第13話 優しいね
ゆっくりと時間をかけながらお椀一杯のお粥を食べ終えると、美来の頬に少しだけ朱色がもどってきた。
「動けるか? タクシーを呼んで病院へ行くぞ」
そう告げると、彼女は眉尻を下げて、申し訳なさを顔いっぱいに広げる。
「そんなの悪いよ。立て替えてもらっても、返せるあてがないし」
「そんなのいつでもいいからさ。体は一番大事だろ?」
それは本当にそう思うんだ。
今まで取材で会った相手の中には、地方で開業するお医者さんもいた。
そこでは地方医療の難しさや、回復の見込みのない患者さんとの向き合い方の話なんかを聞いた。
健康で満足に動けるのは幸せなことだと、身に染みた。
だから美来にも、早くそんな風に戻って欲しいんだ。
美来は昨夜よりは元気が出たようで、俺が呼んだタクシーの場所までは、自分で歩いてたどり着くことができた。
運転手さんに病院の名前を告げて10分ほど車を走らせた場所に、目指す内科病院があった。
受付を済ませて待合で過ごす間、美来はずっと俺に寄りかかって、頭を俺の肩の上に置いていた。
やがて美来の名前が呼ばれて、診察室で初老の医師と向き合った。
上のシャツを脱いで聴診器を当てる時だけは、俺は診察室から席を外した。
美来は「いてもいいよ」とさらりと話してはいたけれど、それは俺の中の良心が許してくれなかったんだ。
「検査結果が出ないとはっきりとは分かりませんが、多分風邪ですね。栄養をとって、ゆっくりと休んで下さい。念のため点滴もしておきましょう」
医師にそう告げられた俺たちは、看護師さんに付き添われて別室へと移動し、美来はそこにあった簡易ベッドの上で横になった。
二人きりになった病院の部屋で、俺はぽたぽたと落下する点滴の雫に、そっと目をやる。
「本当にごめんね、小暮さん」
美来がまた眉尻を八の字に落として、謝ってくる。
「もう謝るなって。困った時はお互い様だよ」
「うん……ありがとう。優しいね、小暮さん」
「そんなことはないさ。普通だよ」
そんなにまじまじと瞳を向けられると、照れてしまうけれど。
でもきっとこれで元気になるはず。
俺の中でも安堵感が湧いてきて、それと同じくして、体に疲労感がじんわりと広がってくる。
でもそれは嫌ではなくて、不思議と心地よく感じるんだ。
診療が終って処方箋を貰い、医院のすぐ傍にある薬局で薬を用意してもらう。
確かに、支払いの時には引いてしまった。
福沢諭吉さんが何枚か、遠くに飛んで行ってしまったものだから……。
それからまたタクシーを呼んで、美来を家まで連れて帰る。
部屋の中に入ってから、
「小暮さん、汗かいちゃったから、着替えていいかな?」
どうやら持ってきた鞄の中に、着替えが入っているようだ。
「うん、そうするといい。俺は買い物に行ってくるから、ベッドで寝てなよ。何か食べられそうなものはある?」
「えっと、お魚とかだったら食べやすいかな。それとコンソメスープ」
「分かった」
いつも利用している近所のスーパーで、煮魚や野菜やソーセージ、コンソメなどを買い物籠に入れていく。
食べやすいかもしれないので、フルーツゼリーやアイスクリームも一緒に。
買い物を終えて部屋に戻ると、美来はベッドの中で横になっていて、寝息を立てていた。
医院での点滴が効いたのか、昨夜よりも寝顔が安らかだ。
彼女が目を覚ましたら食べられるように、コンソメスープの準備に取り掛かる。
あまり経験が無いので不慣れな手つきでキャベツや人参を切り、ソーセージと一緒にコンソメの煮汁の中で煮込む。
なんとか一通り準備が終ってからノートパソコンを開くと、影山さんから途中まで書きかけの原稿が送られてきていた。
中味に目を通すとかなりよくできていたので、誉め言葉と一緒に、今日一緒にいられなかったお詫びの文章を送った。
夕陽が窓辺からさしてくる頃合いになってから、美来が声を漏らした。
「小暮さん……」
「お、目が覚めたか?」
新しい企画書を書いている最中だった俺はパソコンをパタンと閉じて、美来の傍に身を移した。
「どうだ、気分は?」
「ありがとう。大分いいよ」
「飯は温めると食べられるから、気が向いたら言ってくれ」
そう伝えると、美来は嬉しそうに笑みながら、布団の中でもぞもぞと体を動かした。
「そうだ、洗濯をしようと思うけど、一緒に洗うものってないか?」
「あ、後で私がやろうかと思ってたから、洗濯籠に入れてあるんだけど」
「いいさ。こっちでやっとくよ」
洗面所に置いてあった籠の中身を取り出して、洗濯機の中へ。
……明らかに自分のものではない白い下着の上下に手が触れて、一瞬胸がドキンと跳ねる。
ま、まあ……こういうこともあるよな、一緒にいれば、うん。
美来がベッドから起き出てこれたので、俺はキッチンに立って魚をレンジに入れ、コンソメスープを火にかける。
煮魚の甘辛い匂いやコンソメの香が、ふわっと鼻腔を撫でてくる。
皿や器によそってからリビングのテーブルの上に並べて、
「お粥の残りもあるから、食べられるだけ食べて薬を飲もうな」
「ありがとう。何だか私、小暮さんの子供にでもなったみたいね」
「病気の時はそれでいいんだ。この程度しかできなくて申し訳ないけどな」
美来はゆるりと首を横に振ってから、コンソメソープを一口啜る。
「美味しいよ、小暮さん。けど、野菜の大きさがバラバラだね」
「悪いな。こっちは包丁を握るのも久しぶりだったんでな」
「ふうん。私のために、頑張ってくれたんだ?」
「……い、いいから、冷めない内に食ってしまおう」
美来はずっと嬉しそうに表情を緩めながら、魚やスープを口に運んでいく。
口に合ったのか、テーブルの上にあったものは全部平らげて、追加のお粥もリクエストしてきた。
夕食を終えてひと息をついていると、
「ねえ小暮さん、なんで私がここに来たか、気にならないの?」
ふいにそんな言葉を漏らしてくるけれど、俺は意外と冷静だ。
「気にはなるさ。でも、何の理由も無くてここには来ないだろ? 心配しなくてもいいから、今はゆっくり体を治すんだ。気が向いたら話してくれよ」
そう応えると、美来は安心したように安らかな表情を作って、俺の方に向けたんだ。
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