二 火守の若君 (2)

 ことりはぽかんとして馨を見返した。それこそ冗談かと思ったけれど、馨のほうはすこしも笑う気配すらない。

 馨との婚約に胸を弾ませていた初音のすがたを思い出す。もとをたどれば、初音と馨の結婚に向けた準備金のためにことりは贄の間に売られることになったのだが、どういうわけか、初音の婚約相手の男の子にたすけられて今ここにいる。


「あの……おうかがいしてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」


 口をひらこうとして、けふんと咳をする。まだ咽喉が使い慣れていない。


「馨さまは、なぜわたしのようなものを望まれるのでしょうか……?」

「うーん。火守の事情は知っているか?」


 反対に尋ね返される。すこし考え、ことりは首を横に振った。

 雨羽の離れで十年以上生きていたことりは、外の事情に詳しくない。主家の水鏡すら知らないことが多いのに、別の神祀りの家のことなど何も知らないに等しかった。

「そこからか……」と馨は嘆息する。


 キッチンを借りて洗い物をしていた青火が「カフェオレのお代わりは要りますか?」と苦笑交じりに訊いてきた。

「いる」と空にしたマグカップを馨が置く。ことりはどうしたらよいかわからなかったが、青火は持ってきたポットから先にことりのぶんを注いでくれた。ほろ苦い香りを帯びた湯気が立ちのぼる。


「今から四年前のことだ。当時、火守の家では前の当主が急死して、急遽当主の代替えがあった」

「はい」


 ことりは真剣な顔でうなずいた。


「……その反応で、おまえが何も知らないことがよくわかった」

「え? すみません……」


 馨が次期当主に名指されていることは初音から聞いていた。


(でも……四年前にも一度代替わりをしたのに?)


 家のことに詳しくないことりでも、ずいぶん周期が短い、と思う。馨の言う「事情」にそれは関わっているのだろうか。


「通常、当主の代替えの際は、継承者に火ノ神から火が分け与えられる儀式がある。四年前もそうだった。ただ、そこで変事が起きて――」


 馨は一度言葉を切った。よそに向けた目に一瞬薄暗いものがよぎった。


「儀式は失敗。次の当主になるはずだったやつは、魔に転じて行方をくらました。そのとき火分けの火も消えて、以来、当主継承をやり直すこともできず、四年間、火守の当主は不在になっている。神祀りの家々の歴史を紐解いても、前代未聞の事態だ。ちなみにこのことは神祀りの家の人間なら誰でも知ってる」


 もちろんことりは知らなかったが、隠されている情報ではないということだ。


「そして、事件が起きて半年が経った頃、火守の長老たちがひとまず次の当主候補を名指しした。ひとりは火守の一ノ家の雪華。もうひとりが俺」

「若は八つある火守の家のうちのひとつに生まれたんですが、十三歳のときに《ぬし》っていう一族でも稀なる力を宿したんです。だから、名指されたんじゃないかと」

「よりぬし……」


 ことりの声に反応したのか、テーブルのうえで馨に咽喉を撫でられていた火鳥が羽をふるわせた。


「火見さまは、火ノ神の分身であるといわれています。火見さまが降りて常に馨さまのそばにいることが依り主のあかしですね。依り主は火守だけじゃなく、神祀りの血筋ならどの家にもときどき現れるものですが、今代の水鏡には確かいなかったはず……」

「神さまがひとの身体に降りる、ということでしょうか?」

「そうです」


 言われてみれば、子どもの頃、歌姫教育を受けていた頃に一度聞いたかもしれない。神祀りの家に時折生まれる神の恩寵がひときわ深い人間たち。彼らは依り主と呼ばれ、かつては現人神のように崇められていた時代すらあったのだと。馨がそれなのか。


「火守の人間は、火術を用いて魔を祓いますが、若の場合は火見さまを常に降ろしているので、術を使わずとも魔を祓えます。神に祓えない魔はいないので、理屈のうえでは若にも祓えない魔はない――ゆえの稀なる力ってやつですね」

