憂う魚たち 乗車経緯 & 滑落


 憂う魚たちは、いわゆるカルト宗教団体だと思われている。

 しかし、その実態は少し違う。


 憂う魚たちの前身は、環境保護団体だった。

 新高天原を主とした人工島群。

 それらの建設が、海の生態系に与えた影響は大きかった。

 さらに新高天原の緩められた法律で急成長した企業の中には、環境をないがしろにするものが多くあった。

 漁師たちの生活は脅かされ、汚染の被害で大切な人を失ったものも現れた。


 憂う魚たちは、環境保護団体であった。

 だが、ニューアイランド製薬を始めとする新高天原の企業の被害者が集まり、一人の男の【導き】もあり、その性質を大きく変えた。


 過激な、反人工島カルト宗教へと。





「う、おぇっ……」


 氷取沢愛生は耐えきれず、胃の中のものを吐き出した。

 彼女が見たのは、原型を留めていない梨司部【だったもの】の末路だ。

 新高天原の企業のせいで大切なものを失った彼らが、梨司部の正体を知りどうするか。

 その結果であり、憂う魚たちがどういう組織かを端的に表していた。


「かわいそうに、背中をさすってあげなさい」


「はい、クジラ様」


 クジラと呼ばれた男の言葉に、信者の女性がすぐに反応する。


「大丈夫ですか?」


「ひっ、ひっ」


 張り付けたような笑みを浮かべる信者に、氷取沢はひきつった呼吸をすることしかできない。

 牧野はただ、俯いて【お守り】を服越しに握りしめる。


「あなたは……この列車の社員ですよね?」


 クジラの問いに、震えながら頷く氷取沢。


「では、運転席までご案内いただけますか?」


「その、断ったら……?」


 クジラは無言で、梨司部だったものを見た。


「……はい、案内します」


 クジラは三人の信者で氷取沢を囲み、運転席へと向かった。

 個室に残されたのは、牧野と二人の信者のみ。

 牧野は考える。


 不運には、抗えると。





 一方、先ほどまでフィーネマンとA/アルファの戦いが行われていた二等客車貨物部。


「これは、クジラ様に報告しますか?」


 一様に青い服を着て、笑顔を張り付けた憂う魚たちの信者たち。

 二十人を超える信者の内の一人が、倒れるイルカとフィーネマンを見て言った。


「……いえ、些末事でしょう」


 信者たちは彼らのことは気にしないことに決め、貨物部の荷物に手を付け始めた。

 クレイジートレインの貨物部に、普通の人は荷物を預けない。

 わざわざ乗せてある荷物はよほど大きな荷物か、さもなければ普通ではない荷物である。

 だというのに、今日の二等客車貨物部には、大量の【普通の荷物】があった。

 もちろん、本当に普通の荷物だったわけではない。


 普通の荷物に【偽装】されたそれらが、真の姿を現わす。

 信者たちは、偽装された荷物から大量の銃器を取り出した。





 二等客車貨物部の荷物たちがその本性を現したころ。三等客車貨物部。

 足早に進んだユアとロボは、列車最後尾にたどり着いていた。


「あ、ヒマリちゃんのストラップ……」


 荒れ果てた貨物部に目が行くより先に、少女の瞳はそれを捉えた。

 ずっと探し続けた自分のバッグと、持ち手に付いていた最も大事なものを。

 駆け足でバッグに近づくユア。


「よかった……本当によかった……」


 ロボもまた三等客車の惨状には触れずに、【赤い】ゾウの方のバッグに触れた。


「で、結局このバッグは誰のなのかな?」


「確かに……って、窓とか割れてますよここ!?」


 慌てるユアを気にもせず、ロボはバッグのファスナーに手をかけ。


 ひらいた。






 潮風が吹き込む三等客車貨物部の比ではなく、一等客車の展望デッキには強風が吹く。

 風に晒されながら悩み続けた佐々木だが、ついに決断した。


「俺、これが終わったら変わるから。絶対に変わるから」


 言い訳するように、自分に言い聞かせるように呟く。

 結局、俺は死体を捨てることにした。

 何度考えても、自首する決意は出来なかった。

 捕まるのは怖い。

 借金が無くならないのも怖い。

 死体を捨てれば【その場はしのげる】、はずだ。


「……結局、何も変われないんだろうな、俺は」


 嫌気が差す。

 それでも、自首をするという選択は、取れない。


 俺は臆病で、愚かだ。

 何度自己嫌悪に苛まれても、結局二十一年生きてきた自分を捨てられない。


 キャリーバッグを開く。

 匂いをかがないよう息を止め、死体を取り出す。

 最後に、撃ってしまった直後は見れなかった死体の顔を、見た。


「……これって、ニューアイランド製薬の【新島社長】?」


 せめてもの罪滅ぼしのつもりで見た顔は、テレビで見たことのある顔だった。


 なんで新島社長が箱の中にいた? 密航、じゃなかったのか? どういうことだ?


