第4話 うすごろ
「グランデイビーハウスっていうのはこのお屋敷の名前なんですか?」
広くて長い廊下を歩きながら。僕は二人のどちらにともなく訊ねた。すると先生が答えた。
「ああ」
短い返事。だが僕はその先よりも屋敷の手入れに目が行った。すごい。足元の絨毯はふかふかで足が数センチ単位で沈み込む。壁に飾られた絵画はどれも一級品だろう。豪華な装飾がなされた額縁で飾られており、中身の絵画も刷毛使いや絵の具の混ざり具合、そういった画家の息遣いまで感じられるようで……気品と迫力に満ちていた。途中いくつかのポイントに花瓶が置いてあり、どれにも季節の花が……マリーゴールドか? が活けられている。少し歩くと右手側にガラス張りの部屋があった。中には旧式の電話。何だか古い公衆電話みたいだな。もしかして……と思っていると時曽根先生がつぶやく。
「電話室だ。見たことないだろ」
いや、大正時代の建物を再現した博物館でレプリカを見たことはあった。だが本物を目にしてみると……何だかかつての人の気配を感じられるようで、いい。
「グランデイビーハウス、な……」
先導するゑいかさんの後ろで時曽根先生は僕に耳打ちした。
「あんまりいい名前じゃねぇんだ」
「そうですか?」
僕は首を傾げた。何だか横浜の辺りに記念館としてありそうな名前だが……。
「忌まわしい名だ」
そうつぶやいた先生にゑいかさんが振り返った。
「飯田先生は、民俗学のお話を書かれていらっしゃいますね」
「ええ」
そう頷いた僕にゑいかさんは微笑んだ。
「このグランデイビーハウスの名の由来はもしかしたら小説の題材にぴったりかもしれません」
ゑいかさんはそう告げてからすすす、と再び歩き出す。
「そうなんですか?」
すると先生がつぶやいた。
「うすごろって知ってるか」
「うすごろ?」
「恵。その話をするに当たっては当家の成り立ちからお話した方がよろしいのではなくて?」
「……ああ、そうかもな」
すると先生はサングラスを外しハンカチで拭くと話し始めた。
「この時曽根家は代々この
「だった、ではありません」
ゑいかさんは静かに訂正した。
「わたくしも助産師でしたし、
「時曽根家の女は代々、十四歳から助産業に就くことになっていてな」
「はぁ、なるほど」
頷く僕に先生は続けた。
「男は医者になったり事業起こしたりまぁ色々やってたんだが、明治終盤の当主が副業で始めた造酒業で当ててな。莫大な財産が出来上がった。この屋敷はその当時の当主が買った」
「当時から『グランデイビーハウス』って名前だったんですか?」
僕が訊くと先生は口元を結んだ。
「ああ。この屋敷は明治初期の頃にこの地にやってきたイギリス人が建てたんだがな」
ふう、と息を吐く先生。
「まぁ、日本に来るだけあって物好きかつ金持ちなんだよ。そんなイギリス人家族の長男が、この村の娘に恋してな……時曽根ゐねっていう時曽根家の女だったんだが、この頃はまだグランデイビーハウスは建っていない」
……ここで「時曽根」が出てきたか。
「うちは当時から助産業の家系。村からの信頼も厚い。ゐねは早くに親を亡くしていたからその時既に時曽根家の女当主だった。そんな由緒正しき家系の長女ともあろうもんが、余所者の英国人に見初められたと来た。周囲は反対したんだがゐねの方もその英国人に恋をしてな。二人して駆け落ちして、しばらくはこの屋敷の西にある、
「……村で奇形が産まれるようになったそうでございます」
ゑいかさんが話を引き継いだ。この間僕たちは長い廊下をひたすらに歩く。
「これは当時からこの地方……岩手と限らず東北全域ですね、その地方一帯にある風習の一つなんでございますが」
ゑいかさんがまた一瞬こちらを振り返った。
「奇形児や未熟児は死産だったということにして産まれてすぐに殺してしまうのでございます。いえ、これ自体は日本の各地で見られる風習ではございますが、この東北では、そのひねる行為に臼を使います」
「臼……」
嫌な予感がした。
「奇形児は臼で潰します」
ゑいかさんがきっぱりとそう告げた。
「これを『うすごろ』と言うのです。臼で殺すからうすごろ。そしてこの風習が当時の英国人たちにはひどく残酷に映ったようでして。そんな残酷な行為をする家の女と、我が家の長男が駆け落ちとなっては……となったそうです」
まぁ、当時の英国人たちの気持ちも分からんでもない。
「一方、ゐねがいなくなってしまった村では奇形児が産まれるようになったわけでございましょう? 村の長も『時曽根家の女に反発したからか』と思うようになったそうです。当主のゐねがいなくなるとこのうすごろの作法を知る人間も少なく、悲しい結果に終わることも増えたのだとか。そこで村長とその周りの人間が話し合って、ゐねと英国人に帰ってきてもらうよう働いたのです。英国人側も息子が帰ってくるなら、と、村の人間と結託することにしたそうですが……やはり納得のいかないところもあったのでございましょう。当時建てたばかりのこの屋敷の名前を『グランデイビー』としました」
「グランデイビー……」
「『Grind』『Baby』……『挽き殺す』『赤ちゃん』でございます。うすごろは挽き殺すわけではないのですが、臼、からそう連想したのでしょうね」
なるほど。
「そんな名前を今も使われているんですね」
僕が率直な感想を口にすると、ゑいかさんは小さく微笑んで続けた。
「わたくしたちも誇りを持ってこの仕事をしている訳でございます」
それからゑいかさんは再び前を向くと僕たちの前を滑るように歩いた。
「助産の仕事の中でも特に良心と技巧が試される『うすごろ』が世界に認知された。これは嬉しいことでございましょう? 明治後期。持ち主だった英国人が帰国するに当たり空き家となったここを、当時の時曽根家当主
なるほど。仕事のプライド。まぁ、そういう捉え方もあるのか。
「俺はこの名が嫌いでな」
先生がつぶやくとゑいかさんが微笑んだ。
「恵は優しい子ですから」
と、僕たちの前に両開きのドアがひとつ現れた。不思議なもので、この道中には電話室を除く部屋は一つもなかった。こんなに長い廊下に部屋がほとんどない? 少し気になって、振り返る。結構な距離を歩いたと思っていたが、ざっくり百メートルもないくらいか……? 七、八十メートル? 長いと言えば長いが、これだけ大きなお屋敷の中の通路としては短いのかもしれない。
「大したお構いはできませんが、どうぞ客間でお茶でもなさってください。すぐにご用意させます。恵も一服ついて。まずはお酒を抜きなさい」
先生が口元に手をやった。するとゑいかさんが微笑んだ。
「あなた久しぶりにこの家に帰ってくるから緊張したんでしょう」
ゑいかさんはそう笑ってからドアを開けた。その向こうに広がっていた部屋に僕は驚嘆する。なるほど、ガラスで装飾されたシャンデリアに、細かい細工の彫られたキャビネット、それに丁寧にニスが塗られたローテーブル。英国風の調度品が並んだ中に、
僕はゑいかさんの慧眼をさすがだな、と思った。
先生の姉だけあって飲酒もその理由も、一発で見抜いてみせた。
するとゑいかさんが先生の耳元で何事か囁いた。僕に聞こえないよう配慮したような調子だったが、しかし僕の耳はしっかりと聞き取った。
「お父様ももう死ぬわ」
だから安心しろ、ということだろうか。
ゑいかさんのその言葉を受けて、先生は少し青ざめた……ように見えた。
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