第12話 静かな再会

 その女性は長いスカートの下で体育座りをしていて、脇に大き目の鞄が置いてある。

 深く俯いていて長い髪が顔の横を塞いでおり、表情は見て取れない。

 けれど、確かに見覚えがあって。

 頭の上の赤いカチューシャが、俺の瞳を捉える。


「……もしかして、美来……?」


 恐る恐る問い掛けると、項垂れていた頭が上を向いた。

 どうしたのだろう?

 目に力がなくて虚ろだし、顔が青白くて生気を感じない。


「……小暮さん……」


 彼女は口の端を微かに上げて、夜の空気の中に消えてしまいそうな力ない声を発した。


「どうしたんだよ、一体!?」


「えへへ……ごめんね。小暮さんが戻ってくるの、待ってたの」


「待ってたって……いつから?」


「昨日の夜に来たんだけど、ずっと戻って来なかったから。それで今日もう一度ね。携帯の番号とかも知らないから、確実に会えるのってここかなって」


 確かに、連絡先とかの交換はしていなかった。

 あの夜限り、もう会うこともないと思っていたので。


 しかし今の彼女は、明らかに様子がおかしい。

 二日間俺のことを待っていたのだとしたら、かなりの時間、ここにいたってことなのだろうか。


「まあ、よく分からないけど、とにかく中に入る?」


 事情は分からないけれど、彼女はかなり疲れているっぽい。

 それにずっと玄関先に座らせておくわけにもいかない。


 彼女はこくんと頷くと、両足を床に踏みしめようとして――

 ふらりと体が揺れて、俺の胸元にもたれ掛かってきた。


「おい、どうしたんだよ!」


 彼女の体から、熱気が伝わってくる。

 直接触れた部分から、それに彼女の周りを包む空気からも。


 ―― 熱?


 咄嗟に彼女の額に手を置くと、明らかに普通ではない熱さを感じた。


「とにかく、中に入ろう!」


 急いで鍵を開けて、抱きかかえるようにして彼女を部屋の中に連れ込んで、ベッドの上に座らせた。

 頭がゆらゆらと揺れていて、身を起こしているのがしんどそうだ。

 

「取りあえず、熱を測ろう」


 体温計を渡してわきの下に挟ませてから一分後、液晶パネルは40.1度を示した。

 凄い熱だし、はあはあと呼吸も苦しそうだ。


「熱が高いな。待ってな、今夜間の当番医院を探すから」


 夜間での診療を受け付けてくれる医療機関を探そうとスマホを手にすると、美来は片手を上げて俺を制した。


「だめ、それは」


「何でだよ? 今のままだとしんどいだろ?」


「お金ないし、保険証もないの…… だから、払えないから……」


 どういうことだ? 保険証くらい普通は持っていて、学生だったら親が保険料を支払っているように思うけど。

 でもとにかく、今はそんなことを議論している状況ではないだろう。


「だったら俺が立て替えておいてやるから、まずは病院に行こう」


「待って……」


 それでも美来は、首を縦には振らない。


「ちょっと寝たら、大丈夫かもしれないから。それよりお願いがあるの」


「お願い?」


「しばらく、ここに泊めてくれないかな?」


 え……?

 ちょっとの間、俺の思考回路がフリーズ状態になる。


 正直、胸にずんとのし掛かってきて、戸惑う言葉だ。

 しばらく泊めて…… 知らない若い女の子と一つ屋根の下、普通ならあり得ないだろう。

 けれど、息も絶え絶えにその言葉を絞り出した今の美来に、そんな正論を投げつけてもいいとは思えなかった。


「分かった。だから安心して休むんだ。明日になってもこんな調子だったら、病院へ引っ張っていくからな」


「ありがとう……」


 俺の言葉を聞き届けると、美来は安心したように柔らかく微笑んで、倒れ込むようにベッドの上に伏して沈んだ。

 彼女の上に薄い布団を掛けて、念のため夜間の病院を探しておいて。

 氷水にタオルを浸して、彼女のおでこの上に乗っけた。


 そんなことを続けながら、深夜になっても何故か眠さは感じなくて。

 時折苦しそうに顔を歪める彼女を、じっと見守った。


 気がつくと、窓の外が白々と明るくなっていた。

 そっと彼女の頬に手をあててみても、やはりまだ熱気は冷めてはいない。


 少し粗い息を吐く彼女の寝顔に目をやりながら、色々なことに頭が回り始めた。

 前に別れてから大体一週間ほどが経っている。

 その間に、何かあったのだろうか?

 どうして俺の家まで訪ねてきたのだろうか?

 しばらく泊めてくれと言うけれど、なぜそのようなことに口にするのか?


 疑問は尽きないけれど、今はまず彼女の安静が第一だろう。


 いつも出発している時間を少し過ぎてから、スマホのRINEアプリを使って、綾子さんに、


『急用により今日は休みたいです。パソコンは随時見ますので、何かったら連絡するよう、影山さんに伝えてほしいです』


 と一報を入れた。

 

 それからもうしばらくすると、ベッドの上の布団がもぞもぞと動き出した。

 「小暮さん……」と小さな声が聞こえてきて。

 どうやら美来が目を覚ましたようだ。


「お、目が覚めたか。どうだ調子は?」


「えっと、頭がガンガンしてるしお腹が気持ち悪いかな。ごめんね、突然こんなことに」


「いいから気にするな。お粥を作ったから、食べるか?」


「え……?」


 柔らかいものの方が食べやすいかなと思って、あまり使ったことのない炊飯器の機能を応用して、お粥を作っておいた。

 昔子供の頃、自分が病気になる度に、母さんが作ってくれたのを思い出したんだ。

 幸い、梅干しと塩昆布はストックがあるので、おかゆの味付けにはなるだろう。


「起き上がれそうか?」


 そう問うと、美来はにたりと笑った顔を作って、


「ちょっとしんどいかも」


 う~ん、ということは…… あれしかないよなあ。

 照れくさいけれど、今はそんなことは言っていられない。

 喉の奥でぐっと唾を飲み込んでから、


「なら、た、食べさせようか?」


「うん、お願い」


 たどたどしく問うた俺に、美来はさらににっと微笑んで、首を縦に動かした。


 お粥をよそったお椀の上に梅干しを乗せて、蓮華ですくって美来の前に差し出すと、


「私、猫舌なんだよね」


 何なんだよもう……


 今までに読んだラブコメ小説の知識を総動員して。

 蓮華の上に乗っかったお粥に何回か息を吹きかけてから差し出すと、美来はそれをぱくりと口に含んで、


「ありがとう。美味しい」


 と言葉にしながら、幸せそうに笑ったんだ。




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