第18話 悪くない
その翌朝、布団の中で目が覚めると、キッチンの方からカタコトと音が聞こえた。
きっと美来が朝の準備をしてくれているのだろう。
上半身を起こすと、彼女はこちらを振り返って、ぱっと笑顔の華を送ってきた。
「おはよう、小暮さん。朝ごはんの支度できてるよ」
「おはよう。ありがとう」
長い髪を束ねて後ろでくるりんとしているのが、何だか可愛い。
洗面所で顔を洗ってからリビングの方へ戻ると、俺が寝ていた布団が綺麗に畳んであって、テーブルの上には和風の朝食が並べられていた。
昨日の夜の残りの白ご飯とお味噌汁、それに味付け海苔と納豆。
その真ん中に、黄色くて厚みのある玉子焼きが鎮座していた。
「美味そうだな、頂きます!」
納豆を掻き混ぜて熱々のご飯の上に乗っけて、海苔と一緒に口の中へと運ぶ。
豆の甘さと海苔の塩加減がいい関係で口の中に広がって、眠っていた頭にエールを送ってくれる。
玉子焼きは少し甘めの味付けで、俺の好みともよく合っている。
「美来、お前本当に料理が上手だな。この玉子焼きの甘さ、もろに俺好みだ」
「ありがとう。そう言ってくてると嬉しいよ。私もこんな感じが好きなんだ」
前に美来が作ってくれた時もそうだったけれど、お陰で満足感一杯の朝を迎えることができた。
着換えも終えて会社へ向かう準備をしていると、
「あのさ、小暮さん。よかったらこれ」
美来はそう言って、青色のハンカチにくるまれた小箱のようなものを差し出した。
「え、これは?」
「お弁当作ってみたの。自分の分も作ろうかと思ったから一緒にね。昨日の残りのハンバーグと朝の玉子焼きくらいだから、あんまり代わり映えはしないけど」
そんなことを言ってくれる美来を目に入れながら、胸の奥がじーんと暖かくなる。
昨夜の晩御飯だけでなく、朝御飯にお弁当まで。
病み上がり、しかも慣れていないこの部屋で早起きをして。
「ありがとう、美来。これで俺、今日一日頑張れそうだよ」
そう口にしてお弁当を受け取ると、美来は嬉しそうに笑ってくれたんだ。
玄関先で彼女とは別れて……
と、その前に。
「なあ美来、RINE交換しとかないか? 何かあった時に便利だと思うんだよ」
そうだ、もしお互いに連絡ができてたら、美来を長い時間部屋の前で待たせることもなくて、体も壊さなかったかもしれないんだ。
「いいよ、もちろん」
そこで、お互いがスマホのメッセージアプリに登録ができたことを見届けてから、いつもの通い慣れた道に足を向けた。
会社に着いて朝の缶コーヒーを煽りながらパソコンをいじっていると、影山さんがにこにこと笑みながらこちらに駆け寄って来た。
「おはようございます、小暮さん。私のパート、大体書き終えました!」
「え、そうか? 早いなあ。昨日書いたのか?」
「はい。昨日は結局早めに帰って、家でやることがなかったので書き進めたんです」
「そっか、分かった。送ってくれたら見ておくよ。こっちもピッチを上げないとな」
確か昨日は映画に行くとか言っていたけれど、結局家に帰って仕事をしていたんだな。
仕事熱心なのはいいけれど、頑張り過ぎてやしないかと、少し心配もしてしまう。
それからは影山さんの原稿に目を通したり、自分の担当の所を文字にしたりといったことに、ずっと没頭して。
気付けばもうお昼の時間になっていた。
周りのデスクの面々が席を立ってフロアから姿を消していく中、綾子さんと影山さんがこちらに歩いて来た。
「小暮君、お昼いかないか? 影山さんとお蕎麦屋に行こうかって話しているのだが」
この社屋には小さな喫茶店やコンビニはあるけれど、食堂のようなものは存在しない。
なのでお昼の時間は、外に食べに行くことも結構多い。
「あ、悪いんですけど、俺は今日弁当があるから」
「弁当?」
綾子さんの目が眼鏡レンズの奥で鋭くなって、にいっと口元を歪めた。
「それは珍しいな。面倒くさがり屋で料理などほとんどしない小暮君が弁当?」
「ま、まあ、昨夜作り過ぎたので、その余りですよ」
「作った? 君が自分の晩飯を作り過ぎたのか?」
「あ、はい。はは……」
綾子さんとは付き合いも長いので、俺の人となりもよく知られている。
ほとんど自炊などしないし、今まで俺が自分で弁当を作ったことなどは一度もないので、かなり奇異に映ったことだろう。
無論、綾子さんのその感覚は、びた一文間違ってはいないのだけれど。
「ふうん、まあそれなら仕方ないな。影山さん、二人で行こうか?」
「はい」
影山さんがちらちらと視線を向けながら去っていくのが気になったけど、二人がいなくなってから弁当を広げて、頂きますと一人呟いて手を合わせる。
ハンバーグと玉子焼きが綺麗に詰められていて、レトルトの温野菜が添えられている。
ご飯の上に振りかける海苔たまの小袋も一緒だ。
一口一口味わうと美来の笑った顔が頭に浮かんできて、一人で忍び笑いをする。
美来は大丈夫だろうか、ちゃんと学校には行けたのだろうか、そんな事も思いながら。
悪くないな、こんなのも……
食後にスマホに目をやると、美来からメッセージが入っていた。
『今学校。バイトも探し中(汗)』
どうやら普通にやれているようでほっとして、親指を立てた絵柄だけを返した。
その日の午後のうちにこっちのパートも書き上げて、影山さんと読み合わせをしてから、綾子さんの方に原稿を送った。
「あの、次の取材の仙崎社長なんですけど、小暮さんは何か調べたりしてますか?」
影山さんが真面目な顔でそう訊いてくるので、
「ああ。取材を申し込む前からだけど、海南グループの変遷や、仙崎社長の出身地や業務経歴なんかは、ネットや雑誌から拾ってるよ。あとは今までの講演会の内容やインタビュー記事とかは片っ端からね。他には、先輩の記者さんとかに、何か知ってることがないかとか訊こうと思ってるよ」
そう話をすると、影山さんはすっと神妙な面持ちになった。
「分かりました。私もできるだけ調べておきます」
「ああ、でもほどほどにな。休むのも大事だぞ。結局昨日は映画には行かなかったんだな?」
「はい、だって……」
「あ? どうかしたか?」
「いえ、何でもありません。失礼します」
何故だか分からないけど不満げな顔になった影山さんを見送って、次の企画のネタを探す。
人気アニメ映画の監督、新進気鋭の現代アートの画家、30年以上に渡って家庭料理のレシピを世に送り続けている料理研究家…… 読者も注目しそうなテーマや人物を探して、早めにアポ取りをお願いする。
こういう人達は常に忙しいので、1時間の時間をもらうのに半年後といったこともざらにある。
だから、できるだけ早めに動いておく必要があるんだ。
夕方になって、今日は美来と外で飯でもと思ってスマホを取り出すと、
『夜のお買い物をして帰るから。今日は唐揚げの予定!』
先に美来から、そんなメッセージが届いていた。
昨日に続いて今日もか、悪いなと思いながら、『ありがとう。今から帰る』と返しておいたんだ。
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