あしたのために(その2)入学式では事件が起こるもの

 彼らが入学した日に遡る。

 川地オサムはまったく納得がいかなかった。べつに入りたくもない高校の入学式に、いま自分はいる。なぜこんなことになってしまったのか。模試で合格圏内だった第一志望の花岡高校ではなく、よりによって、家から近いだけが取り柄の低偏差値校に入学する羽目になるなんて。仏頂面でいると、隣に座っている沢本カズオミが肩を突ついた。

「凄い発見しちゃった。校長、教頭、主任の順で髪の毛薄くなってるよ。普通逆じゃない?」

 なにか見つけるたびにやたらと小声で話しかけてくる。自分と一緒に高校に通うのが嬉しくてたまらないらしい。なにせ、進路志望のときもさんざん揉めた。どうしたって受からないと止められたのに、「カワちんと一緒がいい」とハナ高を受けたのだ。沢本はもちろん落ちた。川地のほうは試験場に向かうことができなかった。

 とりあえず、この三年はできるだけ穏便に過ごそう、と川地は決めていた。目立たず、のんびり過ごす。それだけが望みだった。

 あたりの生徒たちも、べつに高校生になれて、これからを期待し顔を輝かせているようにも見えなかった。なにせ、イチ高に入ってしまったら、これから三年、お先真っ暗なのだ。

 偉い人たちのやたら長い祝辞も終わり、在校生代表による校歌の披露が始まった。終われば、式はお開きとなる。

 この曲を自分が愛着を持って歌うことなんてできるのだろうか、とぼんやり歌詞の書かれたプリントを眺めた。

『青春讃歌』なんてご大層な題名がついている。もう少しタイトルをゆるくしてみたらどうだろう。『アオハル讃歌』なんてどうだ? ぼんやりしているうちに、歌は終わった。

 講堂の後ろのドアから勢いよく一人の男が駆けこんできた。

「理事長に質問があります!」

 男が挑むように壇上に向かって怒鳴り、会場がざわつきだした。

 突然の闖入者に慌てる教員たちを、一人が立ち上がって制した。

「なんでしょう」

 さっき祝辞を述べていた理事長が、マイク越しに訊ねた。この人は他の連中と比べてスピーチが短く、好印象だった。だがどこか投げやりで、祝うつもりのない態度を感じとり、川地は聞いていて笑ってしまった。

 また親の金しか取り柄のないバカが収容されてきた、と思っていそうだ。ここは義務教育でもなければ公立でもない、面倒なお客様のお相手をして差し上げる、と言いたげだった。

「この高校が、廃校になるという噂は本当ですか!」

 語尾が疑問形ではなかった。

「そんな噂はない」

 でっぷりと太った校長が、顔を真っ赤にさせて怒鳴り返した。こいつはやたらと長々と喋っていた。高校生としての誇りだとか、歴史ある我が校の名を背負って、とか。テンプレート通りなのが見え見えだった。耳から耳へ素通りしただけで、なにも響かない。

 理事長は校長を一瞥し、それから、講堂全体に向かって、

「その可能性はあります」

 ときっぱり言った。

「どういうことですか。ぼくらの通っていた高校がなくなってしまうなんて!」

 下から威勢よく理事長と対峙している男のほうが、なんだか嘘くさかった。異議申し立てしていることに酔っているみたいに、川地の目には映った。

「あなたはたしかーー」

「三月に卒業しました!」

 やっとおさらばできたのに、学校に乗りこんでくるなんて、暇か。川地にはまったく気持ちがわからなかった。

「この高校は、先代の理事長が『世界に通用する人材を育成するため、質実剛健な日本男児のため』に作られました。でも、いまはどうでしょうか。昭和の時代、この学校はたしかにその理念に向かって厳しく教育を施し、学生たちは応えて非常に優秀でした。ですがいつのまにか、レベルは低下、国公立大進学者も減り、スポーツや芸術でも秀でた者は見当たらなくなりました。いまではすっかり全体の学力や精神性も底をついて、厳しい校則は、落伍者の更生のため、なんて世間で囁かれています」

 自嘲気味だ。責任は自分になく、生徒たちのほうだという態度だった。

 老人の横で、口を挟めずにまごついている校長の姿が笑えた。

「まるでぼくたちが悪いと言っているように聞こえます!」

 講堂にいる生徒全員が、「こりゃ分が悪い」と卒業生に同情した。貫禄負けだ。ダサいったらない。

「いま、なにタイム?」

 隣にいた沢本が耳打ちした。

「余興かな」

 川地は吐き捨てた。

 正直くだらない、としか思えなかった。気に入らない高校に入学して、変な揉め事が目の前で起きている。

「わたしたちは、教育に失望しています。気骨のある若者が育たないのは、自分たちのせいではないか。理想を曲げて時代の変化に忖度しなければならないのか、と無念でなりません。現在は、廃校の方向で話を進めている、とお伝えしておきましょう」

