~新四国 食堂車両のロックンロール

『次は、新四国、新四国です』


 食堂車両のトイレで、牧野はアナウンスを聞いていた。

 同じ個室には小学生の少女ユアと、ロボを名乗る女もいる。




「その……私、行きます。えーっと、頑張ってください?」


「はーい、行ってらっしゃーい」


「お姉さん! 手を振る前に口を拭いて下さい!」


「だからお姉さんじゃなくてロボだって~」


「……~っ!」


 見送られながら(本当に見送られてたかな?)列車を降りるためにトイレを出る。


 変な人たちだった。

 ベロベロに酔っぱらったタンクトップの女の人と、それを介護する小学生の女の子。

 酔っぱらいの方は、なんだろう。気さくでさっぱりした人、だったんだろうけど。


 なんというか、ちょっと嫌な感じがした。


 何か嫌なことをされた訳ではない。変なことを言われたわけでもない。

 ただ、一緒にいるとよくないような気がしたのだ。


 勘は大事だ。

 このまま新高天原までトイレで過ごすという選択肢もなくはなかったけど、私は自分の勘を信じて、新四国で降りることにした。……ゲロ臭かったというのもある。


 その選択は、間違いだったのかもしれない。

 勘を信じるのは確かに大事だが、今日は最悪の日だったのだ。


「自らの母を手に掛けた女がいた。女はやがて母になり、自らの娘に殺された」


 背後から聞こえてきた、聞き覚えがあるんだかないんだか分からない妄言。

 脳裏に浮かぶのは、般若のお面を付けた着流しの人斬りだ。


 通り過ぎるのをちゃんと確認したのに、もう戻ってきたの!?

 幸い、声の遠さからしてまだ距離はある。

 振り返る時間も惜しんで駆けだそうとした私だったが、何かにつまずいてしまった。


「いっ!?」


 耐えられず、転んでしまう。

 私を転倒させたのは床に刺さった【食事用】のナイフだ。切れ味なんて皆無のはずの。


 思わず振り返る。

 しりもちをつくように見上げる。

 お面と刀の狂人だったのが、ナイフとお面と刀の狂人になっていた。

 あんなものどこで……まさか、食堂車両のキッチン?


 もしかしてそこで、私がトイレから出てくるのをずっと待ってた……?


「人を騙し財を成した商人がいた。積み上げた金が崩れ下敷きになり、商人は死んだ」


 諦めず立ち上がろうとしたが、スカートにナイフが投げつけられる。


「妖怪よ。人に紛れた妖怪よ。妖気を隠そうともせぬ妖怪よ」


 ナイフがスカートを床に縫い付け、立ち上がれない。

 ナイフを抜こうとするより早く、制服の袖にまたナイフが投げられる。


「己の業を見よ。己の業が湧き上がるのを見よ」


 まばたきの間に何本ものナイフが投げつけられ、ついに身動きも出来なくなる。

 もう睨むか叫ぶかくらいしか出来なくなった私の体に、影が落ちる。


「即ち」



 牧野が死を予感した時、食堂車両につながるドアが開いた。





 牧野と祇園精舎のすぐ近く。食堂車両のトイレでロボは立ち上がった。


「もう大丈夫、酔いも醒めてきたよユアちゃん」


「本当ですかお姉さん?」


 疑わし気に見てくるユアちゃん。


「だからロボって呼んうぉろろろろろろ……」


「あぁああ!? やっぱり駄目じゃないですかぁ!」


 吐しゃ物を跳ねるように躱しながら、ユアは思った。

 やっぱり、一等客車を出るべきではなかったのかもしれない。

 




