第16話 ぼく

「まただ」

 僕がつぶやくと、布施さんも先生も顔を見合わせた。

「またとは?」

 僕は二人に目線を向ける。

「聞こえませんでしたか?」

 二人はまた顔を見合わせる。どうも聞こえていないらしい。

「『コナサセの唄』、聞こえませんでしたか?」

「『コナサセの唄』?」

 先生が僕の顔をまじまじと見つめる。

「聞こえなかったが……?」

 ここに来ていよいよ不安感が大きくなってきたので、僕は素直に話すことにした。勘違いかもしれない些細な問題ですけれど、と前置きをしてから。

「子供の死の前後にどこからともなく『コナサセの唄』が聞こえる」

 布施さんが表情を重くした。

「わたくしはそのようなものは一度も耳にしておりませんが……」

「俺もだ」先生が眉を寄せる。

「どんな声だ」

 僕は記憶を辿った。

「男性の声ではなさそうですが……いや、声の高い男性とも……」

 さっき聞こえた唄声も思い出す。しかし、ハッキリしない。

「うーん、女性と取れなくも……」

「子供の声」

 急に、布施さんが告げた。

「子供の声は、成熟状態によっては男とも女とも」

 ……確かにそうかもしれない。

「誰の声に似ているとか、ないのか」

 僕は思い返す。時曽根家の人間に似ている声は……少なくとも、ご家族の中にはいない、か? うーん、沙也加さんの声に似ているような? いや、楓花さん? いやいや、どれでもない。むしろ時曽根家の声でないことは確かな気さえする。

 僕がそのことを躊躇いながら口にすると、先生は頭の後ろをボリボリ掻いた。

「……その問題については今考えても答えは出なさそうだな」

 先生が唸る。

「とりあえず話を戻すぞ。今回も鍵がかかった部屋。マスターキーが使えるとはいえ……」

「とはいえ?」

 先程先生の発言を切ってしまったので、僕は半ば罪滅ぼし的に先を促す。先生は続けた。

「マスターキーにアプローチできる人間は当然ながら限られる。容疑者の範囲が広いようで狭いというか……中途半端な環境だよな。この密室そのものも中途半端だし。分からんことが多すぎる」

 そう、眉間を押さえた先生の姿を見て、僕は鼻から大きく息を吐いた。

「まぁ、分からないなら分からないなりに……」

 ポケットからメモ帳とペンを取り出した。かつて憧れの先輩からもらったウォーターマンのボールペン。

「まとめてみましょう。まず第一の事件」

〈静真くんの件〉そう、見出しをつける。

「疑問点は?」

「一にも二にも現場の状況だ」

 先生は僕の手元を……メモ帳を覗き込んだ。

「鍵は手に入らない状況だった。それなのに鍵のかかった地下室の……旧洗濯室の中に静真はいた」

 僕は先生の口にしたそれらをメモに書きながらつぶやいた。

「次にこれらの謎を構成する要素を書き出しましょう。『静真くんはどんな状態だったか?』

「ああ、そういや」

 俯くようにして考えていた先生が急に顔を上げた。

「静真の死体だけ妙にあれだったよなぁ……痛んでた」

「痛んでた?」

「他の子たちは単に首を捻られただけだったが、静真だけ全身に打ち身があった」

 ああ、そうだ。確かにそうだった。

「あれ、何かの手がかりなんじゃないか?」

 うーん。多分そうだ。大きな手がかりだ。だがどう使っていいか分からない。注記しておこう。記憶しておこう。

「旧洗濯室の鍵はずっと使用人の前川が持っていた。前川以外の人間に旧洗濯室にアクセスすることができる人間はいないが、その前川は同じ使用人の西田がアリバイを証明している」

