第7話 泊めるだけだぞ

「俺の、家……?」


 全く想定にない言葉が耳に流れてきて、間抜け面を晒しながら問い直した。

 そんな俺の方にじっと揺れる瞳を向けながら、美来はこくっと首を縦に振る。


「えと、あの、それ、なぜに、その……」


 頭の回路が麻痺しかかって、変なロボットのような言葉しか、口から出てこない。

 この時間から家に来るってことは、お泊りってことだよな?

 大人げなくも変に胸が高ぶって、体中から発熱反応が起こる。


「このまま一人の部屋に帰りたくないからさ」


 自然な笑顔だ。

 変な悪戯っ気も、打算も好奇心も、情欲も感じない。

 ただ普通に、少しだけ恥ずかしそうにしながら、頬を緩める美来がいる。


「えっと、だからと言って、見ず知らずの俺の家に? いいのかそれって?」


「あら、もう見ず知らずじゃないでしょ? 私たち」


 ……そういうものなのだろうか?

 聞いた話の中では、合コンなどでは『お持ち帰り』という現象があるのだという。

 飲んで語らって意気投合した男女が、こっそりと他の面々とは別れて、何処かへと消えてしまうのだそうだ。

 その先にあるのは、多分……


 これもしかして、それに似たような……

 変な妄想が膨らんで、自分のつたない想像力が破裂しそうになる。


 いやでも、俺はそんなつもりで、彼女としゃべっていたのではないはずなのだけれど。

 ここで変に勘違い野郎になるわけにはいかない。


「あの、それ、やっぱりまずいんじゃないかな?」


「どうして? 彼女さんでもいるの?」


 どうしてと訊かれても、返す答えも実は無い。

 彼女さんはここ数年はいないから、気にする必要は無いのだけれど。

 明日が早いから? そんな理由で断るのってどうなんだろう。


 君の事は興味がないから……いやいや、それこそそんな目で見ていることになるし。

 変な断り方をすると、よこしまな想像をしていることもばれてしまうのかな?


 人込みが疎らになった裏路地で佇む二人、都会の喧騒が遠い世界のように感じる。


「彼女はいないよ。けど、やっぱりまずいんじゃないのかな。一応俺たちは男女なんだし、変な間違いが起こると困るだろ?」


「起こるんだ、変なこと?」


 表情をふわっとを緩めて、何事も無いようにそう返す美来。

 俺は焦って、次の言葉を何とか繋げようと努力する。


「いや、そうじゃないけど! でも普通はそんなことを心配するだろ!?」


 少し語気を強めてしゃべった俺を見る美来の表情は、変わらない。

 微笑んで、何だか楽しんでいるかのように見える。


「起こっても、私はいいけどな。小暮さんなら」


 ――――!!!!!

 思考回路がショートして、火を噴きそうだ。

 多分、本気で言っている訳ではないだろう、うん、そうに違い無い!

 けれど、夜の街でほろ酔い気分で、女性免疫が乏しい25歳の独身男にとっては、夜空に広がる花火よりも鮮烈で魅惑に溢れる言葉だ。


 けど、ここは大人の先輩として、冷静に冷静に……


「あの……美来さん、やっぱりそれはやめよう。俺たちは今日知り合ったばかりだし、そういうのはね」


 俺の中での常識と理性とを総動員して、なんとかそう返した。

 のだけれど、美来は目で見てはっきりと分かるほどに、表情を暗くしてしゅんと肩を落とした。


「そっか、だめかあ……」


「う、うん。悪いけど」


「分かった、じゃあね。私、公園に戻るね」


「うん、じゃあ……」


 言いかけて、言葉が止まった。

 え、何だって? 公園に戻る!?


 彼女は俺に背を向けて、駅の方ではなくて、昼間に会った公園がある方向へと歩き出した。

 とぼとぼと、背中を暗くして。


 おいおい……

 このまま戻ったら、彼女はどういうことになるのだろうか?

 想像して、俺の中でぞくっとする黒いものが広がった。


 あと少しで終わりを迎えるとはいえ、記念すべき二十歳の誕生日。

 それを、どこの誰とも分からない男と、お金と体の関係だけで過ごす。

 しかもそれは彼女にとって、初めての――


「おい、待てって!!!」


 気が付けば俺の口から、強い語気に満ちた言葉が突いて出ていた。


 美来はその場で立ち止まって、くるりとこちらに体を向けた。


「なに、小暮さん?」


「えっと、その…… 本当に、公園に行くつもりか?」


「…………」


 美来は、すぐには答えない。

 その場で立って、薄暗く染まったアスファルトに向けて、寂し気な視線を落としている。


 きっとそうしたい訳じゃないのだろうけど。

 でもこのまま放っておくと、夜の欲望の中に巻き込まれてしまって、彼女はどうなるか分からない。


「……泊めるだけだからな」


 照れ隠しもあって投げやりな感じでそう口にすると、美来はゆっくりと顔を上げた。


「え……?」


「今夜一晩泊めるだけだ。何も起こらない。それでいいな?」


「……うん!!」


 俺の言葉を受け止めたはずの彼女は、さあっと表情を明るく変えてから、俺の元へと駆け寄った。


 可愛い、本当に。

 駆けるたびに、黒髪がふわふわと宵闇に溶け込んで揺れて、豊かな胸元が上下に揺れる。

 真っ白で長く伸びる素足が、風の中の白い華のように揺らめく。

 こんな子に甘く言い寄られたら、大概の男は即撃沈されてしまうんじゃないだろうか。


 事情は全く分からない。

 でもせめて今日一日でも、彼女が変なことにはならないで、穏やかに過ごして欲しい。

 だから俺は、一切の煩悩を捨て去って、彼女を変な目で見ないようにするんだ。


 ……結構ハードルは高いけど、飛び越せるかなあ……


 そんな心配をしながらも、俺たち二人は家路についた。

 終電間近な電車に揺られている間、まだお酒に慣れていなかったのか、美来はうとうとしながら、頭を揺らしていた。


「おい、着いたぞ」


「ああ……はい」


 彼女を起こして電車を降りて、いつも見慣れた遊歩道を歩く。

 時間が遅いためか、辺りに人影は見られない。


 その先に、俺が住む安アパートがある。

 そこの二階の部屋は、大学の時からずっと暮らしている場所だけれど、築年数がかなり古くて狭い間取りだ。

 けど家賃は比較的安くて、キッチンやバスも揃っているし、独身男の一人暮らしには何も支障はない。

 一応ベランダもあって、洗濯物を干したり、街の光に星が霞む夜空を見上げることはできる。


「どうぞ、狭くて汚いけど」


「お邪魔します。男の人の部屋に入るの、初体験だなあ」


 ………… まあ、光栄ではあるけどな。


 一応これでも、整理整頓には気を付けているので、女性に見られて変なものは無いはずだ。

 美来はぺこんと頭を下げて部屋に入って、しばらくの間ぐるりと目を泳がせてから、


「小暮さん、お風呂借りてもいいかしら?」


「……いいけど、別に」


 女性だから、寝る前にはお風呂に入りたいんだよな?

 あまり深く考えないで、首肯した。



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