第3話 グランデイビーハウス

 遠野駅から新花巻へ。そして新花巻駅から釜石線に乗り換えのんびり揺られる。車窓は相変わらず真っ白だった。その景色にもいくらか見飽きた頃に、半分死人みたいだった先生がつぶやく。

「俺の生家はな」

 僕は黙って先生の横顔を見た。

「グランデイビーハウスって言ってな」

「はい?」

 聞きなれない単語に僕は訊き返す。

「グランデイビーハウス」

「何ですかそれ」

「……まぁ、見りゃあ分かるさ。西洋館だ」

 先生の息は酒臭かった。あれだけ飲めば当たり前だが、何だかアルコールの腐敗臭に混ざって悲しい何かが漏れているような気がした。

 岩根橋という駅に着くと電車を降りた。無人駅。不思議とこの辺りに雪は降っていないらしく、山の地肌もひび割れたアスファルトもしっかり露出していた。しかし周囲に集落らしきものはない。トタン屋根の掘っ立て小屋や、野菜の無人販売所なんかはあるのだが、人の気配は皆無だ。隼峯はやみね村。どこにあるのか。

 トランクを抱えフラフラになった先生を支えていると、駅の外に黒塗りの車が停まっているのが見えた。先生がそれを顎でしゃくる。

「姉さんが車を手配してくれててな」

 どうやらそういうことらしい。

「あれに乗って行くぞ」

 僕たちが近づくと、車の中から白髪をオールバックにまとめた紳士が出てきた。恭しく、一礼してくる。

「恵様」

 そう挨拶してきた紳士に先生は手を挙げて返した。

「様付けはやめろ鉄ちゃん」

 鉄ちゃん。親しい仲なのだろうか。

「ガキの頃馬鹿をし合った仲じゃねぇか」

「ええ。ですが今は立場というものがあります」

「……時曽根家のいないところじゃ前みたいな鉄ちゃんでいてくれよ」

 紳士はしばらく黙った。が、すぐにこう答えた。

「お客様の前でもありますので」

 先生が軽い舌打ちのようなものをした。

「分かったよ」

 そうして僕たちは、荷物をトランクルームにしまうと車に乗り込んだ。運転が上手いのだろう。入り組んだ道を行くのに車はほとんど揺れなかった。



 グランデイビーハウス。

 先生の言っていた通りだった。

 まぁ、言っていた通りと言っても先生は「西洋館だ」ということしか言っていなかったので「まぁ、西洋館ですね」という程度のことなのだが、その大きさ。車が隼峯村に入ってすぐ、正面に見える丘の上に確認できたのだが、何だか役所か、あるいは村のモニュメントか何かだと見紛うばかりに大きかった。あれだけの大きさなら、図書館と体育館とプールとトレーニングジムと病院とそれと……というくらいに大きい。

 隼峯村自体もどこか変わっている。風車? 車輪の付いた立派な塔がそこかしこにある。土を作っているらしい乾いた水田の他に、種を蒔いたばかりの麦畑もある。比率は六対四くらいか。耕された田んぼの方が辛うじて多いかなという程度だ。茅葺の屋根と瓦屋根とがこれもまた六対四くらいの比率である(茅葺の方が多い)。モダンとクラシックが混ざっていて、何だかタイムスリップに片足突っ込みましたみたいな村だ。

 GoogleMapを見てみると、僕たちの車は村の南南東から入り込んだらしい。ここから村の中央、真北に向かって大通りが伸びていて、その両脇に入り組んだ小道が葉脈のように広がっている。村の西には早池峰山の裾野だろうか、少し標高の高い山が続いていて、どうもこれが花巻や盛岡の辺りから隼峯村を隔離する壁となっているらしい。村の北にはこれも早池峰山の裾野だろう小高い丘。そしてその上に先生の生家であるというグランデイビーハウスがある。何と、GoogleMapに名前付きでポイントされるくらいの規模感だ。個人宅にしては大きすぎるが……もしかしたら先生は、「時曽根」という少し特殊な名前に見られるように何か特別な一族なのかもしれない。そう言われてみれば黒塗りの車なんて普通の家庭の人間が乗れるものじゃない。鉄ちゃんとかいう運転手までついているくらいだし。

 車窓から村を観察する。風車などを除く、居住できそうな建物の数は……区画などから概算するに、ざっくり二百軒未満といったところか? 集合住宅らしきものもちらほらあるから人口自体はまぁまぁあるだろう。後で調べてみても面白いかもしれない。こうした村の基本情報などを調べたい時は役所の他、古くからある寺や神社などを当たるといい。寺子屋や地域祭などの都合上、かなり古い頃の村の人口がまとめられていたりするからだ。僕はGoogleMapでそれらを探した。西の山の麓、早矢はやや神社というものがあった。名前から何を祀っているか探ろうと思ったが、僕の浅い知識ではいまいち掴むことができなかった。

