回送
私の人生は、弱者として始まったと言っていいだろう。
人工島計画のいざこざで、私の両親は死んだ。
私はいわゆる孤児として、育った。
だが、今ではそれに感謝すらしている。
同情や共感を得られやすい生い立ちは、心に傷を負ったものたちを【導く】のに、非常に都合がよかった。
私は弱者だった。
だからこそ弱者の思考が【理解】できた。
【共感】は、する気もなかったが。
人工島の企業にも、感謝してもしきれない。
あの環境保護団体が無ければ、今の憂う魚たちも存在していなかっただろう。
それは私、教祖クジラが誕生しなかったことを意味する。
肉親を亡くしたもの、職を失ったもの、ただ失われる環境を憂うもの。
持たざるものとして生まれた私だが、そう言ったものたちを【導く】力だけはあった。
そして、こうなった。
運転席から一等客車に向かいながら、クジラは全能感に酔っていた。
何も持たない孤児だった私が、大勢の乗客の命を握っている。
快感だ。
とてつもない全能感を覚える。
人の生殺与奪の権を握るのが、ここまで心地よいとは。
だが、本当に乗客を殺すつもりはない。
信者たちは本当にやると信じているが、そんなことはしない。
どうせ出てこない新島を批判し、新高天原企業を更に叩く材料とし、この教団を更に大きくする。
今回決起に参加した信者たちは捕まるだろうが、私はそうはならない。
逃げるための準備は、当然済んでいる。
と、なれば。
一等客車に残してきた女の信者二人と、あの女子高生。
信者はたしか、夫を亡くした未亡人と、父を亡くした女子大生だったか。
信者に身体を捧げさせるのは容易だが、正直食傷気味だ。
あの女子高生を組み伏せたら、どう鳴くだろうか?
期待に胸が高鳴る。
というところで、個室の前についた。
周囲に誰もいないことを確認し、表情を取り繕う。
優しく、超然的な笑顔を、形作る。
これで良し、と扉を開け。
「……は?」
間の抜けた声を出してしまった。
それも仕方ないだろう。
そこは、血の海だった。
信者二人と、女子高生。
血の海の中に、三人倒れている。
「い、一体何が」
一応、護身用として持ってきていた拳銃を取り出す。
何者かが潜んでいないか警戒しながら、恐る恐る信者の一人に近づく。
喉が切られていた。
出血多量で、明らかに死んでいる。
どういうことだ?
もう一人の信者は、胸に明らかな致命傷が見える。
残る女子高生は、うつぶせに倒れていた。
確かめるべく、ひっくり返す。
「……え」
とん、と。
私の胸に、ナイフが刺さった。
「な、あ」
私が何かするより早く、ナイフが抜かれる。
血が勢いよく流れるのと同時に、ようやく痛みを認識する。
未だ、何も理解できない。したくない。
【私を刺した】女子高生が、私の傷口に手を当てる。
「お、」
手当や止血、ではない。
「お、」
女の表情は、恍惚?
