交差・合流・加速

 何よりも大事なものは自分の命、と降車を決意した牧野こまり。

 新淡路で降りようとした彼女を待っていたのは、妖怪ハンターを自認する般若面の狂人、源祇園精舎だった。


 自分の命のため降車を決意した牧野だったが、自分の命のために引き返さざるを得なくなっていた。

 



『ドアが閉まります。駆け込み乗車はおやめください』


 全力で二等客車貨物部に引き返しながら、牧野は嘆く。


 結局降りれなかったし、変人は三人目だし、本当に最悪だよもう!


「妖気を隠そうともせぬものよ、沙汰を受けたまえ」


「人違いですっ!」


 貨物部につながるドアを開け、飛び込み、そのまま駆ける。


「因果――」


 何かの予感に背筋が泡立つ。

 寒気に押されるように一層早く足を動かす。


「――応報……ぬ」


「ぎゃっ!?」


 人生で一番の本気で出した足は、やけにツルツルな床で滑って、私はすっころんだ。

 しかしそのお陰で、ヤバお面の振るった刀を避けられたらしい。


 立ち上がって振り返ると、刀が荷物にめり込んでいたから、そう推察できた。

 しかも運よく、何かに挟まるか絡まるかしたようで、人斬り狂人は刀を抜くのに苦戦していた。


 ――どうする?


