった。
だから私も運転士になりたかったし、なるものだと思ってた。
思ってたから、運転士に必要な資格とかが取れる高校に入った。
でも、上手くいってたのはそこまでだった。
私の生まれた新高天原は人工島だ。
お爺ちゃんの生きた本州と違って、電車はそんなに走ってない。
だから、運転士になれるのは成績トップみたいな極一部の人達だけだったのだ。
運転士になることしか考えていなかった私は、そのことに気づくのが遅すぎた。
勉強も運動もダメダメ、得意なことは電車を運転するリアリティの高い妄想。
身長は、中学を卒業してから伸びてない。
大学受験の準備なんてしてなくて、運転士として就職しか考えていなかった私の人生プランは急に崩壊してしまった。
でも今更受験勉強しても遅いし、浪人するようなお金は家にないし。
人生詰んじゃった? と思いかけた私を拾い上げたのが、グローリーライナーの運営会社で、今私が勤めているところだ。
運転士になりたい? 弊社ならなれるよ!
そんな言葉に【騙され】働き始め、一か月と少し。
私は労働を呪いつつある。
5月20日の早朝、横須賀駅の仮眠室で氷取沢は叩き起こされた。
特殊な目覚まし時計は絶対に二度寝を許さないが、眠気がなくなるわけではない。
ぼやけた思考でスマートフォンを取り出した彼女は、大事なことに気が付いた。
「…………はっぴーばーすでー、私」
私以外誰もいない仮眠室で、私は私を適当に祝う。
クソみたいな職場だけど、今日は良い日になるといいな! ならないだろうな……。
希望と諦観を胸に抱いて、もう体に染みついた仕事の準備を終える。
制服ヨシ。色んな持ち物ヨシ。労働に励む心の準備…………、ヨシ。
さあ、アホの労働に出発進行だ。
仮眠室を出て狂気の列車に向かいながら、自分で自分の馬鹿さ加減を今日も呪う。
グローリーライナーは【完全自動運転】なんて入社する前に調べなさいよ。
本州と新高天原を結んでるこの列車は、法律的に微妙だってことも知ってなさいよ。
人工島は全て、横須賀に一番近い新淡路でも新高天原の法が運用されてるから、てっきり列車もそうかと思ってた。
でも実際には全然違った。
横須賀を出て新四国から新九州の間くらいまでは本州の法律、そこから先は新高天原の法律と、二つの法律をいったりきたりする激ヤバ空間だったのだ。
お陰で変な犯罪に使われてるらしくて客層がヤバい時があるし、何より。
私が運転士になれない。
知らなかったのだ。本州では駅員として何年間か務めたりしないと運転士になれないなんて。新高天原ならそんなことはないのに。
本州の法律も適用されるこの列車じゃ、何があっても私は運転できないのだ。
……いや、何があってもは嘘だ。
最低の労働に励んでいる間、マイブームになっている妄想がある。
自動運転装置がぶっ壊れて、私が運転して乗客を救うって妄想。
ぶっ壊れる原因は、経年劣化だったりハッキングだったり隕石だったりテロリストの仕掛けた爆弾だったりと日によって様々だが、最終的に私が運転するしかなくなって、乗客を救ってハッピーエンドなのは変わらない。
……なんというか、我ながら小学生みたいだ。
たはは、と乾いた苦笑いを漏らした私の顔に、何かが飛び込んできた。
「あわっ!?」
風で顔に張り付いたシート状のそれを、少しだけ苦戦して剥がす。
何だろう、とよく確認してみると、それは何かの【設計図】だった。
もしかして、テロリストが仕掛ける【爆弾】の設計図!?