「落ち着くぅ……」
小学生の時の、最悪の日の事だ。
赤い。赤い。
真っ赤な血が、手の間から溢れ出す。
「お、」
傷口に触れた手から感じる、鼓動が。
ゆっくり。
ゆっくり。
弱くなっていく。
「お、」
お母さんが、死ぬ。
「落ち着くぅ……」
小さい頃から、虫を殺すのが好きだった。
自分の手の中で小さい命が消えていくと、なんとも言えず落ち着いた。
少し大きくなってからは、小動物を殺してみた。
虫よりずっと、リラックス出来た。
でも、その日は運が悪かった。
お母さんにバレてしまい、喧嘩になって。
お母さんを、刺した。
あの日のことは忘れない。
小動物よりはっきりと、自分と同じ人間が。
ゆっくり。
ゆっくり。
死んでいく。
自分の手で、死んでいく。
忘れられない体験だった。今でも夢に見るくらい。
でも、マズかった。
あの頃の私は子供で、後先のことを考えていなかった。
だけど、全力で努力した。
努力して、外部犯の犯行に見えるように偽装工作をした。
そしたら、空き巣が入ってきた。
空き巣はお母さんの死体にびっくりして、色々落として逃げていった。
お陰で、私の証言と落としていった色々で、空き巣が犯人ということになった。
そこで私は知った。
運は存在する。最悪の日はある。
でも、全力で抗えばなんとかなる、って。
今回も、全力で抗ったらなんとかなった。
幸運はやってきた。
女の人を二人も殺せたし、もう一人なんて全部堪能できた。
正当防衛、いいねぇ。
自殺に見せかけたり、事故死に見せかけたりするのは面倒だし、心臓が止まるところも堪能できない。
この機会に、もう何人かいけないかな。
クレイジートレインに乗ってから、酷いストレスの連続だった。
だから、もうちょっとリラックスしてもお釣りがくるだろう。
【お守り】の、お母さんを刺した折り畳みナイフをまた胸ポケットにしまう。
そして、男の人が持っていた銃を拾う。
使い方は映画とかで見たから何とかなるだろう。多分。
とりあえず、この部屋にいようか、どうしようか。
Aは二等客車を先頭の方へ走っていた。
『俺、私、は』
「大丈夫、全部私に任せて」
アルファは、あのフィーネマンを殺してしまったことで限界が近い。
でもこれくらいなら大丈夫だ。今までもあった。
一週間くらい落ち着いてゆっくり過ごせば、安定する。
だから、今の私の最優先事項は一つ。
この列車からの脱出だ。
展望デッキには、たしか救命用の浮き輪があったはず。
その程度があれば、私たちの身体能力なら海に飛び込んで逃げられる。
別になくても大丈夫だろうが、大事なアルファの命だ。
展望デッキまで行くのは、どうせ大した労力じゃない。
その辺の窓を割って飛び降りるのと、大して変わらない。
思考を整理しながら走っていると、前方の食堂車両に人の集団が見えた。
十一、いや十二人か。
十二人の青い服のやつが武装して、乗客を脅している。
乗客は、老若男女問わず色々。子供も何人かいた。
殆どが恐怖に震え、子供は泣きわめいていた。
ハイジャック……いや、トレインジャックか。
まあ、どうでもいい。
私たちには関係ない。
「君は」
かなり近づいてから、ようやく青服の一人が私に気づいた。
長射程の銃を持った二人だけ、駆け抜け様に撃ち殺し、進む。
『人質……子供?』
「大丈夫だよ、アルファ」
食堂車両を抜ける。
疎らにいる青服は、殺したり殺さなかったりして駆け抜ける。
そうしてすぐに、エンジン部に着いた。
目標は近い。
轟音が耳につくが、体力温存のために走るのをやめる。
残る問題は一等客車につながるドアをどう壊すか、と思っていたのだが。
指紋読み取り装置のところに誰かの指がテープで留められていて、ドアは開きっぱなしになっていた。
あのテロリストがやったのだろうか。
都合がいい。
何の問題もなく通り抜けると、個室から出てくる血まみれの高校生が見えた。
あれは、乗ったばかりのころに脅して、食堂車両でアルファが助けようとしたやつだ。
あいつは私たちに気づくと、怯えたような顔をしたあと、口を開いた。
「あの、助けてください!」
だが、どうでもいい。
無視して横を通り抜ける。
『ダメだ! 見捨てるのは、ダメだ!』
「アルファ……」
『人質に、子供もいた。彼女だけじゃない、全員助けなくちゃ』
「でもアルファ」
『私たちなら、助けられる、でしょ?』
立ち止まって考える。
確かに、武器を持っているだけの素人みたいな集団だった。
助けようとすれば助けられるかもしれない。
どうする?