 一瞬のうちに思考が回る。

 この隙に攻撃……は論外。多分死ぬ。

 このまま三等客車方面に逃げる、とフィーネマンと二丁拳銃ゴスロリパンクの女の子に出会うからなし。

 つまり、選択肢は一つ。


「くたばれっ!」


「む」


 適当な荷物をぶん投げて刀を抜くのを妨害しながら、二等客車の方に走り出した。






 同時刻、二等客車。本州の新幹線に似たその車内を歩く、佐々木とヒマリ。

 死体をもう一度殺し、バッグに詰めて運ぶ佐々木健二は、自分に言い聞かせていた。




 俺は刑事、俺は刑事だ。


「おじさん、変な顔してる!」


「そ、そうかな。ははは……」


 この声がデカくて大体笑顔な、大鳳ヒマリちゃん。

 彼女に【刑事ではない】と思われたら、全てが終わる。


 ヒマリちゃんがいなければ一等客車に入れない。

 一等客車に入れなければ展望デッキに行けず、死体を海に捨てられない。


 というか、変なタイミングで刑事ではないと思われたら、そのまま通報されるかもしれない。未成年の連れ回しは、確か誘拐の罪に問われるはずだ。

 殺人プラス誘拐は、もう完全に詰みだ。

 つまり、刑事の演技をやり通すしか既に道はない。


「ねぇ、刑事さんはロボ人間っていると思うよね!」


「ロボ人間……?」


 少しだけ考えて、サイボーグのことかと思い至った。

 ……サイボーグ分野は、大学の頃に少しだけかじっていたから、少し詳しい。

 現在研究のトップを走っている新高天原でも、【研究中】としか言いようがなかったはずだ。


 つまり、ロボ人間はいない、のだが。


「あぁ、きっと新高天原にはいるとも!」


「そうだよね! やっぱりそうだよね!」


 この子の機嫌を損ねる可能性は、可能な限り排除しなければいけない。

 刑事じゃないとバレてもアウトだけど、嫌われて協力してくれなくなってもダメだ。

 俺の人生は、この小学生の女の子に握られているといっても、過言じゃない。


 改めてそう認識したとき、背後で車両と車両を繋ぐドアが乱暴に開けられる音がした。それとほぼ同時に、女子高生が俺たちの横を乱暴に走り抜けた。


「あ、車内は走っちゃダメなんだよ!」


「それどころじゃないんですぅ!」


 必死な表情で走り抜ける女子高生に、何があったのかと疑問を抱きつつ、ヒマリちゃんを褒める。


「自分より年上の人を叱れるなんて、偉いね」


「えへへ、でしょ!」


「でも、次があったら刑事さんに任せてね。怖い人だったら、ヒマリちゃん危険な目にあっちゃうかもしれないからね」


「はーい!」


 等と言いつつ、次なんて来ないだろうと高を括っていた。


 背後で、乱暴にドアが開けられ、すぐに走る足音が続く。


 マジかよ。嘘だろ。やめてくれよ。


 こういう公共の場で、誰かを注意したことなどない。

 俺は見て見ぬふりをするタイプだ。

 でも、あんなことを言った直後に叱らないのはまずすぎる。

 躊躇っている時間もない。


 心の中でため息を吐きながら、振り返って注意する。


「車内は走っちゃいけま、せ……」


 目の前にいたのは、般若のお面をつけて日本刀をもった、とっても怖い人だった。


 俺に注意され立ち止まったその男の着流しには、何か赤黒い染みがたくさんあった。

 十中八九、血の跡だ。間違いない。


 余りの事態に硬直した俺をじっくり眺めて、男は口を開いた。


「それは……」


「それは……?」


「世の理であるな、すまぬ」


 男は大きく、何度も頷いた。


「しかし急ぎである、早足にて失礼」


「あ、はい」


 言葉遣いは完全に見た目通りだったが、意外にも理性的で一命を取り留めた。


 助かった……。


 安堵の息を吐く俺だったが、すれ違い様に囁かれた一言で、心臓が止まりかけた。


「因果には必ず応報が付き纏う。選択には努々注意せよ。お主は境界線に立っている」


 足早に、走っているとは言えないがなかなかの速度で去っていく般若面の男。

 思い出したかのようにバクバクと激しく仕事を始めた心臓を感じていると、服の裾が引っ張られた。

 視線を下すと、目を輝かせたヒマリちゃん。


「おじさんすごい! あんな怖い人を叱れるなんて!」


「は、ははは……」


 乾いた笑いを漏らしながら、純粋に向けられた尊敬の念に俺は喜びを感じてしまった。

 誰かに尊敬されるなんて、人生で初めてのことだった。

 もし俺が努力していて、本当に刑事になっていたら……。


 ……最低だ。


 ヤバいやつに注意をしてしまった恐怖。

 こんな子を騙しておきながら、尊敬を喜んでしまう自分への嫌悪感。

 二つの感情が、俺の胃をさらに痛めつけた。






 様々な思惑やたくらみ、思いを乗せたクレイジートレインは、新淡路を過ぎた。

 ここで、グローリーライナーが何故クレイジートレインなどという蔑称を付けられたのか、その理由の一つである車両に視線を移そう。


 二等客車の中腹、列車全体では真ん中よりやや先頭寄りにある食堂車両。

 運行開始当初こそ、物珍しさとレトロな雰囲気から賑わいをみせたその車両だが、現在は自動販売機が並ぶだけのエリアと化している。


 こんなことになった原因は何か。

 席数に対しキッチンが小さすぎ料理の提供が遅すぎたこと。

 値段に比べて低すぎる品質。

 様々あるが、一番は食中毒事件だろう。

 そうして、机と椅子の代わりに自動販売機が列をなすことになった食堂車両。

 そのトイレ。

 そこに、小学生と二十代半ば程の女性がいた。


 【二回開いたら作動する時限装置】付きの爆弾入りバッグを運びながら、【ピンク】のゾウのストラップを探すユアと、ネジ吐きの酔っぱらいである。





 小学生に背中をさすられ、便座に顔を突っ込みながら、女は考えていた。


 今何してたんだっけか、と。


「お姉さん、大丈夫ですか?」


「あー、お姉さんは大丈夫だけど……何て名乗ったっけ?」


「…………ロボって呼びなさい、と」


「あー? ……そうだったそうだった」


 思い出した。

 吐いてる私を見ながら、何故かロボ人間って言ってたから、ロボって呼ばせようとしてたんだった。良かった、酔って本名とか喋ってなくて。


 それにしても……なんでクレイジートレインに乗ったんだったか?