……そんなわけないか。
と、一笑に付しながらも、何故か私はその設計図を綺麗にたたんでポケットに突っ込んでいた。
なんというか、ロマンを感じたから。
幼稚な女と笑いなさい。
でもまだ二十歳になってないからいいんです。
存在しない何かに言い訳しながら、列車の運転席に乗り込む。
元気にピコピコ光を放つ【自動運転装置】を睨みつけ、動き始めるまでぼーっと待つ。
やがて自動音声のアナウンスと共に列車が横須賀駅を発ち、本格的にお仕事スタートだ。
まず運転席を離れ、せまーい通路を通る。
この通路は、特等客車を通らずに後ろのほうに行くための通路だ。
一等客車までなら私のパスで通過できるけど、特等客車にはお客様しか本当に入れない。
ヤバヤバお薬パーティをしてようが、人が死んでようが、私にはなーんにもわからない。
なので気にしない。
特等客車に乗れるような超金持ちのことなんて気にならない。一切気にならない。全くもって全然気にならない。
そうして、壁の向こうで何やってんだろうなぁと考えながら狭い通路を抜けると、私のオフィスともいうべき場所がある。
車内販売セットの置き場所だ。
そう、そうなんですよ。
運転士になれるよ! と嘯かれて入社した私の業務は、車内販売員である。
実際には車内販売員兼様々な雑用係、実質列車の奴隷なのだが、それは置いておこう。
車内販売用の大きなワゴンに売り物をセットし、ワゴンの【下段の布で隠された部分】に補充用の商品もセットしたら、【グロリーくん】のムカつく顔をしたぬいぐるみを一発殴って出発進行だ。
ぐいぐい、ワゴンを押して車内を進む。
体格の小さな私には意外と重労働だ。
まずは、一等客車の個室をノックし車内販売が必要か尋ねる。
……今日はどこも返事がなかった。
最高だ、早く潰れちまえこんな列車。
次に二等客車を進む。
乗客は疎らで、そして誰も何も買わない。
理由は知っている。
やがてたどり着いたる食堂車両。
そこに並んだ自動販売機のジュースの値段と、私のワゴンのジュースの値段を見比べる。
うん、誰も買う訳ないだろこんな車内販売。
早く潰れちまえこんな列車。
自動販売機ゾーンを越えて、残りの二等客車ゾーンに入る。
やっぱり誰も……いや、大きな荷物を持ったお婆ちゃんが一本だけお茶を買った。でも、お婆ちゃん以外はやっぱり誰も何も買わない。
ごめんねお婆ちゃん、一個先の車両にある自動販売機の方が安いのに。
若干の罪悪感を覚えながら、二等客車を通り過ぎて貨物部に入る。
今日はやたら荷物が多くて、通り過ぎるのが大変だった。
早く潰れ……いや流石に八つ当たりすぎるか。
貨物部を越えると次は三等客車だ。
ここは本当に最悪。
当然誰も車内販売なんて買わないのに、セクハラや問題行為の対応は滅茶苦茶起きる。
「あ、車内は走っちゃ」
「無理ですっ!」
ただ、今日は全力ダッシュする女子高生がいたくらいで、平和なものだった。
……なんだろう、トイレにでも行きたかったのかな。
彼女の必死な表情とダッシュの理由を考えていたら、何事もなく最後尾の貨物部にたどり着いた。
お婆ちゃんのお陰で、何も売れませんでしたと上司に伝えて怒られる無意味なプロセスを踏む必要がなくなったのは最高だ。ありがとうお婆ちゃん。最高の誕生日プレゼントだ。
名も知らぬ老婆に感謝しながら、貨物部のドアを開ける。
普段ならここで少し休んでから、Uターンして戻るのだが、今日はそうならなかった。
「え、人……?」
【白髪交じり】の髪の男の人が、倒れていたからだ。
なんだろう、薬物でもやったのかな面倒くさいな……と呆れてしまってから、イヤイヤと首を振る。
普通に急病人かもしれない。
クレイジートレインで働いても、心までクレイジートレインに染まってはいけない。
慌ててスマホを取り出し、通報しようとし。
「あの、その、ちょっと【お願い】があるんですけど……」
後頭部に何か、冷たい筒状のものが押し付けられた。
やけにおどおどした声と一緒に。
こうして彼女はいつものように列車に乗り、いつもとは違う状況に追い込まれた。
彼女が【お願い】をされたのは、フィーネマンとA/アルファの争いより後で、祇園精舎やロボが乗り込んでくるよりも前の話。
大事な役者の乗車経緯が知れたところで、話を現在に戻そう。