 理事長は毅然と答えた。

 すごい、語り口は謝罪風でも、まったく自分に責任はない、と言っている。

「学校側が変わるつもりがない、と言っているようなものじゃないですか」

「変わる? 変わるべきなのはあなたたちでしょう。怠惰に過ごして、なにを成し遂げることなんてできますか?」

「生徒たちが功なり名を遂げれば、学校は存続してもいいということですか」

 男と理事長は睨み合った。講堂全体が沈黙した。

「そうね、我が校が復活する兆し、のようなものがあれば、わたしたちも真剣に学生と向き合うことを約束しましょう。これまで卒業生たちを見てきて、どこか一芸に特化している者は見かけませんでしたよ。あなたたちは文句ばかりを垂れて、他人や環境のせいにばかりして、自分たちは悪くないと主張してきただけでしょう。年上の人間を批判するだけで、自分からはなにも変えようとしなかった。そんな人たちが、先代の思いを遂げるようなことをできるとは、残念ながら思えません。十代のあなたたちに、そんな厳しいことを告げるのは間違っているかもしれませんが。さっきも述べましたけれど、三年という高校生活は長いようで短いです。ところであなたは在学中になにか有益なことをしましたか?」

 問われて、さっきまで威勢の良かった男もすっかり怯みだしているように見えた。ライフゲージは限りなくゼロ、あと一発攻撃されたらゲームオーバー。

 これでは赤っ恥じゃないか。

 理事長の言葉は、やりとりを聞いている新入生たちからすれば、「せいぜいおとなしく生きておけ」と釘を刺されたようなものだった。

 おーけー、その通りにさせていただきます。大学受験で人生リセットします。とりあえず、読みたい本もたくさんあるし、スマホ禁止だけどタブレットがある。動画を観ていたらあっという間に卒業を迎えるだろう。

「では、三年待ちましょう」

 理事長は咳払いして言った。

「どういうことですか」

 当初の勢いをすっかり失った卒業生は、困惑していた。

「今日入学してきた一年生たちが卒業するまでに、なにかを成し遂げてくれたなら、撤回します。学校の宣伝にもなりますしね」

 新入生たちは、突然の無茶振りにぽかんとしていた。

 どちらかといえば、学生たちよりも、壇上にいる教師や関係者たちのほうが慌てているように見えた。

「あなたは卒業生なんだから、署名を集めるくらいのことしかできないでしょう。そもそもうまくいくかしら? そういう気持ちも大事にしたいですけれど、しょせんはただのセンチメンタルです。それよりあなた、たしかいま浪人生よね。まずは受験勉強を頑張ってみるといいでしょう。いまのあなたの立場では、自分の境遇から目を背けた落ちこぼれとしか思われませんよ」

 理事長は壇上から降りて、卒業生にマイクを渡した。

「この重大な任務を担うことになった新入生の皆さんに、あなたからお祝いの言葉をどうぞ」

 立ち往生している卒業生に、一同は注目した。決意したように、彼は語りだした。

「みなさん、入学おめでとうございます。みなさんは、この学校に、べつに入りたくもなかったと思います。滑り止めでしかたなく、という人ばかりでしょう」

 声が震えている。この人はいったいどういうつもりでやってきて、なんでいま、自分たちに向かって失礼なメッセージを話しているのか。

 もし自分がこんな立場に置かれてしまったら、最悪だ。

「この学校は、いま、偏差値も低い。そのくせ校則だけは厳しい。長髪も髪を染めることも禁止、スマホはそもそも所持してはいけない。そのくせこれから、伝統の寒中水泳だの、修学旅行だって自衛隊の特訓みたいな富士山登山、まるでいいことなんてありません。近所の女子校の生徒とちょっと外で話しているだけで、呼び出しをくらいます。こんなことを入ったばかりのみなさんにいうのもなんですが、むさくるしい男たちしかいない、救いようのない場所です。生徒たちは隠れて、世田谷刑務所と呼んでいます。脱獄もできません。みんながみんな、出所できるのを待ち望み、模範囚ぶって暮らしています。卒業したら、すぐにここにいたことも忘れてしまうことでしょう。でも、だからといって、自分の出身校がなくなってしまうのは悲しいものです。だから、みなさん、頑張ってください」

 男は深々と礼をした。マイクを戻すと、講堂から一目散に去っていった。

 逃げたようにしか見えなかった。

「なんだこりゃ」

 講堂にいた一年生たちはざわめくことしかできなかった。

 なにか成し遂げろ?

 俺たちが?

 頼むからへんな責任を負わせないでくれよ。

「さて、みなさん、卒業生の先輩も、みなさんの活躍を期待しているようですよ。頑張ってくださいね」

 いくら笑顔を浮かべても、嫌味にしか聞こえなかった。

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