「ふふん、敬え、敬え」


 馨はどやーとした顔で言った。


「そこで黙っていられないから、ちょっとざんねんなんですよね……」

「失礼なやつだな。俺のどこがざんねんなんだ」


 軽く青火を蹴って、馨はカフェオレに口をつけた。


「候補はふたり。そして当主となるための条件は、『消えた魔を祓うこと』。なぜなら、やつを祓えば、消えた火分けの火も戻ると風薙の巫女によって予言されているからだ」


 はじめ突拍子もなかった話のゆくえがことりにもようやくすこし見えてきた。なぜ、馨がことりに目をつけたのかも。


「おまえの歌声は魔を呼ぶのだろう? 『彼女』を呼んでほしい」

「呼んで……」


 思わず口をひらいてしまってから、途中で閉じる。吐息のようなちいさな声で続けた。


「魔を呼んで、どうされるのですか?」

「祓う」


 馨の答えは明快だった。

 夜空を思わせる眸の底では、星火が瞬いている。はじめて馨を目にしたときのことを思い出す。こわいくらいにうつくしいと思った。そう感じたのは、彼が冷酷なひとだからだろうか。

 馨の話では、馨が祓おうとしているのは、もとはひとだった魔だ。そう簡単に祓うと言い切れるものなのだろうか。……よくわからない。でも、馨はことりをたすけてくれた。そこには馨なりの思惑があったからかもしれないけれど――やっぱりよくわからなかった。

 しばらく見つめ合っていたが、馨はやがて飽きたふうに視線を解いて、窓の外に目をやった。


「……大地を永劫さまようのはつらかろう」


 ぽつっとこぼれたその言葉は、誰に向けたものでもないひとりごとのようだったが、ふしぎと血の通った温度があった。


「もしうなずくなら、今後のおまえの生活は俺が保証してやろう。婚約者として丁重に扱うし、雨羽の家にも帰らなくてよい。魔を呼び寄せるまではいてくれないと困るけど、そのあとはいやなら婚約は解消して、おまえの望みに沿った場所をできるだけ用意する。どうせ、十八歳になるまでは結婚もできないし、周りへの説明はまあどうにでもなるだろ」


 破格の条件を提示されているとは思う。裏を返せば、それくらい馨にとっては切迫した事情なのだ。


「――で、どうなんだ? 来る気になったか」


 一瞬、脳裏をよぎったのは初音や父親のことだった。ことりが贄の間で死なずに生き延びたどころか、馨の婚約者におさまったら、彼らは怒り出すだろうか。あるいはローレライを厄介払いできたことのほうにほっとしているのだろうか。どちらにしても、雨羽の家族がことりが生きていても喜びはしないことだけはわかる。ことりにはもう帰る家がない。

 ことりは伏せていた目を上げた。


「……馨さまが望まれるなら」

「あのー、ことりさん、わたしが言うのもナンですが、もうすこし考えてから返事をしたほうがよいですよ。そうじゃないと、このひとにかすかすになるまで搾り取られますよ。わたしのように」

「おまえはどっちの味方なんだ」

「ことりさん寄りの若です。いちおう立場上」


 青火は複雑そうな面持ちで息をついた。

 それにしても、と馨は苦笑する。


「『望まれるなら』ねえ。いいのかおまえ、それで?」

「ほかに行く場所もありません、から……」


 いまひとつ苦笑の意味を理解できないままうなずく。

 もともと、贄の間で死ぬはずだった命だ。それを馨がたすけてくれた。術を解いて、声を返してくれた。加えて、帰る家のないことりに衣食住まで保証してくれるという。ことりには何もないから、馨に望むことがあるなら、できるだけこたえられたらと思う。すこしは何かを返せるかもしれない。雪山で、ことりの歌が子どもを救うたすけになったように。もし誰かの役に立てるなら。わずかでも必要としてもらえるなら。

 考えたそばから、だいそれた願いを抱いた気がして、不安になってくる。

 きっと叶わない。でも、もし叶うのなら。

 ――生まれなければよかった以外の言葉をわたしは見つけられる日が来るのだろうか。

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