第6話 いい人だね

「それって、どういうことなんだ?」


 朴訥ぼくとつとして察しのつかない俺は、問いを返した。

 少しの間、周りで陽気に賑わう喧騒の波に包まれながら、黙って待っていると、


「お金は欲しかったから、あの場所に行ったんだ。友だちと一緒にね。その子はさっさと相手を見つけていなくなっちゃったけど、私は中々いいなって思える人がいなくて。だって、私は初めての経験なんだよ? 誰でもっていうのはやっぱり嫌で何となく断ってて。そうしていると、小暮さんが近づいて来たんだよ」


「……なあ、その……初めてって、もしかして……?」


 まさかと思ったし、訊いていいのかどうかも分からなかったけれど、どうしても気になってしまって。

 俺が問いを向けると、美来は俺から視線を逸らして、きゅうっと肩をすぼませた。


「私まだ、男の人を知らないから……」


 どうやら、そのまさかにヒットしたようだ。

 この子の言葉を信じるのなら、まだ男性経験が無くて。

 それで、あの場所にいたのか?


 俄かには信じがたくて、一瞬目の前が白くなる。

 だって最初のそれって、女の子にとって大事なことじゃないのかな?

 精力旺盛な中高生男子がさっさとDTを捨て去るのとは全然違うだろう。

 

 けどそれも、俺の古い価値観なのか?

 いやいや、そうは言っても、俺と彼女とは6つ程しか年は離れていない。

 そんなにズレていることは無いと思うけどな……


「でもさ、小暮さんはいい人そうだったから、そうなってもいいかなって思ったんだよ。でもあっさりフラれちゃったな。私って魅力なかった?」


「いや、あの……俺は仕事中だったし……」


「そう? なら、今からでもどう?」


 美来はうっとりとしたような目をこちらに向けて、悪戯気味にほほ笑む。。


 ――本気で言っているのか、そんなこと?


 心臓がばくばくと高ぶって、理性の器がガタガタと揺らいでいる。

 こんな綺麗な子の初めてに、俺が……?

 不純なのは分かっている。

 けれど、こんなチャンスは、恐らくもう二度と無いだろう。


 心と頭が大揺れに揺れてしまったけれど、ふと今日の取材の目的を思い出した。

 あそこにいた女性たちの背景事情にスポットを当てることだったけれど、でもそれがあるのは、求める側の人間もいるからであって。

 自分の中の弱さに喝を入れつつ、すうっと深呼吸をして、自分自身を落ちつかせる。


「いや、やめておこう。それより、結局今日は、誰ともそういうことになっていないのか?」


 冷静な自分を急遽捏造しながらそう応えると、美来は明るくあはは、と笑った。


「やっぱりね、小暮さんならそう言うと思ったよ。結局今日はね、お客さんと一緒にホテルの前まで行ったんだけど、ふんぎりがつかなくって。それで断ったら、その場で引っぱたかれちゃってさ。それでこの辺りをふらふらと歩いていたら、目の前から小暮さんが歩いて来たんだよ」


