第3話 夜は更けていく

「あの……ごめん。俺は、そういうのでここに来たんじゃないから……」


 取材のために、お茶やご飯を一緒にすることはよくある。

 けれど、今目の前にいる彼女は、そんなことは望んではいないだろう。

 だとすると、これ以上邪魔をする訳にもいかないかな。


「そう? ならそこをどいてくれないかな? お兄さんに居られると、他の人が寄って来ないんだ……」


 そう話す彼女の顔も、やっぱりどこか寂し気で。

 じっとこちらを見つめて、唇を噛んでいる。

 自分の中で何かが傷んでいる、それをぐっと耐えているような。


 何か言葉を掛けたかったけれど、何の事情も知らない俺に、何が言えるのだろう?

 

(やめておいたら?)

 

 そう言いたかった。

 

 けど、その言葉の向こう側に、俺は何の責任も取れないし覚悟もない。

 生半可な言葉なんて、彼女にとってはきっと邪魔でしかないのだろう。

 例え俺が三万円を払ってこの場から離れさせたとしても、明日になればまた分からないし、それに過去にあった出来事を黒く塗りつぶすこともできないんだ。


 彼女の他にも、同じような目的でここに立つ女性は大勢いる。

 その一人一人に同じように気を回せるほど、俺は現実離れした聖人でもスーパーマンでもなくて、ただの雇われルポライター。


「分かった。ごめんね邪魔をして。体にだけは気を付けて、無理はしないでね」


「え……うん……」


 結局その短い言葉が精いっぱいで。それだけをその場に残して彼女に背を向けると、そのすぐ先で、影山さんが中年男に話し掛けられていた。


「だからあ、私はそういうんじゃあないんです!」


「そう言わずにさあ、君可愛いから奮発するよ? 五万でどう?」


「あ、小暮さん、助けて!」


 俺の顔を見て、影山さんがさっと駆け寄って来た。


「ちっ! 何だよ、男連れかよ……」


 ジャージ姿の中年男はバツが悪そうに小声で独り言ちると、背中を不器用に丸めながら、別の女性の元へと向かっていった。


「びっくりしたあ! 私、立ちんぼの人と間違われたみたいで」


「まあ…… やっぱりほとんどの人が、それを目的でここにいるみたいだしね」


「ちょっと、離れましょうか?」


 いきなりのことで動揺したのか、影山さんが固い顔になって、そう告げてきた。

 一旦その場を離れてから、作戦会議だ。


「そう言えば、小暮さんもダメだったみたいですね?」


「あ……まあ、そうだな。いきなり三万円でどう? って言われたよ」


「……小暮さん、ああいう人がタイプなんですか?」


「は? な、何を言っているんだ!?」


「だって、あれだけたくさん人がいたのに、真っすぐあの人の所に行ったし。すっごく綺麗だったし、胸が大きかったよね? 男の人って、ああいうのがタイプなのかなあ?」


「お、おい、ちょっと待て……」


 別に、彼女の顔や胸の大きさを見て、近寄ったんじゃあない。

 一番話し掛けやすそうな場所にいたので近寄っただけで、顔が分かったのはその後だし、増してや胸がどうだったかなんて、確認もしていないし記憶にも残っていない。


「影山さん、それは誤解だ。たまたまだよ、うん」


「まあ、綾子さんには黙っていてあげますから。その代わりこれが終ったら、ご飯奢って下さいね?」


 とんでもない濡れ衣だし、どうしてそうなるんだよ?

 

「小暮さん、二人で一緒に話し掛けましょうか? 私が話しますから、小暮さんは横で、変なのが近寄ってこないように見張っててください」


 彼女はいきなり話題を変えて、真面目な話をしてくる。

 まだ俺の濡れ衣は晴れてない気がするのだけれど……

 でもまあ、いいか。

 コミュ障の俺が話すよりも、年が近くて同性の影山さんが話す方が、向こうも警戒しないかもしれない。


 そう役割を決めてから2時間程色々と声を掛けると、それなりに話しを聞くことができた。

 年齢は10代半ばから30代後半といったところで。

 ほとんどはお金が必要で、その理由は生活費にしたいとか、意中のホストをNO1にしたいとか、高級ブランドの洋服が欲しいとか、様々だ。

 みんないけないことだとは分かっていても、でも仕方がなかったり、誰も傷つけていないでしょ? といった声が多く聞かれた。


 誰も…… 自分は傷ついていないのかなと感じたけれど、余計なことを横から喋ると影山さんの邪魔になるかもと思い、ここは我慢した。


 記事になりそうなネタが揃った頃には、陽光が西の低い空から指す時間になっていた。


 最初に話し掛けた名前も知らない彼女のことが気になって、彼女が立っていた場所の方に目を向けてみたのだけれど、そこには全然知らない別の男女がいて、何やら楽し気に談笑をしていた。