「前川さんと西田さんが組んでるって線はないんですか」

 僕が訊ねると布施さんが応じた。

「前川西田の他にも、屋敷の中で宿直をやっていた人間はいます。定期的に連絡を取り合うようにしてありますので、これを誤魔化そうとするとなかなか手間かと……」

 なるほどな。

「つまり旧洗濯室は、誰にもアクセスされない場所だった」

 布施さんがゆっくり頷く。

「そう断定してもよろしいかと」

「飯田、お前推理作家だろ」

 唐突に先生が僕を詰めてくる。

「密室を作る方法論みたいなのないのか」

「ありますよ」

 即答する。

「有名どころを挙げるだけでもジョン・ディクスン・カーの『三つの棺』にあった『密室講義』がありますね。密室殺人のトリックについて分類している小論文で、ざっくり……」

 僕はメモをめくって簡単に内容を記す。

「まず『密室内に犯人はいなかった』パターン。例えば『外部から何らかの方法で被害者を死に追いやる』『室内にある装置で被害者を殺す』『他殺に見せかけた自殺』などなど。面白いのだと『様々な条件が重なって偶然殺人に見える状況が出来上がってしまった』とかがありますね」

 次に。僕は記す。

「『ドアが閉まっていたように見せかける』パターン。実際には密室じゃなかったという例ですね。例えば『鍵を開けるのではなく蝶番を取っ払いドアごと外して中に入った』とか『発見者がドアが閉まっているような演技をした』とか『実際に鍵は開いているのに閉まっているように見える何かがあった(室内外の気圧でドアが開きにくかったとか)』がありますね」

 先生は少し考えこむような顔になってから、僕に続けて訊いてきた。

「もっと分かりやすい分類はないのか? A or Bみたいな」

 僕はオーダーに応える。

「あります。まず密室の中に犯人が『いた』『いない』。次に密室の中に被害者が『いた』『いない』。江戸川乱歩の分類方法になりますけどね」

 まぁ、この分類は後に様々な方面からツッコミが入ったのだが、それはさておき。

「『密室の中にいた犯人が犯行後に何らかの方法で外に出た』か『密室の外から何らかの方法で犯人が被害者を死に追いやった』。これが『密室の中に犯人がいるorいない』ですね。次に、『部屋の中にいる被害者を何らかの方法で殺害した』か『部屋の外で殺した被害者を部屋の中に入れ施錠した』が『密室の中に被害者がいるorいない』ですね」

 先生は目を閉じて考えごとにふけっているようだった。やがて薄っすら目を開けると、色付き眼鏡の向こうから鋭い眼光を覗かせてつぶやいた。

「『密室の外から何らかの方法で被害者を死に追いやった』『部屋の中にいる被害者を何らかの方法で殺した』この二つ、同義だが今回は採択されにくい。静真は首を捻って殺された以外にも、全身を強打していた。殺す、殴打する、この二つを遠隔的に行うのは難しい。よって採択されにくいとする」

「なるほど」

「『密室の中にいた犯人が犯行後に何らかの方法で外に出た』と『部屋の外で殺した被害者を部屋の中に入れ施錠した』は検討の余地がある。まず前者だが、前川から鍵を何とかして盗み出せれば、そして元通りにできれば不可能ではない」

「確かに」僕は頷いた。それから続けて訊ねる。「それは可能そうですか?」

「私の知るところによれば……」

 布施さんが口を挟む。

「前川は確か、錠前の交換のために鍵を持ち帰っていたのだと思います。旧洗濯室含め古い設備の鍵を交換する案件が三カ月ほど前に持ち上がっておりまして、それに対応する人間として前川を当てました。隼峯村の高沢たかざわ錠前店に依頼したのですが、あそこの爺さんも大分歳をとっていて、多少知識を持つ前川が仕事の大部分を助ける代わりに修繕代を抑える話になっておりました。おそらくですが、前川の部屋にはこの屋敷の旧施設に使われていた鍵が山ほどあることでしょう。その中から旧洗濯室の鍵だけを、前川ではない人間が選び抜いて持ち出すというのはなかなか難しい問題かと……できたとしても高沢の爺さんくらいのもの、その爺さんがこの屋敷に易々入れるとは思えず……」

