あしたのために(その3)部活選びは慎重に
「なんかさー、ちょっとウルっときちゃった」
オリエンテーションを終えて、川地たちは身体測定のために廊下を歩いていた。
「なにがだよ」
川地は腰を叩いた。座りっぱなしで身体が怠い。
「あの卒業生の人、かわいそうで」
「無理だろ。まあ俺たちのなかにガリ勉とか、めちゃくちゃ運動神経いいやつがいるかもしんないけどさ」
こんな学校にいたら、もうなにもかもが無理だ。「部活も全国大会進出したなんて話を聞かないし、そもそも真剣にスポーツするやつがきているとも思えないしな」
「そうだ、カワちん部活どうすんの」
「あんま入る気も起きないなあ」
「全員どっかに入らなくちゃなんないんでしょ」
沢本が伺うように顔を覗きこんだ。
「同じ部活に入らないでもいいって」
「別々になったら一緒に帰れないもん」
沢本のこのつきまといは、川地を心配しているのだ。
自分が第一志望の高校に入っていたら、なにかが変わっていたような気がする。また三年、沢本にくっつかれて過ごすのか。ありがたいけれど、うとましくもある。これはもう、運命というより前世のカルマかもしれない。
「どこにすんの?」
「文芸部」
「カワちん、本を読むのに群れるとかバカくさいって言ってなかったっけ」
「動くの怠いし、ほかにやりたいこと、ねーし」
身体測定で生徒たちは下着一枚になった。川地はTシャツを着たまま受けた。事情を知らない生徒たちの視線を、川地は気にしなかった。沢本のほうが周囲の目を気にしていた。
「サワもん、なんか言われたら、わかってるよな?」
川地は言った。
「うん」
沢本が神妙に頷いた。そして人に聞こえるように、「やけど大丈夫? 痛くない?」と川地の背中をわざとらしくさすりだした。下手くそな芝居に、川地は黙って顔をしかめた。
そのやりとりを耳にして、一人の生徒が厳しい目つきをして二人を見ていた。
職員室で担任の西河に、文芸部の入部届を出したときだ。
「ふむ、三名か」
「ぼくら二人ですけど」
「あと一人、俺がスカウトしておいた」
ちょうど職員室に、さっき教室でかったるそうにしていたやつが入ってきた。オリエンテーションで自己紹介の番がまわってきたときも、「小林ダイスケ」と無愛想に名乗るだけだった。同級生と親しくするつもりなんて、まったくなさそうだった。
「用ってなんすか」
長身で整った顔つきをしている。というか、高校生にしては顔に幼さがない。沢本と並ぶと、同い年のはずなのに違和感しかない。
「お前も文芸部に入れ」
「入るなんて言ってねえし」
小林は顔をしかめた。
「人数合わせだ。幽霊部員でいい。とりあえず部室まで案内するわ」
西河が怠そうに立ち上がった。
「えーと、文芸部の顧問ってもしかして」
川地は恐る恐る訊ねようとした。ゆるい部活なのはちょうどいいが、顧問がはなからやる気なしなのはどうなんだ。
「俺だ。で、部員はお前らしかいない。最近のやつは小説なんて読まないし、創作なんてわざわざ部活でしないでネットにあげるからな。カタカナの名字だけのペンネームとかつけて、隠れてシコシコ書いているんじゃないか? お前らがこなかったら廃部になるところだった。あと一人部員が必要だから、適当にスカウトしといてくれよ」
川地と沢本は目配せした。二人の気持ちが一致しているのはわかった。
『やばいかも』
小林は、興味なさそうにあとからついてきた。
文芸部の部室は、本棚に囲まれていて、空気がこもっていた。
「なんか埃っぽい」
沢本は鼻を動かしながら言った。「ぼく、鼻が敏感なんだけど」
「だったら掃除でもしといてくれ」
西河はしれっと命じて、そうだ、ちょっと待ってろ、と出ていってしまい、三人は部屋に取り残された。
