第11話 取材旅行
俺は今、西へ向かう新幹線の中にいる。
中国地方の某所に住まう著名な陶芸家、
矢のように流れる車窓に目を向けながら、到着まではゆるりと過ごす。
―― はずだったのだけれど。
「小暮さん、お菓子食べませんかあ!? このクッキー美味しいですよ」
「いや、今はいい」
「今日の夜は温泉ですよね? 楽しみだなあ。美白の湯って、お肌にいいみたいです。綺麗になれるかなあ?」
「お前なあ、遊びに行くんじゃないんだぞ?」
「あ、混浴のお風呂もあるみたいですよ、小暮さ~~ん?」
「……行きたきゃ勝手にどうぞ」
何故か俺の隣の窓際席に、影山さんが座っている。
別々に移動して現地集合にしようかと思っていたけれど、「どうせなら途中で話を聞かせてくださいよ」と宣って、二人分の新幹線をさっさと予約してしまったのだ。
まあ、自分で手配する手間は無くなったのだけど、片道数時間の安穏であったはずの時間は、霧散して消えてしまった。
仕事に関係がある話は大概したつもりなのだけれど、これ以上何をしゃべればいいのか。
そんな俺の不穏な心境をよそに、彼女はあれやこれやと雑談を吹っかけてくるんだ。
「あ、京都駅ですね。今度京都の取材をしませんか? 秋の京都なんてよくないですか?」
「じゃあ、どこに行って何をするのか、企画書をまとめろって。それを綾子さんに見せて、取材許可をもらってアポ取りをするんだ」
「はい、頑張ります!」
それからもう少し先の駅でのぞみ号を降りて、在来線とタクシーを乗り継いで。
約束の時間の前には伊藤先生の邸宅の傍までたどり着いた。
少し高台になった丘の上の住宅地からは遠くに瀬戸内海が見渡せて、爽やかな風が頬を撫でてくる。
約束の時間になって、古びた古民家のようなお屋敷の前でインターホンのボタンを押して、自分たちの名前を名乗った。
中から出てきてくれたのは、白い和装に身を包んだ、小柄で温厚そうな老人、伊藤先生本人だった。
「遠くからよく来なさったね。何もないとこだけど、まあどうぞ」
そう勧められて、広い庭園に面した縁側のある部屋に通してもらった。
奥さんが出してくれたお茶を啜りながら、訪問を受けてくれたお礼を述べて、取材を始めさせてもらった。
こういう時にはいつも俺は、できるだけ入念に下調べをして、相手の経歴ややってきた仕事、趣味などを頭に入れて、何回か話し方のシミュレーションをしている。
その場の思い付きで臨機応変になどは俺には難しいので、言葉に詰まってもすぐに次が引き出せるように、工夫をしているのだ。
時間を無駄にせず、相手の人に不快な思いをさせないために。
伊藤先生は著名な陶芸家で人間国宝に指定されていて、国からの叙勲も受けている。
その作品の芸術的な価値は高くて、高価なものは壺や皿一つに億の値が付けられるという。
「後で工房も見せるけど、申し訳ないが今は作業はやってないんだ。丁度昨日作品が仕上がったばかりでね。そうだ……」
伊藤先生はゆっくりと立ち上がると、どこかの別室へと姿を消して、再び戻った時には、両手で大きな皿のようなものを抱えていた。
「これが昨日できた作品だ。古い友人の記念日のために、贈り物として作ったんだがね。良かったら手に取ってみて下さい」
「え、いいんですか!!??」
伊藤先生作でまだどこにも出回っていない新作、それを手に取ってなど、何と恐れ多いことか。
震える手つきでそっと持ち上げると、それは思ったよりは軽くて、滑らかな手触りと土の重みが体に伝わってきた。
薄茶色の下地に薄緑の淡い文様が施されていて、艶のある光沢と一緒になって、抽象的な絵画を見ているようにも思えてしまう。
それから、ろくろや焼き窯が鎮座する工房を一通り案内してもらった。
「あの、奥様との馴れ初めなんか、お聞きしていいですか?」
俺からは質問できないような言葉が影山さんの口から飛び出したりしたけれども、伊藤先生は温厚な空気感のままで、丁寧に言葉を返してくれた。
