一 贄の少女たち (3)

「つきましたよ」


 新都では雪が降りはじめていた。車窓から、高層ビルが立ち並び、赤い航空障害灯が明滅するどこか無機質な夜景を眺めていたことりは、運転手がかけた声で顔を上げた。

 今日のことりは、精緻なレースが袖や裾をふちどり、裾が緩やかに広がる白のクラシカルなドレスを身に着けていた。色素の薄い髪はサイドでゆるく三つ編みにして、ちいさなパールの髪飾りをいくつも挿してある。贄の間への献上品として最低限着飾らされたのだ。


「お待ちしておりました、お嬢さま」


 ヒールがあるせいで歩きづらい靴にもたつきながら車を降りると、贄の間の管理者であるという黒のスーツに仮面をつけた男がことりを迎えた。

 目の前には、雪曇りの夜の空にそびえたつ高層ビルがある。なんとなく雨羽のような洋館か、昔ながらのお屋敷を想像していたので、意外に思った。このビルの地下に贄の間はあるという。

 仮面の男について長い廊下を歩き、地下に続く階段をくだる。足元に照明が設置されているが、光量を落としているせいで、先のほうはよく見えない。まるで地の底に続いているみたい、と思う。


「どうぞこちらへ」


 男がカードで認証すると、自動ドアが開いた。

 がらんどうの広い部屋の一角に、場違いなようにも見える祭壇が設けられている。

 菓子をのせた杯や酒、いくつかの櫃が並ぶ前には漆塗りの台が置かれ、そのうえに螺鈿細工の匣が鎮座している。一見、ふつうの匣に見えたが、蒼白く冷気がのぼるような微かな瘴気をまとっている。神祀りの血を引くため、ことりもこういったものは見たり感じ取ったりすることができた。


「ここでお待ちを。時が来たら、あちらからいらっしゃいますので」


 ことりはちいさくうなずく。


「いらしたあとは、なるべく手短に済ませてくださるとたすかります。《献上品》によっては活きがいいというか、暴れるので後片付けが大変で……。防音壁があるので、悲鳴は聞こえないんですけどね」


 そこまで言ってから、「ああ」と仮面の男はくぐもった笑い声を立てた。


「あなたには不要な話でしたね。――では、失礼いたします」


 男が自動ドアから出て行くと、外からロックがかかる電子音が聞こえた。事が済むまでは開けてもらえないのだろう。防音仕様になっていることといい、専用に作られた部屋としか思えなかった。

 自分の身の置きどころにすこし悩んでから、ことりは靴を脱いでそろえると、杯や櫃などの捧げものの横にすとんと正座した。そのまま背筋を正して、魔が現れるのを待つ。言いつけどおり、手短に済ませるように心がけねばならない。

 どれくらい時が経った頃だろうか、近くで微かな物音がした。ことりはいつの間にか閉じていた目を開ける。


 ――もしかして「いらした」のだろうか。


 音がしたほうへ目を向けると、先ほどは閉じていた櫃の蓋がわずかに横に動いていることにきづいた。とくとくと心臓の鼓動が早くなる。あの中からいったいどんなおそろしい魔が現れるのだろう……。


「狭い……」


 ややもして響いたのは魔とはちがう、ひとの声だった。

 直後、がたん、と櫃の蓋が勢いよく外れる。


「こんな箱の中で何時間も耐えられるか、ばか青火せいか。おれをなんだと思ってるんだ」


 控えめの照明にうっすら照らし出されたそのひとを見て、ことりは瞬きをする。

 低めの声から発せられるのは、あまりおきれいとは言えない罵りだったが、櫃の中から立ち上がったのは神々しいくらいにうつくしい少女だった。花嫁衣裳を思わせる白の掛下に白の打掛をかけ、艶やかな黒髪が細い雨のように打掛に流れている。


「――ん?」


 こちらの存在にきづいたのか、切れ長の眸がぱちりと瞬き、ことりを見やる。

 ふいに夜闇に火花が散るすがたを幻視した。

 そういう、こわいような、烈しいうつくしさだった。

 いったい、いつからここにいたのだろう。


「おい」


 少女がやにわに声をかけたので、ことりはびくっとした。

 いつもの癖で、自分ではなく別の人間に声をかけたのではないかと思ったが、無論、この部屋に少女とことり以外にひとはいなかった。


「いや、おまえだ。おまえ」


 肩にかかった髪をわずらわしげに払い、少女はこちらにちかづいてくる。


「そのようすだと、親にでも無理やり売られたか? どこの家の娘だ」

「…………」


 答えないことりをふしぎそうに見て、少女はふるえることりの指先に目を落とした。


「そうふるえずともよい。わたしはひとだし、べつに取って喰わないぞ?」


 少女はたぶん勘違いをしている。ふるえているのは、目の前の少女の苛烈な存在感に対してだ。なんだかこわい。まるで神を前にしたときのよう。


「……おい、聞こえているか?」


 いっこうにしゃべらないことりに、少女は怪訝そうな顔をして尋ねる。

 それで我に返り、ことりはおそるおそる顔を上げた。でも、またすぐに目を伏せ、こく、と少女にもわかるように顎を引く。少女を無視しているわけではないと言いたかったが、それ以外の伝えかたは浮かばなかった。途方に暮れていると、こちらを見つめていた少女がつと手を伸ばした。


「咽喉に封印があるな」


 ことりの咽喉には、赤い花の印がある。一般人には刺青のようにしか見えないはずだが、すぐに封印と見抜いたあたり、彼女はその筋の人間なのだろう。

 確かにことり同様、この子も贄として売られたなら、ふつうの家の子ではない。おそらく神祀り四家の末端の、雨羽同様、困窮した家の親が金と引き換えに売り払ったのだろう。ただ、彼女からはなぜか無理やり売られた子らしいおびえや悲嘆が感じられなかった。ふしぎなくらいえらそうで、でもなぜかいやなかんじがしない。


「まったくクソ野郎はどこにでもいるなー。おまえも不運なやつだな」


 言葉のわりに、彼女の眼差しはさらっとしていて、あまりかわいそうに思っているようすはない。そのやさしくもないが、つめたくもない眼差しの温度に、ことりはこわばりが微かにほどけるのを感じた。彼女は相手を下にも見ないし、上にも見ないことが自然と感じ取れたからかもしれない。


「まあ、最後の最後でおまえはツイてる。なにしろ、このわたしが居合わせたんだからな」

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