あしたのために(その37)ワタリ、お前は最強で、最高だ!

 川地と沢本が 原宿でターゲットを見失いパニックになっていた頃、他の面々は三茶の集会所で、西河指導の元、ヲタ芸の練習中だった。

「いちに、さんし、ごーろく、しち、はち」

 西河が小太鼓を叩きながらカウントしている。

 全員整列して、大股になり、技の動きを繰り返していた。

「いつまでやらすんだよ」

 赤木が隣の津川にこっそり話しかけた。「おんなじ動きしすぎてタルいんだけど」

「だよな。肩は攣りそうになるし脇いてえし」

「なんかもっとダンスすんならさっさとやろうぜえ」

 二人の会話が耳に入り、西河が太鼓を鳴らすのを止めた。

「基本技を身体に刷りこませるまで、全体の振りはさせん」

「えーっ」

 指導者が欲しいと全員思っていたが、これでは楽しくもなんともない。

「自分を超えるためには、まず、目標に向かって自分を律しなくてはならん」

 でたでた、と全員が顔をしかめた。西河はいつだって、感極まると、「自分を超えろ、世界を変えろ」となんの脈絡もなく口走る。そういうとこがガチでウザい。べつに超える気も変わるつもりも、俺たちはさらさらない、とみんな聞き流していた。

「お前らには体型差がある。周囲とバランスを合わせ、神経を研ぎ澄まして振り位置を揃える。正しいフォームを習得するのに時間が足りないぞ」

「……ういっす」

 川地と沢本は、浜田の依頼をこなしているが、小林は無断欠席だ。発案者のいない稽古は、なんだか罰ゲームみたいに思えてくる。なんでこんなことをやっているのか、と全員かったるくなっていた。ヲタ芸するなんて、言うんじゃなかった。あれは気の迷いだった。

 ふと津川が入口を見ると、渡が立っていた。

「ワタリ、どうした」

 休憩、とばかりに津川が駆け寄った。

 それにしても珍しい。教室でも輪に入ろうとなんてしないのに。そもそも渡はクラスメートと仲良くするつもりもなく、いつだってサッカー部員とだけつるんでいる。

「俺もやろうかなって」

 渡はぶっきらぼうに答えた。

「ふうん」

 みんな無理矢理やらされているのに。そもそもこいつ、サッカー以外興味ないのに。川地が声をかけても、ずっと無視してサッカー漫画を読んでいたっていうのに、どういう風の吹き回しだ?

 その場にいた全員が、渡の真意を計りかねた。

「先生が現役のときに踊っていた曲、覚えてきたんで見てもらっていいですか」

 渡が西河に言った。

「現役って、あのな、そう簡単に人にものを見せられるほど……」

 西河の話を最後まで聞かず、

「って、お前、なに脱ぎだしてんの?」

 渡は下着一枚になった。

「筋肉の部位、そして可動域を知る、すべてを柔軟に動かせるようにしておき、自分自身を完璧に制御する、頭のなかのイメージを実現化させる。みんなセンスないんじゃなくて、強く意識してないんですよ。お手本見せてあげますよ」

 渡はストレッチをしながら言った。

 その場にいた全員がムッとした。しかし誰も口答えできなかった。その仕上がった身体を前にして、体育会系の連中すら、まだまだ発達途上である自分を恥じた。

 いまだって完璧でありながら、こいつはまだまだ高みを目指している。周囲と比べて優っていたところで、そんなもの渡にとって意味のないことなのだ。

 こいつ本気だ。

「あ、パンツ……」

 そして全員が気づいた。母ちゃんが西友で買ってきたっぽい、いつものださいトランクスを渡は履いていない。

 アンダーアーマーだった! 

 渡は本気だ。

 男子高生にとってアンダーウエアとは、気合いである。特に体育系部活の場合、謎の部活ルールにより上級生にならないとブランドパンツを履いてはいけないなどと、しょうもない決まりがあった。渡の場合は、コスパが悪いと「見せパン」を気にすることなどなかったが。

 オーディエンスは渡の下着に、覚悟を見た。

「曲は?」

 西河が訊ねた。一度恥をかかなければ、納得しないのだろう、と諦めた。

「『God Knows…』の先生のポジで」

「誰か、どうせスマホ持ってるんだろ。学校外だから大目に見てやる。かけろ」

 西河がうんざり気味に言った。

 音楽が始まった。

 一同は息を呑み、渡から目を離すことができなかった。

 あの渡が?

 サッカー部員としか会話しない、面白いことなんも言わねえ(そこが下級生には人気らしい)、親が買ってくるダサいトランクスを平気で履いている(ファン的にはそこがアガるらしい)、クラスではちょい距離を置かれがちの、渡が。

 しなやかなパフォーマンスをしていた。一つ一つの動きがスムーズに流れながら、それぞれの技が、勢い余って流しっぱなしにならずにしっかりと意志を感じさせる。美しい。

「ちょっと待てよ」

 岡田が上擦った声をあげた。「気づいたか?」

「なんだよ」

 長門は渡に目を離さず言った。

「あいつ、笑ってやがる」

 教室ではしかめっ面以外見たことのない渡が、踊りながら、かすかに笑っていた。

 全員どきりとした。え、うそだろ、俺たち、なぜか、謎にときめいてる。

 全員渡に注目していて、部屋の隅で中平が壁に寄りかかって見ていることに気づかなかった。

 想像以上だ。

 中平の口元は緩んでいた。

 サッカーをするためだけに、人生を振っており、身体機能、そしてその操作に渡は長けている。

 なにより素晴らしいのは、一度見たら振り程度なら完コピできてしまう異常な集中力だ。

 たまにそういう奴がいる。見たものを正確に描けてしまうとか、見ればすぐに演じられるとか。これまで渡はサッカーだけにその才能を捧げてきた。そもそもこの特技を、すべての偉大な選手たち同様、みんなできるものと思っている。努力をしないだけだと。そして背中を見せていればみんなついてくる、と誤解している。

 一般人には無理だ。

 現在、言いだしっぺだから自動的に、センターは川地が受け持っている。だがまだ人を従えるほどには実力は追いついていない。

 逆に渡は既に水準を超えている。西河、お前のアップデート版だぞ。どうだ? 

 曲は終わっても、全員が呆然としていて、拍手も声をあげることもできなかった。

 渡は全力で踊り切り、びっしょりと汗を垂らしていた。熱気が見ていた者たちまで肌に伝わってくる。

 西河はなんとか言葉を発しようとしたが、喉がからからになっていた。

「どうすか?」

 渡は真剣な顔で訊ねた。

 最高だ、と誰もが思った。だが、渡の問いに答える者はいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る