「えーと、小林くんは、なにか本を読むの?」
恐る恐る沢本が訊ねた。
小林は沢本を一瞥すると、そのまま古びて端が破けている安ソファに寝転んだ。まるでずっとそうしてきたかのように自然だった。
しばらく二人が返答を待っているうちに、小林は目を瞑ってしまった。答える気がないことはわかった。
川地たちも適当に椅子に座り、西河を待った。喋りづらい雰囲気に緊張したのか、沢本が貧乏ゆすりをし始めた。
「サワもん」
川地は小林を気にしながらたしなめた。
用具入れの扉に、古びた神社の札が貼られていた。かろうじて端がくっついていて、風もないのにひらひらと揺れていた。おんぼろ校舎だし、どこかに隙間でもあるのかもしれない。あとで貼り直してやろうと、川地はその札をひっぺがした。
暇だし言われた通りに掃除してやるか、と掃除用具入れをあけたときだった。
思いもよらないものが、いた。
なかに、太った男が窮屈そうに入っていた。
「は?」
川地はびっくりして、腰を抜かして尻餅をついた。
「カワちん?」
沢本が駆け寄り、そして小林が面倒そうに起き上がった。
「いやー、まさか西河がくるとは思わなかった」
太った男が周囲を伺いながら出てきた。中年、のようだが皮膚が伸びているおかげで、年齢不詳だ。陽に当たっていないのか肌は青白かった。
「誰ですか、え?」
川地はなんとか、質問を口にした。
「ああ、ぼくはね、文芸部に以前いた、きみらの先輩で
「以前って、でも」
沢本は言葉が続かなかった。どう見ても、オジさん。確実に十以上、年が離れている。「いつの話だよ」である。
「ずっと待機していて喉が渇いちゃったよ。ジュース買ってきてくんないかな。下駄箱のそばにある自動販売機、紙パックのフルーツ・オレでいいや」
唐突に年上からカツアゲされている。この異常事態に、三人は固まってしまい、身動きできなかった。
「ああ、わかったお金ね、お金」
中平は尻ポケットを探りだした。
「ないや、ごめん、代金はあとで返すから」
「あの、その前に」
沢本が恐る恐る言った。
「なんだい?」
「なんで掃除用具入れにいるんですか?」
「いたんですか、だなあ」
中平はさっきまで小林が寝ていたソファに座りこんだ。「ここはぼくの特等席」
三人は、この小太りの男が話し始めるのを待つことしかできなかった。
「あのね、顧問の西河っているじゃん、あいつ、ぼくの天敵なんよ。あいつに見つからないように隠れたってだけ。ぎりぎりいまの体型なら収納できるから、あの用具入れ。あと、ぼくを見たってことをもし西河にチクったら、大変なことになるから、絶対に内緒ね、しーっ!」
中平が唇に人差し指を当てた。
「先生と仲が悪いんですか」
川地は訊ねた。大人のいざこざになんて巻きこまれたくない。
「そういう細かいことは気にしなさんな。おいおい語ろうじゃないですか。とにかくね、喉がからむな……む!」
というや否や、その体型に似つかわしくない俊敏な動きで中平は掃除用具のなかに入った。
ドアが開き、西河が入ってきた。
「どうした?」
床に投げだされたモップと、呆然と立ち尽くしている三人の生徒を、西河は不思議そうに眺めた。「掃除しろって言ったのに、余計に散らかして。これだから近頃の餓鬼は」
「いや、なんでもないです」
川地は慌てて、モップを拾った。
なんだ、これは。あのオジ、もしかして……忍びの者かなんか?
掃除用具入れに中平が隠れたまま、部活の説明が始まった。
まさかそのときは、中平が部室に年がら年中入り浸っていて、毎度後輩にジュースをたかってくるなんて、思いもしなかった。
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