イルカが目覚め、ユアを探しに動き始めた後の、二等客車だ。
死体入りのバッグを運ぶ、偽刑事の佐々木健二。
そんな彼を楽しそうに振り回すヒマリ。
二人は、ゆっくりゆっくり二等客車を一等客車方面へと進んでいた。
なぜ、そんなにもゆっくりなのか。それは簡単である。
「悪かったな兄さん」「悪かったねお兄さん」
「「いや、ほんとにごめんね?」」
「あはははは、気にしなくて結構ですよ」
人の好い笑みを張り付けながら、佐々木健二は胃の痛みに耐えていた。
何で俺が、双子の成人男性の喧嘩を止めなきゃいけないんだよ……。
それもこれも、と視線を下に向けてヒマリちゃんを見る。
ヒマリちゃんは、頬を膨らませて双子のほうを見ていた。
「違うよ! ただのおじさんじゃなくて刑――」
「あはははははは! じゃあ良い旅を!」
ヒマリちゃんの口を押さえ、そそくさと双子から距離を取る。
「……? どうしたのおじさん?」
小声で、誰にも盗み聞きされないように説得する。
「秘密の任務だから、おじさん刑事だってバレちゃいけないの……!」
実際には秘密の任務だからではなく、刑事ではないからなんだけども。
そうだった! と言わんばかりの顔で、口に手を当てながらヒマリちゃんが頷く。
いい子だ。良い子なのだが……。
先ほどから困っている人がいれば話しかけ、悪いことをしている人がいれば叱りにいき、喧嘩している人がいれば仲裁しようとし……と、一両に一トラブル以上引き起こしてくれている。
悪いことはしていない、悪いことはしていないのだが。
お陰で、全て俺が刑事っぽいロールプレイで乗り切らねばならず、非常に胃が痛い。
それに加えてさっきのように、うっかり何か言ってしまいそうになったりもする。
どうしてこんなことに、と心の中でだけため息をついていると、服の裾を引っ張られた。
もちろん、引っ張ったのはヒマリちゃんだ。
手招きをしながらこっちを見上げている。
なんだ? と一瞬考えてから、腰を落として耳を近づけた。
「刑事のおじさん、仲直りさせてすごいね」
耳をくすぐる囁き声に、照れと喜びが脳を満たす。
優しく誇らしい気分になるが、片手を塞ぐバッグの重みが俺を現実に戻す。
……俺は刑事のおじさんじゃないし、すごくもない。
むしろ最低なんだ。
ヒマリちゃんがトラブルを起こし、それを解決して褒められる度に、喜びと自己嫌悪に苛まされる。
そしてその度に、死体を隠蔽しようとしたのが、なんと愚かな選択だったのかと後悔することになる。
完全に、事故だった。殺そうと思って殺した訳じゃない。
あの時、警察を呼んでいれば軽い罰か、何なら無罪にすらなったかもしれない。
そうしていたらこれからやる詐欺の方の罪で捕まるだろうけど、現状よりずっとマシだ。
何せ、詐欺はまだ未遂。まだやってないし、主犯でもないのだから。
だが、もう駄目だ。
今更悔やんだところで、死体を隠蔽してヒマリちゃんを騙している罪はもう消えない。
俺に残っているのは、この死体を隠蔽しきって詐欺をやりきり借金を無くす選択肢だけ。
……本当に、そうだろうか。
『次は、新四国、新四国です』
「ご、ごめんなさい! 通してください! 申し訳ありません!」
アナウンスと共に、車内販売員の小柄な女の人がやたら謝りつつ、なかなかなスピードでワゴンを押しながらやってきた。
バッグとヒマリちゃんを脇に寄せ、先を譲る。
「ありがとうございますごめんなさい!」
余りにも必死な様子の車内販売員に、何を考えていたのかすっかり忘れてしまった。
この先の車両は自動販売機しかない食堂車両だが、何かあったのだろうか?
「おばあちゃん、荷物おっきいね! 大丈夫?」
車内販売員について考えていたら、またヒマリちゃんが乗客に声をかけていた。
今度は大きな荷物を持った、お茶を飲んでいるお婆ちゃんだ。
また確実に、面倒ごとになる。
心の中でため息をつきながら、笑顔の仮面を貼り付ける。
……内心、またヒマリちゃんに尊敬されることを、少しだけ期待しながら。
『次は、新四国、新四国です』
何か必死な様子の車内販売員が向かった、その食堂車両のトイレで、牧野もアナウンスを聞いていた。
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