予定していた時間はあっと言う間に過ぎてしまって、俺と影山さんは何度もお礼を言ってから、伊藤先生の邸宅を後にした。
「お疲れ様でした。いい記事が書けそうですね?」
「ああお疲れ。影山さんのお陰で、普段聞けないことも聞けたから、面白い内容になりそうだよ」
「小暮さんが丁寧にお話を聞いていたから、それに乗っかっただけですよ。流石です!」
お互いの労をねぎらう言葉を掛け合いながら、今日の宿泊予定の民宿へと移動した。
そこは海辺に近い場所にあって、近隣の漁場から挙がった魚介を使った料理が評判だ。
影山さんが言うように、内湯や外湯の温泉もある。
まだ少し早いけれど、今日はここでゆっくりしよう。
俺と影山さんとは勿論別々の部屋なのだけれど、
「小暮さん、外湯でも行きませんか?」
早速部屋に訪ねて来て、そんなお誘いを掛けてくる。
別にわざわざ外に行かなくても、この民宿にも温泉はあるんだけどな……
でもまあ、記事のネタにもなるかもなと思いなおして、彼女と二人で外出して、少し熱めの外湯に身を浸した。
その夜の夕食は食堂で頂いたのだけれど、やはり豪華そのものだった。
魚や海老、貝が豪快に盛られた舩盛や、天ぷらに煮魚などなど、それに地元の地酒も加わって、影山さんが目をまん丸にして上気していた。
これは全部取材費で落ちるのだけど、私利私欲で贅沢をしているのではなくて。
これも取材の一環、いわゆる役得という範疇なのものかもしれない。
「小暮さんって、彼女さんとかいるんですかあ~?」
芳醇な美酒を何合か飲み干したあたりで、影山節がさく裂しだした。
「そういうのを訊くのって、今はセクハラになるんだぞ?」
「ええ~? それって会社での話でしょ? 今はプライベートな時間ってことで!」
会社の金で飲み食いしていてプライベートは無かろうと思いながら、反撃を試みる。
「なら、お前の方はどうなんだよ?」
「いませんよお、絶賛募集中です!」
やれやれ、これもギブアンドテイクか。
「俺もいないよ」
「ふふ~ん、そっかあ~」
何だ、赤い顔をしてその流し目は? 飲酒のペースが速すぎるんじゃないのか?
まあでも、いいか。
知り合って間もない先輩社員との慣れない仕事、彼女なりの気の使い方なのかもしれないしな。
「実は私、もっとずっと前から、小暮さんのことを見ていたんですよ」
「そうか。まあ、綾子さんとは散々、喧々諤々とやっていたしなあ」
「……それもありますけど、もっと前からです」
「え、もっと前?」
「……覚えてないですよね、きっと?」
「えっと……ごめん、よく分からないな」
よく分からない話だけれども、そう正直に答えると、影山さんは一瞬笑顔を曇らせてから、また普段の調子で話を再開した。
その夜は無礼講にして、彼女の恋バナや世間話に散々付き合ってからお開きに。
翌朝に食堂で集合すると、何事もなかったかのように振舞っているので、やはり酒の方はかなり強いようだ。
その日は、景色が綺麗な場所や歴史的な史跡がある場所などを巡り、昼は海辺の漁村で浜焼きを賞味した。
帰りの新幹線では、お疲れさまも兼ねてビールとつまみを買って、パソコンを開いて記事のあらましを二人で話し合った。
ここから大体一週間くらいのうちに、記事を綾子さんに確認してもらってから、一連の作業が終わる流れだ。
すっかり日が落ちて、煌々と光が灯る東京駅で、この旅行も解散だ。
「小暮さん、ありがとうございました。明日から頑張って書き上げてみますね」
「ああ、よろしくね」
影山さんとはそこでさよならをして、コンビニで夜食を仕入れて、見慣れた夜道を歩く。
マンションの階段を上って、自室へとつながるドアの方へ眼をやると、見慣れない光景があった。
俺の部屋のドアの横で、女性らしい人影が、顔を床に向けて座り込んでいたんだ。
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