 いいお客さんを見つけて、どこかへ行ってしまったのかもしれないな。

 どこか心残りだけれど、今更もうどうしようもない。


「小暮さん、この記事、私が書いちゃだめですか?」


「いや、だめじゃないよ。そうしてくれるならお願いするよ」


「分かりました! じゃあ書き方を相談したいので、この後ご飯でも食べながら!!」


 結局そうなるのかと、嬉々とした笑顔を向けてくる影山さんに、少し冷めた目を向ける。

 けど今日は、彼女のお陰で上手くいったのは確かだ。

 晩飯くらいご馳走しても、ばちはあたらないだろう。


「いいよ。何が食べたい?」

 

「焼肉がいいです!」


 もしかして肉食系女子か? と勘繰ったりもしつつ、たまたま近くにあった焼き肉店に入った。


 無煙ロースターのテーブル席に通されて、メニューに目を通してから、影山さんが店員さんにオーダーを伝えていく。


「まずは生中が二つ。それと、厚切り塩タンと、上カルビに上ハラミ、テッチャンとミノサンドとハチノス、焼き野菜と……」


 おいおい、その小さな体でそんなに食べられるのか……?

 と苦笑しつつも、俺も焼肉は好きで、しかも一人焼肉じゃないのは久しぶりなので、楽しく感じてしまう。


 運ばれてきた生ビールで乾杯をして、影山さんは網の上に豪快に肉を乗っけていく。

 肉がポタポタと油の雫を落としながら焦げ目がついていくのを見守り、頃合いを見てさっと引き上げて、濃厚タレに肉を浸して口に入れる。

 軽い歯ごたえが心地よく口の中に広がって、タレとの相性が抜群な肉の深い味わいが脳を揺らす。

 追加でビールと白ご飯をオーダーして、影山さんとの会話が弾んでいく。


「私、作家になりたいです。だから色んなものを見て、文章をたくさん書いて、経験を積みたいんです」


「今まで書いたことはないの?」


「ありますけど……ネットに投稿しても、ほとんど読んでもらえませんでした。だから今は、修行中です!」


 大学時代、自分も文芸部で書いていて、それを綾子さんにボロクソに言われていたのを思い出した。

 彼女自身も色々と書いていたようだけれど、今はそうしたことも聞かなくなったな。


「小暮さんは、どうして今の会社に入ったんですか?」


 そう訊かれても、俺にはそんな目標や夢はない。

 生活のため、それが答えなのだろうけれど、希望がいっぱいの影山さんには、あまり伝えたくはないな。


「綾子さんに引っ張ってもらったからさ。特に大きな理由はないよ」


「ああ~、やっぱり小暮さんと綾子さん、怪しいなあ!」


 いや、そんな邪な想いは、彼女が大学を卒業した時に、俺の中からは霧散しているんだ。


 結局二人だけの焼肉会は、雑談ばかりで仕事の話はほとんどしなかった。

 まあでも、影山さんの労に報いることができたのなら、それはそれで良かったのだろう。


「ご馳走様でした! これから帰って、記事を書き始めますね!」


「ああ、よろしく頼むよ。でも無理はしない様に」


 いつしか打ち解けた彼女とは店の前で別れて、さてどうしたものかと考える。

 

 ―― ラーメンが食いたいな。

 肉と野菜と白ご飯と酒、それを腹に納めたはずなのだけど。

 でも今日は、俺は俺で慣れない取材や後輩とのやり取りで、緊張もした。

 一人でふっと、息をつきたくなったんだ。


 検索で近くに老舗のラーメン店があることを確認してから、ゆるりとそちらへ足を向けた。

 その先の路上で、見覚えのある髪の長い女性が一人、こちらに向かってふらふらと歩いてくるのが目に入った。

 頭の上で、赤いカチューシャがほの明るく光るのが見えたんだ。




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