 トイレの外、ナイフで床に縛り付けられた牧野。

 目の前に立つ祇園精舎。

 開いたドアはトイレではなく、二等客車と食堂車両を繋ぐドアだ。


「あ、え……え!?」


 この絶体絶命の状況に乱入してしまったのは、車内販売員である氷取沢愛生だった。

 頼りにならなそうな小柄な女性だが、藁にも縋る勢いの牧野は悲鳴のような声を上げる。


「た、助けて下さい! 殺されるっ!?」


「えっ!? いや、でも、えぇ!? 本当にやらなきゃ駄目ですかぁ!?」


 何やらワゴンの【下段の布で隠された部分】を見ながら、返答になっているのか怪しいことを言う氷取沢。

 祇園精舎は彼女に視線をやり、頷いた。


「すぐに済む故、気にせず」


「気にしてください! すぐに済ませないで下さいぃ!」


 叫びもがく牧野に、刀を振り上げる祇園精舎。

 氷取沢は、ぎこちない笑みを浮かべた。


「び、ビーフオアチキン?」


「……む? 南蛮の――」


 祇園精舎が何か妄言を吐くより早く。


「――もしくは俺のハンドガンはいかが?」


 ワゴンの下から飛び出したアルファが、凶悪な笑みを浮かべながら拳銃を突き付けた。

 何のためらいもなく、アルファは引き金に指をかける。


「ぬ?」


「さぁ、レッツ――」






「うぇろろろ、うぅ……」


 便座に顔をつっこんだロボは、闇雲に手探りで水を流そうとした。

 ここで、クレイジートレインがそう呼ばれるようになった理由を一つ説明しよう。

 この列車は、当時の最新の技術をとりあえず取り入れてみたような箇所が幾つかある。

 そのうちの一つが、トイレであった。


「あぁもう適当なことを! 私がやりますから……って、あぁ!」


 ロボの手は、トイレの音消し用の音楽を鳴らすボタンを偶然押した。

 小川が流れるような音が、トイレを満たす。


「んー? 間違った?」


 更に適当にボタンを探すロボ。

 その手は、何故か存在する【音色変更】のボタンにあたり。

 慌ててなんとかしようとしたユアは、誤って音量調整のボタンを押し。


「あぁああ!?」


 外に響くほどの大音量で、激しいロックミュージックが流れ始めた。





「――ロックだぜ!」

 アルファが引き金をひくのと同時に、まるでBGMのように音楽が鳴り響く。


「なんだぁ? 気が利くじゃねぇか!」


『え? えぇ……?』


 鳴り始めた音楽を気にすることもなく、腕を狙った弾丸を斬り捨てる祇園精舎。

 その異常な技術を見たアルファは、笑いながら冷や汗を流した。


 実験で強化された俺でも、弾丸斬りは出来るか怪しい。


『……ま、まずいよアルファ、逃げよう?』


「逃げようって、まだ始まったばっかだろ!?」


 Aの言葉を聞きながら、両手で銃を乱射する。

 その全ての弾が斬り捨てられ、一つも届かない。

 つまり、偶然とかじゃない。

 あいつは一〇〇パーセントの精度で、弾丸を斬れるってことだ。


「車内販売はいかがです、か!」


 ワゴンをお面野郎に向けて蹴り飛ばす。

 避けるなりして隙が出来れば、と思ったが、一振りで真っ二つにされた。

 おいおい、金属製だぜ?

