二 火守の若君 (6)
雪が降りしきる中、たたずむ屋敷の庭には、椿が咲き乱れていた。
車から降りたことりは、ほうと白い息を吐いて、屋敷を見上げる。
本州の北の最果て、火見野にある火守本家のお屋敷。屋敷を囲うようにめぐらされた塀は、どこまでも続いているように見え、広大な土地が広がっているらしいことがわかる。
青火は車を置くために離れたので、屋敷の前には傘を差した馨とことりだけが残される。凍えるような寒さにことりが背をこごめていると、火見が首元にくっついてきた。
「めずらしいな。火見が俺以外に懐くの」
「そうなのですか?」
「ふつうは誰にもちかづかない。青火にも」
「……もしかしたら、飴をお供えしたからでは」
「飴?」
話しながら、馨は閉じた門に向かって「ただいま帰った」と言った。
青火から聞いたが、馨が住んでいるのは火守本家のうち離れにあたる部分らしく、今目の前にある門も正門ではないそうだ。それでも、雨羽の家に比べたら十分広く感じられたが。
老爺が門を開ける端から、
「――若君!」
と小柄な少女が飛び出してくる。小梅を散らした鶯色の着物を着ていて、髪は左右に三つ編みにしている。十一歳か十二歳くらいだろうか。頬は林檎色で、見るからに溌剌とした明るい眸をしていた。
「おかえりなさいませ! 無事のご帰還、お元気そうでなによりです!」
「おまえも元気がよすぎるようでなによりだな。のの
馨は軽くいやみを言ったように聞こえたが、のの花と呼ばれた少女は「はい!」と満面の笑みでうなずいた。落ち着かないようすで馨の周りをちょこちょこ歩きまわる。
「あの、今お屋敷が騒然としているんですけど、若君が雨羽の姫さまを連れ帰ったって――」
そこで馨の後ろにいたことりにきづき、のの花は口を開けて固まった。
「もしやそちらの方が……」
「そう、連れ帰った雨羽の歌姫だ」
「かっ」
ぷるぷるとふるえ、のの花は息を吸い込んだ。
――ローレライ!
いつものようにおびえられるのではないかと、ことりは思わず身をすくめた。
「か、わ、い、いー⁉」
大きな声でのの花は叫んだ。遠くの山に向かって叫ぶときみたいだった。
「若君が見初める方は、きっとゴリラかライオンのように狂暴な姫さまにちがいないと言っていたけど、すごくかわいかったです!」
「どこのどいつだ。そんなくだらないこと言っているのは」
「主にわたしです」
「おまえはまずは主人への礼節を学べ」
額を弾かれ、「横暴です!」と少女は不服そうに言い返した。
「この失礼な娘はのの花。離れで働いている」
「はじめまして!」
のの花は三つ編みを揺らして、元気よく挨拶した。ことりも遅れて頭を下げる。
「雨羽……ことりです」
「うかがっております。雨羽の歌姫さまなのですよね? 若君が仕事先で偶然出会った姫さまにフォーリンラブして口説き落として、しまいには連れてきちゃったって聞きました!」
「――……」
「誰だ、それを言ったの」
「青火さまです!」
馨は舌打ちをしかけてこらえ、代わりにすごくいやそうな顔をした。
「あれ、ちがうんですか?」
「……知るか」
「うふふ、照れなくてよろしいんですよ。よかったですねえ、姫さまにうなずいてもらえて」
ことりは表情豊かとはいえない自分の顔にはじめて感謝した。青火が適当なストーリーを作ったのはローレライのことを隠しておくためだと察せられたものの、事実とかけ離れすぎていて、どんな顔をしたらよいかわからない。
「母屋のほうにご挨拶に行かれますか? 雪華さまももうすぐ帰られると思います」
「いや、また後日にする。遣いはやっておけ」
「承知いたしました」
雪華というのは、もうひとりの当主候補だったはずだ。
(いったいどんなひとなのだろう)
考えていると、畳んだ傘をのの花に渡して馨が言った。
「雪華は俺より三つ年上の先代のひとり娘で、母屋のほうに住んでいる。そのほかに母屋にいるのは、雪華の使用人とそばつきのクソガキだな」
「くそがき……」
「クソガキだ」
道中に青火もまったく同じ人物評をしていた気がする。やはりそれ以上の説明はなかった。
「火守の当主は火守の血を引く八つの家から、いちばん力のある者を長老たちが名指す。代替わりするたび、本邸に入る人間も代わる。今のように、四年も当主が不在なのは異常事態だから、ふつうは母屋と離れにそれぞれ当主候補が住んでいることはない」
「……あの、雪華さまには婚約者はいらっしゃらないのですか」
馨が婚約者探しをしていたということは、雪華のほうにも婚約者や配偶者がいておかしくはないのではないか。そう思って尋ねたのだが、馨はなぜか急に表情を消して黙り込んだ。
「婚約者は……今はいない」
「いない……」
「死んだ」
ぽつっとそれだけを言うと、馨は曇りガラスが入った戸を引いた。
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