「なるほど。仮に前川さんの部屋に入れて、旧洗濯室の鍵にアプローチできる環境にあったとしてもすぐにそれを見つけ出すことは困難だという指摘ですね」

「はい。前川当人は先ほども言ったようなアリバイがありますし、『密室の中にいた犯人が犯行後に何らかの方法で外に出た』はよほど特殊な手段がない限りは不可能かと」

「よほど特殊な手段」

 時曽根先生がつぶやく。

「ピッキングは? 不可能じゃないだろ」

「いや……」

 僕はそれを否定した。

「旧洗濯室の捜索に当たり、僕は前川さんと思しき人が鍵の錆と鍵穴の錆を落とす現場を見ています。ピッキングしようにも、あんなボロボロになった鍵穴を引っかき回したんじゃどうあっても痕跡は残るし、実際錆は鍵穴から掻き出せる程度にはあったので、あの穴に何かを突っ込んだ可能性は低いです」

「……じゃあドアを開けるのは不可能なのか」

 やはり「密室の中にいた犯人が犯行後何らかの方法で外に出た」線は考えにくい。僕たちはそう結論付けた。

「じゃあ『部屋の外で殺した被害者を部屋の中に入れ施錠した』」

 先生は頭を掻く。

「これも駄目か。鍵穴の錆の問題で、『施錠した』が成立しないんだもんな」

「いえ、それはその『施錠した』が自動的に行われたと考えればいいと思います」

 僕が進言すると先生はまた頭を掻いた。

「となると『静真の死体を部屋の中に入れた』ことになるよな。でもあそこは地下室だ。ドア以外に出入口がない」

 その通りだった。僕は唸る。やはり難しい問題だ……難儀な問題だ。

「静真は保留する」

 ふと先生が重たい空気を取り払うようにつぶやいた。

「動真は?」

「屋根裏で見つかりましたね」

 布施さんが顎に手を当てた。

「屋根裏は、地下室と違って窓があります。そこからアプローチできませんか?」

「動真くんを、あるいは動真くんの死体を担いで窓から入る」

 僕はメモを取った。

「そういえば、屋根裏二号室でしたっけ、窓に鍵は?」

「かかっていました」布施さん。おそらく、あの後屋根裏二号を回って調べてくれたのだろう。

「となると完全に密室……」

「鍵も動真の手の中にあったしな」

「おまけにドアの外、廊下の埃を見る限り、部屋に人が近づいた痕跡さえない」

 窓も駄目、ドアも駄目。何なら入り口が多い分、旧洗濯室の密室よりもタチが悪い。

 そして、これは個人的にだが、いや、僕の主観的な懸念点で何か客観的欠陥というわけではないのだが、この密室何かが、妙に何かが、引っ掛かる。僕は少し考えた後、やがてそれに行きつく。

「……どうして鍵を部屋の中に、それも動真くんの手の中に入れたんだろう」

 僕の疑問に先生が答える。

「密室にしたかったからだろ」

 僕は反論する。

「ただ単に閉じた部屋を作りたいだけなら、鍵を隠せばいいんですよ。鍵を室内に入れる意味はない」

 僕は首を傾げてさらに考えた。そういえば、静真くん捜索時にはあったはずの屋根裏二号室の鍵が動真くん捜索時にはなくなっていたという問題もあった。あれについて検討した時は……。

 ――犯人はおそらく、死体の発見順をコントロールしたかった。

 そういう仮の結論に、至ったんだっけな。確か静真→動真→瑠香の順番で見つけてほしかったからではないか。そんなことを考えたんだ。

 静真→動真→瑠香の順にしたかったのは、おそらく遺産の相続権が瑠香→静真→動真→登也→千花で発生するからだ。瑠香ちゃんに、ひいては瑠香ちゃんの家族である利喜弥さんに容疑を向けたいから、瑠香ちゃんの利益に影響力の高い沙也加さんの家の子を殺した。静真動真問題について明確な答えは出なかったが、二人は双子、静真の死体を動真と言うことも、動真の死体を静真と言うこともできる。重要なのは容疑を明確に利喜弥さんの方に向けることだった。そうだ。そうだった。

