一 贄の少女たち (5)

 大蛇が暴れたためか、施錠されていたはずの電子錠は壊れて、ドアが勝手にひらいてしまっていた。逃げる側からすれば、好都合である。だが、階段を駆けのぼり、地上階に出たところで、異常を察知したらしい警備員がこちらに走ってくるのが見えた。


「早いな……」


 彼の肩から離れた火鳥が、先導するように前方を飛ぶ。

 廊下を駆け抜け、突き当たりの非常口のドアをあける。鉄骨の階段を下ると、目隠しがされた黒のキャンピングカーがブレーキ音を上げながら歩道に横づけされた。


「若!」


 車の窓があいて、二十代半ばくらいの赤髪の男が顔を出す。優男風だが、迷彩のパーカーを着ていて、耳には金のピアスをつけている。少々胡散臭い風体である。


「外に逃げたぞ!」


 背後からばたばた警備員たちも階段を下りてくる。

 彼はことりを引っ張り、キャンピングカーに飛び乗った。スライド式のドアが閉まりきるのを待たず、アクセルが踏まれて、車が急発進する。勢いあまって座席から転がり落ち、ことりは声もなく呻いた。


「その運転どうにかしろ。青火」


 青火、と呼ばれた青年は「はいはーい」と鼻歌でも歌いそうな調子で応じて、ハンドルを切る。車が右に急カーブしたせいで、男の子とことりは床にまた転がった。まるで改善の兆しがない。彼を下敷きにしてしまったことにきづき、ことりはあわてて身を起こす。

 叱られるのではないかと身をすくめたが、「肩打った……」と彼は運転席のほうに文句を言った。


「とっさに女の子を守ってえらーい。わたしの日頃の教育のたまものですね!」

「女の子じゃなくて怪我人だからだ。おまえの言うことは大半がろくでもないから、参考にしてない」

「素直じゃありませんねえ、若君」


 視線に気づいて目を上げると、フロントミラー越しに赤髪の青年ににっこりわらい返される。凛とした男の子の雰囲気とはまたちがって、人好きする笑みだ。


「彼女がさっき電話で言っていた子ですか?」

「水鏡に裏ルートで売られたらしい。どこの家の娘かは知らない。咽喉に封じの術がかけられていて、口がきけないんだ」

「それはまた……」


 ことりのようすをうかがいつつ、青火はアクセルを緩めた。


「第十八病院に連絡を入れておきましたよ。魔障専門の外来がある」

「あー、《魔女》か」

「あのひと、わたし苦手なんですよねえ」

「得意なやつなんかいないだろ。俺はきらい。ゲジゲジのほうがまだマシ」

「そこまでですか?」


 ビル内を走り回ったせいか、彼はへばり気味に息を整えている。

 目が合うと、「ここから一時間くらいかかるけど、平気か」と訊かれる。

 ことりは戸惑いつつ、ひとまずうなずいた。


(このひとたちは何者なのだろう……)


 迎えの車を用意していたことを考えても、彼がはじめからあの場所から逃げるつもりだったのはまちがいない。ことりがいたことのほうが、彼らにとっては想定外だったのだろう。

 鴉よりすこし大きいくらいの、彗星のように尾の長い鳥が彼の膝に乗って、身体をまるくふくらませた。確か彼は火見と呼んでいた。羽根の一本一本に炎をまとっているが、彼の着物が燃えてしまうようすはない。おそらくふつうの鳥とはちがう、神の領域に属する何かなのだろう。神祀りの血を引くことりには存在が知覚できるが、警備員たちには見えていないようだった。

 《火鳥》は火守家が祀る神だったはずだ。魔を祓っていたことといい、かの家に関係するひとたちなのだろうか。

 考えていると、最後に雨羽の家で父親と交わした言葉がよみがえった。


 ――贄の間に行きなさい。


 ことりが逃げ出したら、父親たちは初音の結婚に向けた準備金を手にできなくなる。きっとすごく怒るはずだ。言いつけどおり死ぬこともできなくて、お金にもならない。わたしはなんて役立たずなのだろう……。

 急に嵐のような心もとなさに襲われ、ことりは車のドアに手を伸ばした。今すぐ贄の間に引き返して、魔に食べられないといけない衝動に駆られたのだ。


「おい!」


 びっくりしたふうに彼がことりの手をつかむ。

 ドアはひらかなかった。内側からロックがかけられていたらしい。


「……飛び降りでもする気か?」


 胡乱げに見つめられ、ことりは瞬きをしたあと、力なく首を横に振った。

 贄の間の魔はこの男の子によって祓われてしまった。戻ったところでことりを食べてくれる魔はいない。冷静になれば、おかしいとわかるのに、いったい何をしているのだろう。でも、こうして息をしているだけで、無性に不安でたまらなかった。


「もの言いたげだな」


 とりあえず手を離した男の子が、うなだれることりに向けてつぶやいた。

 彼はしばらくことりの反応を待っているようだったけれど、ことりが俯いたままふるえていると、息をついて窓の外に目を戻した。彼の膝に乗っていた火鳥が片目を開けて、またうとうとと目を閉じる。途中で青火が痛み止めをくれた。それから、高速道に乗って車が北上するあいだ、男の子とことりは言葉を交わすことはなかった。

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