 確か休暇で飲みまくってたら突然仕事だって呼び出されて……思い出したらムカついてきたな。まあいいか、仕事の内容、ちゃんと思い出せないし。

 確か【企業のお偉いさん】が……なんだったか、やっぱり思い出せない。


 思い出せないのは、気分が良い。


「それで…………君」


「ユアです。小鳥遊ユア。これで三回目です、名前を教えるの」


「そうだっけ?」


 全く記憶にない。


「……多分これも、もう一回聞かれると思うので言っておきますけど。このバッグは私のバッグではなく、私は入れ替わってしまった私のバッグを探していたんです」


「あ、それは覚えてる」


「……っ!」


 本当は全く覚えてなかったけどそう言ってみたら、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いた。


 そうだ思い出した。

 この子からかうと可愛いんだった。


「そのバッグ、中身は見た?」


「……確認しましたけど、何か知らない機械が入ってるだけでした」


「じゃあ、お姉さんが確認してあげよう」


「……あなたなら、その機械が何なのか分かるって言うんですか?」


「任せなさいよ、お姉さん記憶力には自信あるから」


「どの口が……っ!」


 怒りたい気持ちを必死に抑えて腕をブンブン振る…………ユアちゃん。

 かわいらしい少女から、バッグをひったくる。


「あっ、返してください!」


 当然無視してファスナーに手をかけ。


「――ッ!」


「へ?」



 バッグを開ける直前に、ドアが開いた。


「はぁ……はぁ……え」


 乱入してきたのは、息を切らせた女子高生だ。


 ……気づかれないように、構えを解く。

 鍵をかけわすれるとは、流石に飲み過ぎだ。

 一拍遅れて、何が起きたのか理解したユアちゃんが口を開く。


「ちょ――」


「しー!」


 その口を慌てて女子高生が塞ぎ、人差し指を口の前に立てる。

 ユアちゃんが挙動不審になりながら静かになるのを確認すると、女子高生は扉に耳をくっつけ外の音を聞き出した。


 ……訳ありで、誰かに追われているというところだろうか。


 緊張の時間が数十秒流れ、やがて女子高生は大きく息を吐いた。

 もう喋ってよさそうだと感じたユアちゃんが、なのに小さな声で尋ねる。


「……あの、使用中なんですけど」


「もうちょっとだけ……! もうちょっとだけ何も聞かずにここにいさせて……!」


 女子高生は、小声で叫ぶようにそう言った。


「いいよいいよ、しばらくいなよ」


 私はその女子高生に笑って許可を出しながら、何かを思い出しそうになっていた。

 というか、何かしようとしていた気がする。


 ……そうだ。


「うぇろろろろろろろ」


「あぁ、お姉さん!」


 小さな手が背中をさするのを感じながら、胃の中の物を吐き出す。

 うん、多分これがしようとしてたことだ。


「あぁ、バッグにお姉さんのゲロが……ごめんなさい……」

 




 酔っぱらいのロボ、爆弾を持ったユア、そして祇園精舎から逃げる牧野。

 二等客車の中腹、食堂車両のトイレに三人もの乗客が集まった。


 ここで視点を、イルカに移そう。

 イルカとは誰か?


 ユアが持つロボの吐しゃ物付き爆弾入りバッグの持ち主で、A/アルファとフィーネマンの争いに巻き込まれ気絶させられていた白髪交じりの男である。

 彼は今、三等客車の貨物部でようやく目覚めた。





 起きてすぐに自分が気絶していたことを理解した彼は、慌てて腕時計を見た。

 一体どれだけ気絶していたのか?