「変わらねぇな」

 僕の隣で時曽根先生が独り言ちる。運転席の鉄ちゃんが頷く。

「変わりませんよ」

「親父さんは元気か」

「昨年鬼籍に」

「……そうか」

 神妙な空気。何で僕までこんな重い空気を吸わされなきゃいけないのか分からない。

 不満に思っていると車はゆっくりと村の中央通りを抜けていった。再び窓から外を見る。中央通りはアスファルトで舗装されているし歩道もブロックが敷かれていて少しモダンな雰囲気はあったが……通り沿いの店の看板が軒並み古くて錆びている。何屋か判別するのも難しい、看板がある意味もなさそうな店ばかりだ。かろうじて店先に商品が並んでいる八百屋や、魚屋や肉屋らしきものは分かった。そしてこの手の店が未だに生き残っているということはスーパーやデパートといった大きな総合商業施設はないことがうかがえる。

 グランデイビーハウスに向かう道は徐々に傾斜がついていき、やはり目の前に聳える丘の標高が高いことが分かった。道がくねくねと折り曲がり、だんだん高度を増していく。ちょっとした登山なのでは? と思ったが、傾斜を上っていたのは比較的短い時間で、車はすぐに西洋館、グランデイビーハウスの目の前に停まった。

 ポーチには三人の女性が立っていた。二人は服装からして……女中だ。秋葉原のメイドカフェにいるような紛い物のメイドじゃない。質素かつ機能的な服装に身を包んだ本物のメイドだ。そしてそんな二人の女中の間に立っているのは着物を着た老婦人……おや、お尻の辺りに子供が一人、隠れていた。車による来客に緊張しているのか、老婦人の後ろに隠れたままほとんど姿が見えない。

 車が停まる。運転手の鉄ちゃんが口を開いた。

「さ、どうぞ」

 時曽根先生が唸る。

「ありがとうな」

 鉄ちゃんが荷物の取り出しまでやってくれる。しかしそれらの荷物は僕らの手に渡ることなく、忙しなく動き始めた女中たちが受け取った。その中央にすっと立ち尽くしていた老婦人が、先生の姿を見るなりああ、と口を開いた。

「恵や」

「やあ姉さん」

 先生は少し気まずそうにしていた。そして続けて訊ねる。

「元気だったかい、姉さん」

「ええ、もちろん! 私はいつでも元気です」

 老婦人は先生の両肩を手で包む。

「まぁ……会えて嬉しい」

 時曽根先生は俺もだよ、とお姉さんの肩に触れると振り返って僕を紹介した。

「こちら、飯田太朗さん。俺が高校で教えていた生徒で、小説家の……」

「飯田太朗先生でいらっしゃいますか?」

 老婦人が目を見張る。僕は照れ笑いを浮かべながら頭を下げる。

「飯田です。どうぞよろしくお願いします」

「でもどうしてこの方が?」

 きょとんとしたご婦人に時曽根先生が告げる。

「まぁ、ほら。姉さんこの間手紙でこいつの作品読んだようなこと言ってただろ? 姉さんに取り入れば俺も少しはこの家にいやすくなるかって……」

「まぁまぁそんなことしなくても私は歓迎しますよ」

 夫人は破顔しながら先生の肩を叩いた。それから僕の方に向き直る。

「あら、申し遅れました。わたくし時曽根ゑいかと申します。恵の姉です」

 ゑいかさんは丁寧に一礼すると僕の手をとった。

「私、先生の大フアンで……」

 あの、サインなどいただいてもよろしいでしょうか……そう、しおらしく訊いてくるお姉さんに僕はにこやかに「もちろんですよ」と応じた。ゑいかさんは「まぁ」とため息をつくと先生の肩を叩いた。

「あなた、立派に仕事してるのね」

 先生は笑った。

「頑張ってるよ」

「先生はとてもいい教師でして……」

 僕は先生のことを少し持ち上げることにした。

「いつも僕をいい方向に導いてくれるのです」

「まぁ……恵ったら……」

 ゑいかさんは再び先生の肩に手を置いた。

「立派になりましたね」

 すると女中の一人がゑいかさんに声をかけてきた。

「奥様。お荷物を、先にお運びいたします」

「あら、よろしく頼むわね」

 さぁさ、お二人は。

 そう、ゑいかさんが僕たちを屋敷の中へと通す。

 巨大な玄関扉。運転手をしていた鉄ちゃんがそっとノブに手を置き、押し開ける。

 ギイイ、という鈍い音。それに交じって先生の声が聞こえる。

「俺、この音苦手だったな……」

 それは寂しいような、懐かしむような、不思議な響きの声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る