乗客を助けようとするデメリットは大きい。
素人集団に見えるが、今日のクレイジートレインは何かおかしい。
予期せぬ問題が起きて負傷する。最悪死ぬかもしれない。
対して、メリットは少ない。
アルファの心が傷つかない。それだけ。
「……そうだねアルファ。助けなきゃね」
『A! ありがとう』
そうだ。私は副人格だからアルファを生かしたいんじゃない。
精神が壊れてしまうほどに優しい、彼女が好きだから助けたいんだ。
だから、そんな彼女の優しい願いには、出来る限り応えたい。
最悪、本当に危険になったら窓を破って飛び降りればいい。
なら、まずは。
「どうも、久しぶりですね」
「え、あ、その、助けてくれるんですか!」
通り過ぎようとしたのをやめ、高校生に話しかける。
相手は、喜んでいる。
やけに喜んでいる気がするが、そういうものか。
こんな状況で血まみれになっていて、戦闘力の高い人が助けてくれそうなら。
「とりあえずあなたは、個室に隠れていたらどうですか?」
高校生から視線を切り、彼女が出てきた個室の方を見る。
「え、でも、ちょっと散らかってて……」
「散らかってる、って」
今そんなことを気にするか?
こいつ、ちょっとおかしいんじゃないか。
そう思いながら個室を開け。
中を見て、思考がフリーズした。
三等客車貨物部。信者たちに銃を突きつけられながら、ロボは考える。
マズい。本当にマズい。
相手は、銃で武装した三人。
対してこっちは丸腰の私一人。
暴れたところで勝ち目はない。
私は暴力担当じゃない。
その上、暴れなくてもアウトだ。
ここには時限装置が作動した爆弾がある。
どうやら、三等客車の乗客は隣の車両に集められたようだ。
つまり、爆弾が爆発したら全員死ぬ、ってことだ。
もちろん、私とユアちゃんも。
ユアは、帰ってきた大切なストラップを握りしめ、ただ震えていた。
どうしたらいいか、何も浮かばない。
怖い。
怖い。
怖い。
それ以外に、浮かぶ思いはただ一つだけ。
ヒマリちゃんに会いたい。
ヒマリちゃんに会って謝りたい。
死んでしまう前に。
彼女たちに銃を突きつける信者は、時計を確認した。
「クジラ様から連絡は?」
「特にありません」
「では、時間通りに」
新島社長が特等客車から出てきたという連絡は、当然ない。
新島社長は特等客車にはいない。海に浮かんでいる。
クジラからの連絡も、来るはずがない。
一等客車の個室で、心臓を刺され死んでいる。
要求がのまれたという報せも。
中止しろという連絡も。
来るはずがなかった。
つまり、列車の後ろの方の乗客から、殺されていくということだ。
列車の後ろ、最後尾とはもちろんここ、三等客車貨物部である。
「では、いずれ向こうで」
信者の一人が、笑顔で銃を構える。
ユアの頭に、照準が合う。
引き金にかけられた指に、ゆっくり力が入り――。
全ての歯車が、狂って奇妙に噛み合った。
もし、佐々木健二が死体を捨てていなければ、憂う魚たちは止まった。
もし、牧野がクジラを殺していなければ、二等客車の人質たちは助かった。
もし、アルファが復讐をやめていれば、三等客車の爆弾もなんとかなったかもしれない。
もし、もし、もし……。
歴史に【もし】は、ない。
現実は非情である。
そして、この舞台に一人残った、テロを暴力で解決できる彼女たちも。
今、まさに。
個室を覗き込み背中を向けたAに、牧野は笑みを抑えられなかった。
やっぱり、努力は実を結ぶ。
幸運はやってくる。
私を銃で脅してきたやつだ。
殺しても、正当防衛が成立するだろう。
うーん、最高!
銃は、手に感触がなさそうだ。
ナイフを取り出して、「えい!」という気分で振り上げる。
何に遮られることもなく、ナイフは振り下ろされて――。
もはや、残った役者たちに、悲劇を止められるものはいない。
「そこまでだ」
ポップソングが鳴り響く。
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