あしたのために(その5)この世は不条理なことばかり

 二人が部室に忍びこむと、暗がりのなか、先客がいた。のっそりとソファーから巨大な物体が起き上がった。

「よっ!」

 OBの中平である。

「やっぱいた……」

 川地は呆れて目の前のだらしない中年男を見た。

「いちゃ悪いかね、我が思い出の場所に」

 だからって卒業生が気軽に居着いていいわけでもないだろう。

「まだ午前中ですけど」

 三十過ぎと推定される中平が、平日の午前、寝転がって漫画本を読んでいる。その状況が、まずおかしい。

「今日はなに読んでるの?」

 中平は川地に向かって手を出した。

 川地は黙ってポケットに入れてあった本を渡した。

「ふーん、ベケットか、なかなか渋いねえ」

 偉そうに表紙を眺めている。「カワちんは読書家だねえ」

 中平は本をすぐに返した。

「現実に興味がないんで」

「ええっ、アニメの続きも?」

 そこかよ。川地はため息をついた。

「どうも自分と世の中が隔てられているような気がしてならなくって」

 くたびれていたのだろう、素直な言葉がこぼれた。

「それ、美少女が言ったらさまになるけど、凡庸なDKがぬかしたところで、周りを恥ずかしくさせるだけだぞ。本を読むのはいいことだけど、たまには書を捨てて町に出ていきなさいよ」

「カワちんだって、渋谷とか行きますよ」

 沢本が得意げに言った。

「なにしに? パルコ? タワレコ?」

「月に一回、一緒にいろんな本屋さんをまわるもんね」

「うーん」

 中平が笑った。「いいけど、もっとこう、アグレッシブにさあ」

「疲れるだけでしょ」

 川地はむっつりとしたままだった。

 やる気のない男子高校生たちと、偉そうに説教を垂れる大人しかいない学校が、川地のすべてだった。

 偏差値は低いが、いちおう全員おとなしくしていたら推薦で大学に行かせてくれる、というのがウリなだけの学校だ。だから、いじめもない。みんな、他人に関心がない。退屈なのは、スマホを校内でいじれないからだけではない。

 全員、どこか、諦めているのだ。この学校に入ったが最後、卒業するまで冴えないまんま。もしかして、卒業してからもずっと。この目の前のキモオジみたいに。

「近所の女子校の女の子でもナンパしたら?」

 中平はいつだって適当な提案をする。

「カワちんは硬派だから、そういうのしないもん」

 沢本が言った。朝、川地が女の子を目で追っているのを知っているのだ。

「放課後、久しぶりに集会でもしようか。ゴドーはこなかった、もしかして永遠にこないかも、そもそもゴドーとはなんなのか? 泣きたくなるくらいにこの世は不条理だねえ。以上、さぼらず授業に行きなさい」

 中平は二人を手で追い払った。

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