 それほど時間が経っていなかったことに安堵し、気絶した理由を考える。

 貨物部の扉を開けた、はずだ。その後の記憶はない。

 破壊されている窓から風が吹き込み、潮気を含んだ不快な空気が吹き付ける。

 辺りをよく見ればそこかしこに銃弾の跡があり、荷物が散乱している。

 恐らく、何らかの争いがここで起きていた。それに運悪く私は巻き込まれたのだろう。

 しかし、財布やスマートフォンはなくなっていなかった。

 【ピンク】のゾウのストラップが付いた、小学生のバッグも少し離れた場所にあった。

 銃を乱射するほどの抗争に巻き込まれ、荷物も命もなくなっていない。

 十分な幸運だが、そもそも巻き込まれたこと自体が不幸である。


 三等客車に乗るような屑共に予定が狂わされ、苛立ちが沸々と湧き上がる。

 深呼吸して気を静めながら、ここに来た目的をしっかりと思い出す。

 脱出用装備を確認する、そのためにここに来た。それさえあれば十分である。

 探し始めて直ぐ、大きな苦労もせず目的の鞄を見つけられた。


 だが。


「何故何も入っていない!?」


 抑えられぬ苛立ちから、両手で頭をかきむしる。

 たしかに、貨物部の荷物は盗まれるかもしれないと噂で聞いてはいた。

 しかし【パラシュート】に折り畳み【ゴムボート】、爆弾の【設計図】など盗んでどうするというのか。そこまで盗むなら何故鞄ごと盗まないのか。


 もしや……【新島社長】の仕業なのか?


 頭を振り、最悪の想像を切り捨てる。

 数度深呼吸し、冷静さを取り戻す。

 こうなれば、業腹ではあるが梨司部(なしべ)に連絡を取るほかない。

 私が座るはずだった幹部の席についているいけ好かない男だが、背に腹は代えられない。

 奴ならば、新島社長の所在も知っているはずであった。


 確実に狂いつつあるプラン。

 栄達の終わりを感じながら、スマートフォンを操作した。





 イルカの電話先、梨司部のスマートフォンは震えていた。


「はっはっはっはっは、これは最高だ!」


『きゃぁ!』


 梨司部本人は泡で溢れた風呂の中、美女型アンドロイドに囲まれ、中年で膨らんだ腹を揺らしていた。


 やがて、スマートフォンの震えは収まった。

 





「クソっ!? 何故出ない梨司部っ!」


 留守番メッセージを残し終えたスマートフォンを床に投げつける――直前で止める。


「何故、何故この私がこんな思いを……!」


 怒りと焦燥で焼けるような胃を押さえ、大きく呼吸を繰り返す。

 そうだ、梨司部が年だけ取った無能なのは、今に始まったことではない。

 私は、私が現状でとれる最善の手を打つ。おこぼれで今の位置にいる梨司部とは違う。


 とにかく、とにかくだ。

 今できることは、あの小学生から爆弾を奪い返すことだ。

 目標を再認識し、一等客車に歩みを進める。

 その一歩目で、何かにつまずく。


「……ッ! 今度は何だ!?」


 それは列車を模したようなキャラクターの、一頭身のぬいぐるみだった。

 この列車の、たしか【グロリーくん】とか言ったマスコットキャラクターだ。


 怒りに任せ、ぬいぐるみを蹴り飛ばす。

 少しだけ冷静になり、散らばっているものを注視した。

 このぬいぐるみの他にジュースや水など、車内販売で売られているラインナップばかりが何故か床に転がっている。

 もしや、売るのが嫌になり捨てたとでもいうのか?


「クソ列車が! 車内販売員にもまともなやつがいないのか!?」


 両手で激しく頭をかきむしり、苛立ちを少しだけ沈めてから、私は貨物部を去った。

 子供のバッグは置き去りにして。





 何もかもが上手くいかず、ストレスをため続けるイルカ。

 最後に彼を苛立たせた車内販売のラインナップは、何故貨物部に散らばっていたのか。

 それを知るためには、彼女の乗車経緯を知らなければならない。


 この喜劇の役者の一人で、しかし乗客ではない彼女の。


 名前は、 氷取沢愛生ひとりざわあい

 彼女は、この喜劇で最も――。

 


 

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