 思考がグルグルと空回りするが、我に返る。

 別にこの展望デッキは、誰も来ないだろうけど立ち入り禁止でもない。

 ぼーっと考えていたら、誰かに見られるかもしれない。

 それに、なんであろうと俺が死体を隠蔽しようとした事実は、もう変わりようがない。

 やるしかない。捨てるしかないんだ。


「ごめんなさい」


 謝りながら、死体と清掃用具を海に放り投げる。

 少しだけ大きな水しぶきをたてて、死体は海に落ちた。


 クレイジートレインは速い。

 死体は、すぐに見えなくなった。

 肩の荷が下りた、というのはこういうことなんだろう。


「はは、最低だ」


 安堵感を感じる自分に吐き気がして、それでもよかったと思う気持ちは抑えられず。

 ただ、涙が出た。






 三等客車貨物部。

 バッグを【開き】、中身を確認したロボは理解した。


 これは、ただの機械じゃない。

 爆弾だ。

 それも一両、いや両隣も巻き込んで三両は吹き飛ばせるようなやつだ。

 開けた瞬間ピッピッピッピ鳴り始めた、規則的な機械音が嫌な予想を駆り立てる。


「……ユアちゃん、これどんな人が持ってたんだっけ?」


 最悪の事態を想定しながらユアちゃんの方を振り返る。

 それと同時に、ドアが開いた。


「――っ」


 入ってきたのは、銃で武装した三人の【青い服】を着たやつらだった。






 それと同時刻、運転席にも憂う魚たちは乗り込んでいた。

 クジラと呼ばれた優しい笑みを浮かべた男が、マイクを手に取る。

 三人の信者に囲まれた氷取沢は、抵抗も出来ず機械を操作……しようとして気づいた。


「あっ」


 自動運転装置のところに、【グロリーくん】のぬいぐるみが置いてある。

 こんなの、朝乗った時はなかったと思うんだけど……。


「どうかなさいましたか?」


「い、いいえ何でもないです」


 誰かがここまで来たのだろうか。気にはなるが、そんな場合じゃない。

 言われた通り、【車内アナウンス】を開始するボタンを押す。

 クジラと呼ばれてた人は軽く咳払いしてから、口を開いた。


「皆様、ごきげんよう。このグローリーライナーは我々【憂う魚たち】が占拠させて頂きました」

 




『何故占拠したのか、我々の目的をお話しします』


 二等客車の乗客たちは銃で脅され、食堂車両に集められていた。





『我々の目標は、ただ一人です。聞こえているでしょう?』


 三等客車の乗客たちも同じように、突然の凶行に怯えていた。






『特等客車にいる【新島社長】。あなたが特等客車から出てその身を捧げるまで、列車の後方から一人ずつ、乗客を殺害します』


 例外無く、この列車の全ての場所に、その声明は届いていた。

 






 当然、展望デッキもその例には漏れない。


「今、何て言った……?」


 特等客車の新島社長が出てこなかったら、人質を殺し続けると言ったのか?


「そんな、新島社長は、今、俺が」


 俺が捨てた。捨ててしまった。

 何で新島社長が特等客車じゃなくて箱に入っていたのかは分からない。

 もしかしたら、俺が撃つ前から死んでいたのかもしれない。


 それでも、だ。


「俺の、せいだ」


 それでも、俺が捨ててさえいなければ、乗客が殺されることはなかった。

 今、一瞬、もう少しの間だけ踏みとどまっていれば、それだけで良かった。


 だが、もう駄目だ。


 俺が捨てた。


 新島社長が特等客車から出てくることはない。

 お前たちがテロなんかしなくても、もう死んでいたと知らせることも出来ない。

 証拠がない。


 俺が無くした。



「俺のせいで、全員殺される」

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