三 魔除けのおしごと
三 魔除けのおしごと (1)
わ、とことりは思わず声を漏らした。
四角い箱の中では、たくさんの白い虫がもしゃもしゃと緑の葉をかじっている。蚕に似ているが、それよりすこし大きくて、額のあたりに金色の紋様がある。食べている葉は桑ではなく椿だった。
「蚕……ではないのですよね?」
「はい。
のの花は籠にのせた椿の葉を金天蚕が集まる箱に落とす。餌をもらった金天蚕たちがご機嫌そうに身体をふるわせた。
――ことりが火守家に来てから二週間が経った。
さっそく椿姫の魔が呼べないか、馨と青火とともに人里から離れた雪山で試みたが、結果は不発に終わった。いくら歌ってもなかなか魔は現れず、やっと現れた魔は狐のすがたをした力の弱いものだった。考えてみたら、ことりは特定の魔を呼び寄せるということをしたことがない。どうやるかも見当がつかなかった。
その後も何度か試してみたのだが、椿姫の魔が現れる気配はいっこうにない。
――申し訳ございません……。
肩を落としたことりに、「いや、そんな気はした」と馨は言った。
椿姫が魔に転じたのは当主継承の儀式が行われた春分の日なのだという。魔は生じた時期、生じた場所にいちばん現れやすくなるそうで、これまで一度も目撃できてはいないが、それでも同じ春分を選んだほうが椿姫の魔を呼び寄せる確率は上がるだろうというのが馨と青火の見立てだった。
ただ、そうなると、二か月後の春分の日までことりにはできることがなくなってしまう。
雨羽の離れでは、ひとりで暮らしていたため、煮炊きも掃除も家事ならひととおりこなせる。何でもよいからすることはないかと青火に申し出ると、すこし考えたあと「じゃあ、火守の家業のひとつをお手伝いしてくださいませんか」と言われた。
そうして今、のの花に案内されているのが、火守本家の敷地にある魔除けづくりの作業場である。
「金天蚕はやがて時を迎えると繭を作り、蛹になります。通常の養蚕では、蛹となった蚕を茹で、繭から糸を取りますが、ここでは成虫になって飛んでいったあとの抜け殻の繭を使います。ちなみに金天蚕はあやかしなので、年中もりもり食べて、もりもり育ち、繭を作ります」
年は十一歳だと聞いたが、のの花はことりよりもずっと流暢に仕事の説明をする。金天蚕にやる椿の葉は、火守が管理する神木から摘むそうで、葉を食べた金天蚕により吐き出される糸には強い魔除けの力がこもる。この糸を椿の花や枝で染め、まじないを唱えながら組んで紐にする。そうしてできあがった組紐を使って魔除けが張られるらしい。
「魔除けと魔祓いが火守の家業です。魔祓いのほうが目立ちますが、魔除けもとっても大事なお仕事なのですよ。病院、公共施設、学校にはだいたいこうした魔除けがほどこしてありますし、特に重要な場所には、火守の人間が直接赴いて魔除けを張ります」
「……雨羽の家にも、火守の方が来てくださったことがあった……と思います」
「魔除けはあまり放置すると、効力が薄まってしまうので、定期的に火守の人間がめぐって張り直す必要があるのですよねー」
のの花の長い三つ編みにも、茜色の組紐を花のかたちに結んだものが飾ってある。こうした装飾的な結びは、一般的には《飾り結び》と呼ばれるそうだが、火守ではこの結びの手法を独自に発展させ、魔除けをほどこしているのだという。
「ことりさんは、今日は金天蚕たちのお世話をしてくださいますか? わたしも一緒にします!」
「ありがとうございます。あの……」
ことりは言葉を選ぶのにひとより時間がかかる。
「なんでしょう?」
「一緒にいてくださって……心強い、です」
「こちらこそです!」
