一 贄の少女たち (8)
翌日、魔女の助言もあって、ことりは雨羽家に返されるのではなく、火守家が運営するシェルターに預けられることが決まった。魔によって家族を失った子どもたちが一時的に身を寄せている場所らしい。
馨と青火は、これから火守本家がある本州の北の最果て――
魔女に別れを告げて、ことりは再び青火の運転するキャンピングカーに乗った。
昼過ぎに出て、数時間ほど高速道で北上する。
比較的広めの車内では、馨がごろりと後部スペースに寝転んで、参考書らしきものを読んでいる。タイトルは「高校物理」。カバーと中身が一致しているなら、このひとは高校生なのだろうか。
馨のように寝転がることはできず、隅に正座をしていることりのもとに、火見がとことこと近寄ってきた。ことりの周りをうかがうように一周してから、膝のうえにぽふっと飛び乗り、羽をたたむ。火見の羽根は一本一本が炎をまとっているようだが、熱くはなかった。ただじんわりした重みとぬくもりを感じる。
火守は火ノ神を祀り、代々「魔祓い」の仕事を継承する家である。雨羽の家にも、魔が現れたときに火守のひとが祓いに来てくれたことがあったけど、そのときは符を用いて魔を祓っており、火鳥は連れていなかった気がする。離れの窓から遠目に見ていただけだから、絶対とは言えないけれど。
それから、ふと初音とこのひとが結婚したら、わたしはこのひとの義姉になってしまうのか、ときづいて、ふしぎな気分になった。
「なんだ、もの言いたげに」
視線にきづいたらしく、馨が参考書を下ろして、ことりを見やる。
(『弟』……にはとても見えない……)
怪訝そうにしている馨に、ことりは首を横に振った。
どちらにせよ、初音の結婚式にことりが参列することはないし、シェルターに着いてしまえば、馨とも金輪際関わることはないだろう。火守の若君なんて、ことりにとっては雲の上のようなひとだ。
窓の外に広がる山の端は、残照で赤く染まりはじめていた。
これから向かうシェルターのことをすこし考えたが、あまり具体的なイメージは湧かなかった。父親に命じられて贄の間に向かい、今度は魔女の取り計らいで火守が運営するシェルターに行く。わたしはいつまでこんなふうに生きていくのだろうか。水面に浮かんだ木の葉のようにただ流されて、どこかで終わりを願いながらも、終わらせる勇気もない。
未来に目を輝かせていた妹はどこか遠い国のひとのようで、ことりはあんなふうに何かを強く望んだことがない。誰かをあいするということも、誰かにあいされるということも、よくわからない。きっとこの先もずっとわからないままだ。考えると、身体が重くつめたくなって、そっと目を伏せた。
そのとき、運転席のそばに置かれていた端末に着信が入った。
『あー聞こえますか、青火さん』
青火が通話ボタンを押してスピーカーに切り替えると、ノイズまじりの男性の声が聞こえてきた。
「はいはーい、なんですか?」
『先ほどこちらに一報が入ったんですが、子どもをかどわかした魔が
緊迫した内容から、ことりもつい端末のほうに目が吸い寄せられた。
『確か、おふたりは新都から火見野に戻る途中ですよね。ルートを変更して向かえないか、と
「ああ、羽隠山なら、この先のインターを降りてすぐですね」
「待て、青火」
横から馨の声が割って入った。
「俺の体力で、登山したうえ魔を捜し回れるわけがないだろう。ビル内ならともかく雪山だぞ。五分で力尽きる」
「た、確かに……」
『……先に救急車と担架を手配しておきます?』
馨の体力のなさはそれほど絶望的なのだろうか。男たちは深刻そうに押し黙った。
「で? 子どもをかどわかしてどれくらい時間が経つんだ?」
参考書を閉じて身を起こしつつ、馨が尋ねる。
『一時間ほどです。虎のすがたの魔であったと』
「数は?」
『一体』
「ふうん……」
考え込むようにしてから、「わかった」と馨は手を伸ばして端末を切った。それを見ていた青火が苦笑してウィンカーを出す。
「結局、最後はおやさしいですね」
「どうかな。がんばるのは俺じゃないしな」
「はい?」
いぶかしげな声を出す青火をよそに、馨はことりに視線を向けた。
かたずをのんでなりゆきを見守っていたものの、いきなり目が合ったので驚く。
「――呼び寄せる、とはどの程度なんだ?」
主語はなかったが、ことりは馨が何を訊きたいのかすぐにわかってしまった。
「距離は? 結構離れていても、おまえが歌えば、魔は寄ってくる?」
蒼褪めたことりのようすを見て取り、「若」と控えめに青火が声をかけた。
「まあ聞け。俺には火見がいるから、おまえが呼んだ魔を滅ぼすことができる。ひとつ残らずすべてだ。おまえが案じるようなことは起きない」
そもそも、と馨は言った。
「問題なのは歌だろう。なぜ声まで封じる必要がある? おまえには意思があるのだから、歌うか歌わないかは自分で決めればよい」
(……このひとは)
こともなげに言われて、ことりははじめて微かな反発を覚えた。
わかっていない。ローレライのおそろしさを。
ずきんとこめかみが痛んで、脳裏に一面の赤がよみがえる。
――つばきちゃん!