 つまり時間稼ぎ。先に発見されてしまえばいい。でも待てよ? 先に普通に静真を殺して、それからまた普通に動真を殺すんじゃ駄目なのか? わざわざ死体を隠さなくても、ただ一人一人殺していけば容疑の順番は明白……と、思ったのだが、相手が子供だ。大人の目がある。これを掻い潜ろうと思ったら、隙を見てある程度の数をまとめて処理した方が確実だ。幸いにも、子供は大人と違って一人当たりの殺害コストも低い。静真、動真の二人がたまたま攻撃しやすかったのだろう。まず二人を処理した。しかし他の子供を殺すためにも発見のタイミングはなるべく遅らせなければならない。その離れ業を可能にするために、犯人は密室を選んだ。

 逆に言えば、どちらの密室もことが想定されていた。順番を明確にする意味があっただけだから、永久的に死体を隠したかったわけではない。これは何か、手がかりになるかもしれない。

 僕は手短に今考えたことを先生と布施さんの二人に説明した。すぐに二人は頷いた。

「どっちの密室も時間稼ぎっぽい、か……」

 先生が頭を掻く。それから唸る。

「ここに何かありそうだな……時間稼ぎ。何を延滞させたかったんだ?」

 しばらく、三人でうんうん唸る。が、変化はすぐに僕に出た。さっきアイスコーヒーを飲んだからだろう。トイレが近かった。

「すみません、お手洗いは……」

 僕が布施さんに訊ねると、彼は「部屋を出て左に進むと階段が見えてくると思いますので、その辺りに」と告げてきた。僕は失敬した。

 廊下の絨毯はやはりぐずぐずで、これを洗うのは大変だろうなと一人考えた。どうやって洗濯室に運ぶのだろう、と考え、すぐに思い当たる。ランドリーシューターがあるじゃないか。丸めてそこにぶち込めばいい。

 と、布施さんの言ったように階段が見えてきた頃だった。

 階段の手すりにもたれかかるようにして、一人の男の子が座り込んでいた。階段裏手にはいくつかの台車が、まるでスーパーのショッピングカートみたいに連なってしまわれていた……が、一台だけ少し離れたところに放置されていた。もしかしてこの子が? やんちゃだなぁ。まぁ、僕も子供の頃は……なんて色々なことを思ったが、状況が状況なので、僕は彼に注意した。

「こらこら。大人たちから離れてちゃ駄目だろう」

 すると少年は僕の方を見てポカンとした。それから、ニコッとまぶしい笑顔を向けてくる。

「ぼく?」

 そう、自分を指して、訊いてくる。僕は頷く。

「そう、君だよ」

「ぼく?」

 ふと僕は疑問に思った。

 この子、誰の子だ? 小綺麗じゃないからまぁ、時曽根家の子供かどうかはともかく、使用人の……。

 なんて、思った時だった。

 子供の服装を見る。

 浴衣……というか、甚兵衛というか、作務衣というか。

 子供用なのでサイズ感が狂っていて、いまいち判別しにくいがとにかく「和服」。和服と言えば、思い出す人が一人。

 ゑいかさん。

 この子がゑいかさんの子供、という線は考えにくい……だろう。見た感じ、この子は五歳くらい……大きくても七歳くらいだ。仮にゑいかさんの子供だとしたら、六十過ぎてからか、あるいは五十代後半の出産ということになってしまう。まぁ、不可能ではないのだろうが見込みは薄い。となるとお孫さんか? こんなかわいい子、宗一郎氏の臨終の場にいたか? なんて考えて、思い至る。そういやあの時、子供の頭の数は六つあったな。じゃあこの子も? 

 と、悶々としていると、子供がニコニコ、唄う。

「ひねりこ、ひねりこ、ひねりこやあ」

 その場に僕は凍り付く。

 これだ……僕はそう思った。

 ――どんな声だ。

 先生の問いが頭の中で蘇る。

 これだ。この子の声だ。さっきから僕が、聞いていたのは。

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