のの花はぱっと表情を明るくして微笑んだ。ふんふんと鼻歌を歌いながら、椿の葉を摘むときに使う籠をことりのぶんも用意してくれる。
「まずは椿の葉を摘みにいきましょう。指を怪我しないように手袋をしてくださいね」
「はい」
のの花が言うには、火守の仕事のうち魔除けづくりは馨のもとで働く者たちがやり、魔祓いの手配や調整、そのために必要な準備や後処理といったことは雪華のもとで働く者たちがやっているらしい。ふつうは当主のもとで、このふたつの仕事が動くのだが、今は当主不在なので、数年前からふたりで分けることにしたそうだ。
聞いていてすこし意外に思った。馨は火ノ神の分身が降りた依り主で、ほぼ無敵の魔祓いの力を持つと聞いたけれど、預かっている仕事は魔除けのほうらしい。
「うーん。馨さまのあれは破格のお力なので、ひとりだけ理がちがうのですよね。ほかの方々のように術で火ノ神の力を一時的に借りるのでなく、火見さまにお願いして魔祓いをしていただいているという――……あの方はえらそうなので、はたから見ると火見さまに命じて魔祓いをさせているように感じるかもしれませんが、原理としてはそうなります。神さまにこいねがい、魔祓いをしていただいているのです。ですので、魔祓いの術のことはたぶん、雪華さまのほうがお詳しいんだと思いますよ」
しめ縄が張られた椿の神木から緑のつやつやした葉を摘みながら、のの花が説明する。
ちなみに今日は平日なので、馨は高校に行っている。ことりと同い年の高校二年生らしい。ことりも高校に編入するか青火に訊かれたが、ずっと学校に行かずに離れで歌譜の書き写しをしていたので、とても勉強に追いつけるようには思えなかった。
ことりに文字の読み書きや、生活に必要な最低限の知識を与えてくれたのは、離れに棲む歴代のローレライの亡霊たちだ。非業の死を遂げた彼女たちは、幼いことりを憐れみ、触れることはできなかったけれど、そばに寄り添ってさまざまなことを教えてくれた。ことりがあの場所で心まで壊さずにいられたのは、彼女たちのおかげだ。
(そういえば、のの花さんも学校には行っていない……)
あたりまえのことに今さらきづき、ことりは自分のぼんやり加減を恥じた。十八歳以下の子どもたちの多くが平日、学校に行っているという感覚がことりには薄い。気になったものの、ぶしつけに尋ねてよいかもわからず、胸のうちにとどめておいた。
籠いっぱいの椿の葉を摘み取ると、作業場へ戻る。
金天蚕の世話をしているのはのの花とことりだが、ほかの女性たちは染液で糸を染め、外に出した盥でじゃぶじゃぶ糸を洗っていた。樹と樹のあいだに渡された紐に淡い青や薄紅、青紫、淡紫の糸がかけられて風によそいでいる。
今日は雪が降っていない。晴れた空から射した陽で、糸が内側から輝いて見える。
「きれい……」
目を細めて、ほろりとつぶやく。
前を歩くのの花がきづいて、「わかります」とうなずいた。
「わたしも糸が並んでいるすがたを見ているのがだいすきです。でも、育った金天蚕がいっせいに羽化して飛び立つのもきれいですよ」
「はい、すてきそうです」
「今度、一緒に見ましょう!」
のの花はうきうきしたようすで、「ほら、おまえたちもっと肥えろー」と金天蚕たちに椿の葉をあげた。ことりも自分が摘んだつやつやの葉を金天蚕たちの頭の近くに、ちょっとずつ置く。金天蚕がのろのろ動き、葉を食べはじめた。ちいさな咀嚼音がなんだか愛らしく聞こえる。
しばらくのの花と金天蚕の餌やりをしていたが、ふといくつかの視線がこちらに向けられていることにきづいた。休憩をしていた女たちが、肘で小突き合いながらことりたちをうかがっている。
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