一 贄の少女たち (7)

「終わったわよー」と魔女が声をかけると、彼と青火が診察室に戻ってきた。

 ゼロがたくさん並んだ請求書を魔女がぴらっと差し出す。彼はふうんという顔をしただけでそれを青火に渡したが、青火のほうは「ひえ」と声を上げて蒼褪めた。いったいいくらだったのだろう……。


「この子、このあとどうするつもりなの? 家は絶対クソよ」

「どんな家でも本人が帰りたいなら戻すのが筋だろう。俺は魔を祓いにいったのであって、ひとの保護が仕事じゃない」

「ええ、つめたくなぁい……?」

「戻りたくないなら、預け先くらいは考えるけど」


 ことりの対面に彼は座った。さっきは白無垢を着ていたけど、短いあいだに着替えてきたのか、今は鉄紺の袷に墨色の羽織をかけている。落ち着いた色合いのものだったけれど、一目で質がよいとわかった。ちなみにことりのほうも、血のついた服をいつまでも着ていられないので、魔女にワンピースと靴を貸してもらった。はじめ、レースがたっぷりついた黒のドレスを勧められたのだが、動きにくそうなので遠慮した。


「で、どうなんだ?」


 切れ長の眸にじっと見つめられ、ことりは無意識のうちに手を握り合わせた。


「売った家でも帰りたい? そもそも、おまえはどこの家の人間なんだ」

「雨羽じゃないー? 淡い髪色に菫色の眸っていったら、雨羽直系の姫たちの特徴だもの」

「あーそんな話も聞いたような……。そうなのか?」


 三人の視線がこちらに向いたので、ことりはおずおずうなずいた。

 ほかの神祀りの家のことを知らないことりは、一族ごとに容姿の特徴があるのかもわからなかったが、確かに雨羽直系の血が濃いほど、髪と目の色の特徴は強く出る。主家である水鏡は、目の色が深い青をしていて、またちがった。


「あのビルは水鏡のバカ息子の持ちものらしいから、雨羽だとつながりもありそうだな」


 彼はとりあえず納得したようすで言葉を切った。

 ローレライに話が及ばなかったことに、すこしほっとする。そもそも、ローレライという存在が他家にどれほど知られているのかも定かではない。雨羽の家は生まれたローレライを徹底して隠し、ことりは六歳から今まで家の外の人間との関わりが一切なかった。


「――その封じ、俺が解いてやろうか?」


 思案げな間をあけたあと、彼が言った。

 瞬きをして、彼を見返す。


(封じを、解く……)


 そんなことはこれまで一度も考えたことがなかった。

 封じを解く――声を取り戻すなんて。


「封じって、さっき車内で言っていたやつですか?」


 尋ねた青火に、「この子、咽喉のところに花みたいな赤い印があるでしょう」と魔女がことりの咽喉を指した。


「呪術師がほどこした封じの術よ。しかもかなり強力な」

「呪術で声が出せないようにしていると?」

「ええ。ほんとクソみたいな術だけどね。多いのよね、機能していない地早の残党に呪術師に身を落としたやつ」


 魔女は忌々しげに肩をすくめた。


「でも、そんなもの簡単に解けるの? 優秀な解呪師でも連れてこないと――」

「だから、俺が解くって言っただろう」


 彼が目を上げると、カーテンレールのうえで毛づくろいをしていた火鳥が下りてきて、彼の肩に留まった。紅蓮の炎をまとっているが、彼が熱さを感じているようすはない。


「火見の炎は、うつつのものは焼けないけど、魔とか呪いのたぐいなら何でも燃やせる」

「ああ、なーるほど……」

「――それで、おまえはどうしたい?」


 彼の肩に留まった火鳥を見ていたことりは、自分に向けられた言葉で我に返った。

 どう答えたらよいかわからず、目を伏せる。

 ことりの人生において、あれをしてはならないとか、これをしろ、というのは言われ慣れていたけれど、どうしたいかを訊いてくるひとはいなかった。ローレライは魔を呼び寄せる《みにくい声》の持ち主で、そうとわかるや皆、声を封じられてきたから、それ以外の選択肢を考えたことなんかない。過去のローレライたちも、そうやってさだめを受け入れて死んでいったのだろう。


 ことりの沈黙を別の意味に受け取ったようで、「ほら」と彼は取り出した端末をことりに渡した。危うく取り落としそうになりつつ、両手で握り直して、淡く輝く画面に目を落とす。ここに文字を打てということだろうか? うかがうと、うなずかれた。

