みにくい小鳥の婚約

糸(水守糸子)

序 はじまり

(……おねがい)


 不規則に明滅する灯りの下、ことりは必死に大蛇に願っていた。



 ことりは今宵、この場所に送られた贄である。

 命じたのは父だ。家のために死んで金になってくれと言われて送られた。それができないなら、自分がここにいる意味はない。

 《にえ》と呼ばれる、高層ビルの地下に設けられた広い部屋では、鎌首をもたげた大蛇が天井まで伸び上がっている。巨大な身体からは暗い瘴気が立ちのぼり、こちらを見下ろす目は血のように赤い。


(どうか彼女ではなく――)


 この日、贄の間に送られた贄は、自分を含めてふたりいた。

 もうひとりは、十七歳のことりとそう年の変わらない、見目うるわしい少女である。花嫁衣裳を思わせる白の掛下に白の打掛をかけ、艶やかな黒髪が細い雨のように打掛に流れている。凛とした眼差しの少女で、夜空を思わせる印象的な眸の色をしていた。

 ことりにとっては、同じ場所に居合わせただけの見ず知らずの相手だ。でも、目の前で死なれるくらいなら、自分が喰われたほうがずっといい。


(だからおねがい、どうかわたしのほうを食べてください)


 必死の願いが届いたのか、ずるりと巨体を這いずらせ、大蛇が口をひらいた。

 長い尾が振られると、部屋全体が振動し、壊れた天井板や照明具が落ちてくる。庇うようにもうひとりの少女にしがみつき、ことりは身を固くした。

 鉄錆に似たにおいの瘴気が押し寄せ、大蛇が迫る。

 刹那、その鼻先でちりりと火花が跳ねた。

 

火見ひみ


 低めの声がもうひとりの贄の少女から発せられた瞬間、ぱっと赤い花がひらくように巨体が炎に包まれ、燃え上がる。

 現れたのは、紅蓮の炎をまとう一羽の火鳥である。

 羽を広げた火鳥が大蛇の咽喉を一閃する。直後、内側から黒い蛇身が爆ぜ、飛散した。

 灰に転じた残骸がはらはらと落ちてくる。それらは床に触れるや、まぼろしのごとく消えた。


「焦った。まさかを庇うやつがいると思わなかったから」


 ことりの身体を軽く押しやって少女が身を起こすと、先ほどの火鳥が肩に留まった。

 ――いや、「少女」ではない。

 肩に流れる長い髪をわずらわしげにかきやると、そのひとはポイっと髪だったものを取り去り、床に放った。かつらだったらしい。

 床に座り込んだままのことりを見て、呆れたふうにつぶやく。


「この死にたがりめ」


 瞬きをして、ことりははじめてまっすぐ目の前に立つひとを見上げた。

 切れかけた照明のせいで、ひかりと闇がせわしなく入れ替わる中、夜空に似た色の眸がことりを見返してくる。

 女の子ではない。「少年」だ。しかも、すごくきれいな。


(まるで、夜闇に散る火花みたい)


 ――それが、あなたを見た最初のわたしの印象だった。



 

 これは鳥籠の中で死を願っていた少女が、ただひとりをこいねがうようになるまでの物語。

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