 イカれ黒ヘルメット野郎もたいがいだったが、こっちの方がよっぽどだ。

 近づかれないよう適当に片手で弾をばら撒きながら、もう片手でリロードする。


「ひいいい!?」


 車内販売の姉ちゃんは悲鳴を上げて逃げ出し、トイレに駆け込んだ。

 ……一般人を脅したら、銃撃戦に巻き込んじまったのは今日もう二回目か。

 三等客車でフィーネマンに痺れさせられ、動けるようになったらあの姉ちゃんが来た。

 車内販売員なら特等客車まで行けるんじゃないかと姉ちゃんを脅したら、一等客車までならいけるという。

 だから【ワゴンの下段】の物をどけさせて、そこに隠れて脅しながら進んでたわけだが。


「もしかして、人を銃で脅すってやらねぇ方がいい?」


『うん、そうだと思うよ?』


 銃弾をばら撒きながら反省する。

 当然のように全部斬ったお面野郎が、口を開いた。


「童よ、何故俺の邪魔をする?」


「……わらべ?」


『こ、子供って意味だよ?』


「俺はガキじゃねぇ!」


 両手の銃を使って、足と手を同時に狙う。

 一振りで二発とも防がれる。

 軌道を変えた鉛玉が自販機に穴を空ける。

 ジュースやお茶のペットボトルが、狂ったように溢れ出る。


「ではお主、何故俺の邪魔をする?」


「なんでってお前……」


 悲鳴が聞こえた。

 人が死んじまうと思った。


 だから………………どうして、俺は助けようとした?

 【俺】は、【人殺しが大好き】なアルファだ。


「業の質が、面妖であるな」


『前っ!』


「っ!?」


 いつの間にか踏み込んできていた変人が刀を振ってくる。

 慌ててブリッジするように体を反らして躱したが、髪の毛を幾らかもっていかれた。


「っ、てめぇ!」


 両手で乱射し、距離を取らせる。

 戦ってる途中に考え事なんて、明らかな凡ミスだ。

 だけど、結局俺はどうして……。


『考えないで! 斬ってくるんだから撃って!』


「っ、悪いA、巻き返すぜ!」


 頬を叩いて気合を入れなおす。

 無駄に俺たちの体を危険に晒しちまった自分に、怒りが湧いてくる。

 怒りをテンションに変えて、思考と動きを加速させる。

 両手で鉛玉を全力でぶちまけ、それを追うように飛び込んだ。





 一方、鉛玉から逃げるようにトイレへ飛び込んだ氷取沢。


「えっ、またですか?」


「――、いらっしゃーい」


「どういう反応ですか!?」


 逃げるように駆け込んだトイレは、大音量でロックがかかってるしゲロくさかった。


 何も意味が分からない。いや、大音量ロックは知ってるアホ機能だけど。

 めちゃくちゃアルコール臭いタンクトップの女性と、それを介抱する小学生の女の子。


 どういう関係なのか。

 なんで鍵をかけてないのか。

 『また』ってどういう意味なのか。


 私は考えるのをとりあえず諦めた。

 私、頭が良くないから!