 画面に指をのせると、文字が出たので、おそるおそる打つ。

 一文字削除。

 とん、とん……。

 変換失敗。


「代わりに打ちたい……」

「若、待ちましょう。お嬢さんはがんばってるんですよ」


 端末にようやく文字を打ち終えると、ことりはそれを彼に返した。

 端末の重みが彼の手に移る瞬間、胸がちくりと痛んだ。彼らがことりを親身に思いやってくれるのはこれで終わりだと思ったから。でも、だからこそ嘘もつけない。


 ――わたしの歌声は、魔を呼び寄せます。

 ――危険ですので、封じは解かないほうがよいです。


「ローレライ……」


 三人のうち、魔女だけがすぐに思い当たったようすでつぶやく。


「百年から数百年に一度生まれるという雨羽の禍つ姫ね」

「……そんなのがいるのか?」


 ふしぎそうに尋ねた彼に、「あたしの母親も雨羽の末端の家の生まれだったから、聞いたことがある」と魔女が首肯する。


「確かに十年くらい前に一度、噂は流れたかも。それらしい存在が現れたようだと。でも、雨羽の家がうやむやにしちゃって、あたしもそのまま忘れていたわ。生きていたのねえ」

「雨羽の歌姫は、魔障を癒す力があるんだろう?」

「そのとおり。力の大小はあるけど、基本的にはそんなかんじね。でも、ローレライの力はまるでちがうの。歌うと魔を呼び寄せる。おそろしい歌声だそうで――昔はそうだとわかるや処分されていたっていうわ」

「ふうん。で、今の世では魔に喰わせて処分か。胸くそ悪いな」


 顔をしかめて、彼は端末をしまった。

 そのとき診察室の固定電話が鳴り、魔女が受話器を取った。べつの急患が入ったらしい。


「あたしはちょっと外すけど、彼女、治療で疲労が蓄積しているはずだから、今晩は休ませてあげて。隣室のベッドならあいているから」

「わかりました。あのー、わたしたちにも仮眠室を貸してもらえたりは――」

「元気なやつらは車で寝たら?」

「はい……」


 しゅんと青火は肩を落としたが、「じゃあよろしく」と魔女はあわただしく部屋を出て行った。青火のほうも、仮眠用の物資や食料の買い出しに行くことにしたらしく、ことりのことを彼に頼んでその場から離れたので、部屋の中にはことりと彼だけが残された。


 魔女が言っていた隣室には、簡易ベッドが一台置いてある。カーテンを閉めている彼の背中に目を向け、気分を害してしまっただろうか、と考える。

 封じを解いてやると言ってくれたのに、断ってしまった。

 でも十一年前、ことりは歌ったせいで、その場に大蛇を呼び寄せ、友人に大怪我をさせた。神祀りの家の交流会でたった一度会っただけの、それでもことりが唯一心をひらくことができた大切な女の子。あのときのことを思い出すと、今でもこわくてふるえだしそうになる。

 足元に目を落としていると、彼が何かをぺりっと剥がしてことりの額に貼った。


「⁉」


 つめたさにびっくりする。ぱちくりと目を瞬かせたことりに、「冷却シート」と彼は何がおかしかったのか咽喉を鳴らした。


「魔女はあのなりでも腕は確かだから、安心してよいぞ」


 寝台から離れようとしてから、ふいに彼の視線が自分に向かうのを感じた。


「――あのとき、おまえ死ぬ気だったろう」


 肩を揺らして、ことりは顔を上げた。

 いましがた浮かんだ微かな笑みは彼から消えていた。

 言い当てられた、と思った。


 ――この死にたがりめ。


 ちがう。彼はきっとはじめから見抜いていた。

 贄の間でことりがたすかりたいとは思っていなかったこと。ともしたら、大蛇に自分を食べるよう願ったことすら。それでも、自業自得だなんて言わないで、傷を負わせたことをゆるせ、と言った。

 じんわり羞恥に似た気持ちが込み上げる。


(きっとこんな子、たすけるんじゃなかったと思っているんだろうな……)


「まあ、なんでもよい。おまえの命はおまえのものだし、好きにすれば」


 彼はそれ以上は追求せず、「何か訊きたいことは?」とことりに尋ねた。

 首を横に振る。何もなかった。いたたまれなくて、早くひとりにしてほしかった。


「そういえばおまえ、結局なんていうんだ、なまえ」


 ふと思いついたようすで彼が訊いてきた。


(ローレライ……)


 ぽろりと口からこぼれる。もちろん彼には聞こえないということもわかっている。


「雨羽――なに?」


 端末を取り出した彼は「充電切れてる……」とつぶやいた。

 代わりにベッドのうえを示されたので、そこにそろそろと指で文字を書いた。

 ローレライではない、もう誰も呼ばなくなったほんとうのわたしのなまえを。

 彼が首をひねったので、もう一度なぞる。次はすこしだけゆっくりと。


「こ、と、り」


 今度は正しく読み取ると、彼はベッドのうえに同じように文字を書いた。


 ――か、お、る


 浮かび上がった文字のまばゆさに目を細める。

 強い輝きを持って、それはことりの胸に飛び込んできた。


 ――かおる


「火守馨だ」


 聞き覚えのある名に、ことりは睫毛をはたりと揺らす。


 ――ねえさま。わたしね、婚約することになったの。


 最後に交わした、夢見るような初音の声がよみがえる。

 魔を祓う力。火見と呼ばれるふしぎな力を持つ火鳥。

 思えば、すぐに結び付けてしかるべきだった。


 ――このひとが、初音が婚約するはずの火守の次期当主だ。

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