幼いことりは声の限りに叫んでいる。
――おねがいつばきちゃん、死なないで……っ!
呼びかけても、腕の中の女の子は応えてくれない。あんな想いはもう二度としたくない。
だから。
――声は封じよ。二度と歌えないように。
だから。
――ゆるしてことり、ゆるしてね……。
だから……。
「もしそれすら自分で決められないというなら」
目をそらしたいのに、夜空に似た眸に囚われたまま動けない。
頭の中ではずっと、がんがん、幼い自分の悲鳴が響いている。息が苦しい。
「おまえの家族が売り払った命は、俺が買ってやる。どうせ捨てる気だったんだから、文句はないだろう? もう何も考えなくていいから、とっとと俺のために歌え」
このひとをはじめて目にしたときのおそろしさがよみがえる。
うつくしくて、烈しい。夜闇に散る火花のようで。
こわい、と思った。引きずり込まれそうになる。
(だめ)
あの日歌って大事な友人を傷つけた。
忘れてはいけない。夢を見てもいけない。
(でも)
たすけられる、かも、
(だめ)
(……だめ!)
何かを願ったりなんか。
「――どうなんだ?」
伸ばされた手を思わず振り払った。乾いた音が鳴って、ことりは息をのむ。
(あ)
おびえて身をすくめると、一拍の間のあと、馨はなぜか口の端を上げた。
「怒ったな?」
「それはあなたが言うことがあまりに横暴だからですよ……レディにやさしくするようお育てしたはずなのにかなしい……」
「ばかか。のんびりやってると、日が暮れて子どもは虎の腹の中だぞ。――それに人形みたいにいられるよりは、こちらのほうがずっとよい」
振り払ったときに叩いた手が、まだじんじんと熱を持っている。
頭の中で響く悲鳴は消えなくて、ことりは緩くかぶりを振った。
頭が痛い。息ができない。混乱していた。
たくさんの声が頭の中で命じる。
――ローレライの声を封じよ、と。
わたしもわたしに言っている。
――ぜんぶわたしが歌ったせいだと。
だから。
(目を伏せて)
(口を閉じて)
(この命が尽きるのを)
ただ静かに待っていればいいと、そう思って生きてきたのに。
「たすけて」
あふれた涙がいくつも頬を伝い落ちる。
虚をつかれたように目を瞠った男の子に、しゃくりあげながら訴える。
「たすけて……」
その声はもちろん咽喉をふるわせることはなかったけれど――。
馨の手がことりの咽喉に触れる。急所をさらしているのに、ふしぎとこわいとは思わなかった。赤い花を描く封じ印にあてられた手には透きとおった労りがある。言葉はなくとも、なぜかそれが労りだとわかった。だから、こわいとはひとつも思わなかった。
直後、ちりりと燃え上がった炎が目の前を覆い尽くす。やわらかな熱の気配に包まれたと思うや、咽喉が締め付けられるような痛みが走った。
「……っ⁉」
視界が白く焼き切れる。
声が出せていたらきっと叫んでいた。熱い、熱い、あつい……。
一瞬、意識が飛んでいたらしい。ぜ、ぜ、と自分が立てる喘鳴で目を開けると、いつの間にか馨の胸に寄りかかっていた。
「ほら、たすけてやったぞ」
せわしなく肩を上下させることりの背を馨が軽く叩く。
ぼやけていた相手の輪郭が徐々にかたちを取り戻す。身じろぎして、ことりは口を動かした。
「……たい、です」
「ん?」
「こども……」
ずっと咽喉を使っていなかったせいで、うまくしゃべれない。嗚咽が止まらないせいもあるのかもしれなかった。えずきながら、絡まる言葉を舌のうえにのせる。
「でも、」
「なんだ」
「歌って、だれか、きずつけるの、いや……」
馨はふしぎそうに瞬きをした。遅れてことりの言った言葉を理解したらしく、ふふっと咽喉を鳴らす。
「いいか、俺に滅ぼせない魔はない」
言っただろう?と、馨はことりに目を合わせた。
底で星火が瞬く眸は、果てのない夜空のようだ。
「俺に出会ったおまえはツイていると」
診察室で魔女から贈られた言葉がよみがえる。
――鳥籠の外へようこそ、不憫なお姫さま。
わたしはこの世界でこれから何と出会うのだろう。
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