「と、その、使用中だったのは申し訳ないんですけど、何も聞かずにしばらくここにいさせてくれませんか?」


「またですか!?」


「いいよいいよしばらくいなよ~!」


 どうやら、この人たちは爆音ロックのせいで銃撃戦に気づいてないらしい。


 ……ちょっとだけ考えて、伝えるのはやめた。

 二人がトイレを出そうになったら、止めればいい。

 知ったところで結局隠れているしかないのだ。乗客を無駄に不安がらせてはいけない。

 それで……とりあえずは上司に通報しようとスマホを取り出そうとして、思い出す。

 あのパンク? ゴスロリ? な格好をしたヤバ少女に脅されたとき、助けを求められないようにとワゴンに置かされたんだった。

 思い出すのは、真っ二つにされてたワゴン。


 ……どうか無事でありますように。

 私のスマホは、とりあえず今はない。

 でも、通報しないわけにはいかない。


「あの、スマホって、貸してもらえたり」


「え、スマうぉろろろろろろ」


「あぁああ!?」


「ぎゃあああ!?」





「オラオラオラぁっ!」


 獰猛に笑いながら、叫ぶアルファ。


 弾切れも何も気にせず、全力で撃ちまくる。攻めまくる。

 いくら弾丸を刀で斬れる変態でも、絶え間なく浴びせればいつか崩れる。

 俺の考えを証明するように、相手は下がった。


「どうしたどうしたぁ?」


 相手が下がった分、俺が攻め込む。

 下がる、進む、下がる、進む。

 いつのまにか、俺とお面の変人は、キッチンみてぇな場所にいた。


 まだ下がる変人。

 だが、キッチンに転がっていた食器に足をとられ、相手はバランスを崩した。


「ざまぁねぇぜ!」


 チャンスを逃さず決めに行く。

 血潮が飛び散る。





 吐しゃ物が飛び散る。


「あぁああ!? ヒマリちゃんが褒めてくれた、旅行のための服なのに……」


 ゲロが服にかかり、涙目になるユア。


「ちょ、ちょっと待ってて!」


 氷取沢は慌てて彼女に駆け寄った。

 確かウェットティッシュを持ってたはずだ。

 ポケットを漁り、出てきたのはアレ。

 横須賀駅で拾った爆弾の【設計図】みたいなのだ。

 これは違う、とポケットに戻そうとしたら、ひょいと取られてしまった。


「ほうほうふむふむ」


 眺めて頷くのは、酔っぱらいのタンクトップさんだ。


「完全に理解したわ」


 大きく頷くと、タンクトップさんはくしゃくしゃにした設計図で口元を拭き、トイレに流してしまった。


「あ……」


 さよなら、私のロマン……。

 って、それよりも。


「はい、ウェットティッシュ! これできっと綺麗になるよ!」


「あ、その、ありがとうございます、車掌さん」


「……君はいい子だね」


 頭を撫でると、女の子は頬を染めてから、ムッとした表情になってしまった。


「こ、子供扱いしないで下さい!」




 

「童であるな」


「っ!?」


『アルファっ!』


 血が出たのは、俺だった。

 浅く切られた肩を押さえる。


 食器で足を滑らせたようにみえたのは、わざとだったんだ。

 俺に無理に攻めさせ、カウンターを狙っていた。

 まんまと乗せられちまったわけだ。


「クソがっ!」


 仕切りなおすように乱射するが、雑すぎた。

 弾は斬られ、近づかれる。


『アルファ、逃げよう!』


「ダメだ! 逃げたらあの女が!」


 あの女が殺される。

 それはダメだ。


 いや……どうして、ダメなんだ?

 俺は、人殺しが大好きな……。


『代わって!』


 Aが叫ぶ。

 でも、遅すぎた。

 近づかれ――両手の銃を叩き落とされる。


 殺される。


『――』


 そう思ったが、そうはならなかった。

 懐から取り出したナイフを投げつけ俺を壁に張り付けると、お面野郎は背を向けた。


「……どうして殺さねぇ!」


「お主は妖怪ではない。俺は人斬りではない」


「意味わかんねぇよイカれ野郎!」


「その上」


 お面野郎は、一度だけ振り返った。


「童がお主を生かしている」


 わらべ、子供が俺を生かして?


「何を言って……っ!」


『考えないでアルファ!』


 頭が痛む。何かが溢れそうになる。

 子供、俺を、私を。


「そこで待ちたまえ。手当は、あれを斬ってからしよう」


 あれを斬る? あの女を斬る、殺すのか? ダメだ! 止めなきゃ!

 でも身体が動かない。

 簡単には抜け出せない。

 あいつは、遠くなる。

 また、人が死ぬのか?

 私が無力なせいで?


『違う! そうじゃない!』


 助けられるはずだった。

 私が死ぬべきだった。


『違う! 死ぬべきなのは研究所のやつらでしょ!?』


 そうだ、だからあいつらだけは殺してる。

 絶対に、絶対に許せないから、だから。

 ……違う! そうじゃない!

 今はあの女を助けるんだ!


「くそっ、このっ!」


 全力で力を入れると、服が千切れ始める。

 ナイフが一本二本と抜け落ち、すこしずつ自由になる。

 でも、遅すぎる。

 ダメだ! 私じゃ間に合わない!

 誰かあの子を助けてくれ!














「そこまでだ」


 聞き覚えのあるポップな曲と共に、正義のヒーローは現れた。

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