三 魔除けのおしごと (2)
「何ですか、ひたき」
女たちのうち、背がすらっとした短髪の少女に向けて、のの花が訊いた。
「おやつにおまんじゅうをふかしたんですけど……」とひたきは持っていた蒸籠をことりに差し出す。中では大きなまんじゅうがふかふかと湯気を立てている。
「おひいさまもおひとつどうぞ!」
……おひいさま?
すこしふしぎに思ってから、どうやら自分のことを指しているらしいと理解する。
「あ、ありがとうございます……」
なぜか互いにもじもじしながらまんじゅうを手に取る。
ちぎったひとかけらを口に入れ、ことりはぱちりと瞬きをした。甘いものを想像していたが、中に入っていたのは刻んだ野菜とひき肉の甘辛い餡だ。ふかふかした生地にこっくりした餡の甘辛さが合っている。のの花の横でもくもくと食べていると、女たちがかたずをのんで見守っていることにきづいた。
あ、と思ってことりは居住まいを正す。
「とても、おいしいです」と神妙な顔で伝えた。これまでの環境のせいで、ことりは感じたことを口にするのをよく忘れる。
「甘いと思ったら、甘辛くて……」
「えっと、皆作業でおなかをすかせているので、お惣菜風なんです。あっ申し遅れました、ひたきです。のの花と七つちがいの姉です。おひいさまがライオンでもゴリラでもなくて、ほんとうによかった……」
「ふたばです。最近子どもたちが手を離れたので、またお屋敷づとめをはじめました!」
「
「椿のお世話をしてます
遠巻きにしていたのは単にこちらのようすをうかがっていただけらしい。ひたきが口火を切ると、下は十代から上は七十代くらいまでの女性がことりを取り囲み、次々挨拶する。のの花が言うには、離れでは現在、総勢十人の使用人が働いているらしい。
「よければ、もうひとつどうぞ!」
蒸籠を差し出されたとき、ひたきの袖口から赤黒く爛れた傷痕がのぞいた。相手にはきづかれない程度にことりはひっそり目を瞠る。
(魔障……)
しかも深い。これほどの傷はおそらく雨羽の歌姫にも治せないだろう。治癒できなかった魔障は生涯に渡り、当人を苛むことになる。
「ことりさん?」
「……あ、いえ」
のの花に声をかけられ、首を振る。
陽を避けて一定の温度に保った室内では、金天蚕たちが食事を続けている。一匹がどういうわけか、ひっくり返って、たくさんついた足をじたばたさせているので、指でちょんとつついて戻してあげた。また食事をはじめた金天蚕にほっと目を細めていると、「ことりさんはあやかしに触れるのが平気なんですね」とのの花がつぶやいた。
「え?」
「火守の敷地は強力な結界が張られているので危険はありませんが、あやかしのような《あわいのもの》は場合によって魔に転じることもありますから。神祀りの家によっては嫌がる方も多いって聞きました」
そういえば、雨羽の家ではこんなふうにふつうにあやかしは見られなかったように思う。ただ、ことりが住んでいた離れにはときどきこうしたあやかしがやってきたし、あやかしとはちがうけれど、ことりを育ててくれたのはローレライの亡霊たちだ。
「金天蚕さんたちは……きちんとお仕事をされているので、えらいと思います」
感じたことをすこしずつ口にすると、「確かにわたしよりも仕事をしているかもしれない……あなどれない……」とのの花は複雑そうにつぶやいた。ことりからすれば、のの花もその歳で十分すぎるほど働いているように思えるのだが。
「あっ、でも金天蚕に直に触るのはすこしお気をつけくださいね。あやかしはひとの……特に神祀りの方の血を大量に摂取すると、たちまち神か魔に転じてしまいますので。ふつうの切り傷程度なら、問題ありませんけど!」
「そういうものなのですね……」
今はほのぼのと椿の葉を咀嚼している金天蚕もやはりあやかしなのだと思って、ことりはすこしどきどきした。
「さっき、ひたきの魔障に目を留めていらっしゃいましたね」
「あ、すみません。ぶしつけに……」
そういうつもりはなかったけれど、失礼だったかもしれない。すぐに謝ると、「だいじょうぶですよ」とのの花は表情を緩めた。
「わたしの腕にも、同じものがあります」
袖をめくりあげてのぞいたのの花の左腕を見て、ことりはちいさく息をのんだ。少女らしいみずみずしい膚は途中で消え、黒褐色の枯れ木のように転じている。そして二の腕を過ぎたあたりから、またもとの少女の腕に戻っているのだった。
「二年前に、両親とひたきと梅の魔に襲われたのです。以来、このように」
のの花が学校に通っていないらしい理由にことりは思い至った。この腕を周囲に見せるのは勇気がいるだろう。まして神祀りの家の人間以外も集まる場所だ。
「両親もそのときに亡くしまして、ほんとうはひたきと別々の施設に送られるはずだったんですけど、わたしがどうしてもひたきと離れたくなくて……。病院の廊下の真ん中で大人たち相手に駄々をこねていたら、偶然居合わせた若君がこの場所で働けるよう取り計らってくれました。わたしたちが一般人にしてはめずらしく、あわいのものを見る目を持っていたため、条件に合ったというのもあるみたいですけど。ちなみに学校には通信で通っています。友だちもたくさんです!」
話の内容のわりに、のの花の口調はさっぱりしていて、湿ったところがない。袖を戻し、右の三つ編みを飾る茜色の飾り結びに触れる。よく見ると、それは梅の花をかたどって結んであるようだった。
「この飾り結びはここで働きはじめたとき、若君がポイッとくれました。梅花の魔除けなので、梅の魔は絶対ちかづかないそうです。おやさしいでしょう? あの方は口がわるいし、とくべつ善人でもありませんが、わたし、誠心誠意お仕えしようってそのとき決めました。だから、婚約者さんがゴリラでもライオンでもお支えするつもりでしたが、とってもすてきな方でうれしいです!」
熱心な眼差しを向けられ、ことりは返答に困ってしまう。
のの花たちが見ず知らずのことりに親切にしてくれるのは、馨が見初めて連れ帰った婚約者だと思っているからだ。でも実際は「魔を呼び寄せる」ことりの歌声が使えるというだけで、馨がことり自身をどうこう思っているわけではない。なんだか、のの花たちを騙しているようで、申し訳なくなってくる。でも、ローレライの話は火守のひとびとには隠すことになっている。
「あ、でもことりさんは、若君のよいところをきっともっとご存知ですね!」
ことりが馨の気持ちに応えて婚約したと思っているらしいのの花ははずんだ声で話を振った。
「よいところ……」
とっさに返す言葉が思いつかず、ことりは眉間にしわを寄せる。
のの花は屈託のない表情でことりが口をひらくのを待っている。
「ええと……。……あっ、馨さまは字がとてもきれいです」
これは絶対にまちがいないと思って挙げると、「字……」とのの花はいたたまれなさそうな顔をした。
「……若君、もっとがんばれ⁉」
「え? はい」
自分にあてた言葉ではなかったが、勢いに押されてついうなずいてしまう。
「そういえば、ことりさん。若君からプロポーズされるとき、ちゃんと『アレ』ってもらいました?」
「アレ、ですか」
意味深そうに言われても、ことりには皆目見当がつかない。儀礼的であっても、あのとき何か馨からもらったものなどあっただろうか。青火には道中のど飴をもらったが、さすがにちがうとわかる。
難しい顔で考え込んでしまったことりを見つめ、「あとで若君を問い詰めよう……」とのの花はつぶやいた。
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