「そうか。酷い奴がいるもんだな」


「うん。でも酷い奴っていうのなら、小暮さんもだよ」


「え、俺?」


「うん。だって私のこと、無視して通り過ぎようとしたでしょ?」


 まあ確かに、そうなんだけれどもさ。

 俺なんかに話し掛けられて、嬉しい訳がないと思ったし。

 何だか考え込んでいるような顔をしていたから、邪魔もしたくはなかったんだ。


「えと、まあ、お互いにあの場限りと思っていたからさ。変に話し掛けるのも悪いかなと思ってさ」


「ふ~ん。じゃあやっぱり、私のこと気づいてたんだ?」


 ……勘弁してくれ。

 悪気があった訳じゃないんだ。

 ただそっとしておきたかっただけで。


「でもまあそんなとこ、小暮さんのいいとこなのかもね」


「えっと、いいとこなのかな、それ?」


 ばつが悪くて仕方が無くて、後ろ頭にぼりぼりと爪を立てる俺に、美来はなおも悪戯っぽく笑みを向けてくる。


「まあね~。歩いていてもいっぱい男の人から声を掛けられたけど、小暮さんは逆だね。珍しくはあると思うよ?」


「そうか。誉め言葉として受け取っておくよ」


「うん。それに、見ず知らずの私のことを心配してくれて、こうして一緒にいてくれてるし。とってもいい人だと思うよ?」


 いい人か。

 今までに何回か言われたことはあるけれど、嬉しく感じたことはない。

 十把ひとからげ、嫌いじゃないけど、それ以上親しくはなりたくない、どうでもいい人。

 そんな意味に感じてきた。


 けど今の美来の言葉にはそんな感じは乗っていなくて、自然と心根穏やかに受け入れることができた。


 ラーメンと餃子を大方食べ終えて、ビール瓶も空になった。

 でも美来は、まだ話し足りないような感じだ。

 頬をほんのり桃色に染めながら、時に陽気に、時に憂いを湛えて、話を重ねてくる。


「私大学の二年生なんだけど、超金欠でさ。だから嫌だけど、仕方がなくてさ」


「そうか。親とかには頼れないのか?」


「うん。頼れない」


「どうして?」


「……あんまり、恰好のいい話じゃないからさ」


 それ以上、俺の方から深く訊くことはしなかった。

 儚げな笑顔の奥に、何か秘めたものがあるように感じたんだ。

 

 それに、二十歳の誕生日という記念日にあの場所にいて、今はこうして素性の分からない俺と一緒にいる。

 その根っこの部分に触れてしまいそうなことを、興味本位で覗いていい気がしなかった。


 いつしか時計の針は11時を過ぎている。

 店内からは少しずつ客の姿が減っていって、ざわついていた喧騒は夜の空気の中に姿を消していた。


「なあ、もう遅いから、そろそろ帰らないか?」


「え……?」


 宴の終わりの言葉を提案すると、それまで笑顔だった美来の顔にすっと影が過った。


「そうだね、もう遅いもんね。あんまり小暮さんに、迷惑かけられないしね」


 美来は空になった器やグラスが並ぶカウンターテーブルに目を落として、寂し気な小声を返した。

 俺も何だか心残りではあるけれど、ずっとこうしてもいられない。

 そう思って黙っていると、


「お客さん、良かったらこれ、どうぞ」


 そう声を掛けてくれたのは、カウンターの向こう側でずっとフライパンを振るっていた、スキンヘッドが眩しい男性だった。

 俺の目の前には、刻みネギがまぶされたトロトロの焼き豚とメンマが乗った皿が置かれていた。


「え、あの……?」


「ちょっと仕込みが余っちゃてね。もう客もいないからサービスで」


 そんなことはないだろう。

 まだ他に何人かは客はいて、この店の営業時間は夜明け近くまで続くはず。

 不器用だけれども心温まる気遣いに感謝しながら、


「……ありがとうございます、じゃあ、瓶ビールをもう一本、お願いできますか?」


「はい、喜んで」


 口の端に皺を寄せる男性とそんな会話をすると、すぐ横にいる美来に、朗らかな笑顔が戻った。


 それから俺と美来は、もう少し、ビール瓶一本分だけ会話を重ねて。

 勘定を支払ってから、二人で店の外に出た。


「じゃあ、帰ろうか」


 そう当たり前のことを美来に伝えると、彼女は自分の胸に手を当てて、俺に言葉を返してきた。


「ねえ、小暮さんのお家に、行っちゃだめかな?」




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《作者よりご挨拶です》


貴重なお時間を使ってここまでお読み頂き、誠にありがとうございます。

本作はいかがでしょうか?

よろしければ、感想コメントやご評価等も頂ければ幸いです。


引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。



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