第2話 隼峯村

 これは先生のお父上のお見舞いに行くのと同時に、僕の取材旅行でもある。岩手県に縁のある人間なんて周りにいないのだから、これを好機として利用しない手はない。まぁ、取材自体はいつでも行けるっちゃ行けるのだが、地元の人間に気軽に話が聞けるかとなると違う。取材は相手ありき。相手の時間を奪ってしまうものである。全くの他人に自分の時間を捧げる人間なんて稀有だし、僕もそのことは分かるからどうにも遠慮してしまう。その点、知人の紹介ならその時間の強奪も紳士的で丁寧なものになる。僕も相手も、ストレスフリーだ。

 僕はまず、とある出版社で僕の担当をしてくれている女性編集者の与謝野くんに連絡をとった。それから日本各地古今東西様々な座敷童に関する情報を徹底的に集めてもらった。予習のためである。前提知識があるのとないのとでは取材のスムーズさも違う。これもやはり、ストレスフリーだ。

 時曽根先生から依頼を受けた翌日。与謝野くんは早速トランクケース一つ分くらいの資料を持ってきてくれた。二人でそれらを解体しながら調査を進める。

 この日、与謝野くんは重い荷物を運ぶのには不向きそうな黒のマーメイドスカートだったが……まぁ、何とかやってきたようだ。彼女は僕の書斎で長い脚を組みかえながら資料を読んでいた。まったく、見た目だけならモデル級なのだが……なんて言葉は、差別や偏見に繋がるのか。見た目への言及なんて逆ベクトルなら、つまり女性から男性への評価としてはさして珍しいものではないのだがな。塩顔イケメンだの何だのと。でも逆はハラスメントらしい。この辺りのアンバランスさは言葉を生業とする人間としては気になる。

「座敷童、見た目は結構バラけるんですねー。男の子だったり女の子だったり、ざんぎりだったりおかっぱだったり、三歳くらいだったり十五歳くらいだったり」

 僕の淹れたルイボスティーを飲む与謝野くん。完全に寛いでいる。

「あっ、この早池峰はやちね神社って今度先生が行くところの近くじゃないですか?」

「どれどれ」

 僕は与謝野くんが広げた資料に目をやる。曰く。


 ――岩手の各地にいる座敷童の中でも、この早池峰神社に住む座敷童は遠方からお参りに来た人物について行き、各地へと散らばったとされております……一緒に岩手県の民謡を携えて。こうして日本各地に岩手の民謡が伝わり――


「なるほどな。座敷童という言葉に普遍性……地理的な偏りを感じないのは、柳田國男の実力こそあれ、こうした理由も考えられるのか。旅人に岩手の民謡と、座敷童の物語とをお土産に持たせていけば、自然と……」

「似たような妖怪が各地にいるのかもしれませんね!」

 調べてみるとその通りだった。愛知県の座敷坊主、徳島のアカシャグマ、山梨県のお倉坊主、香川県のオショボ、他にも北海道アイヌカイセイや沖縄のアカガンターなどなど、座敷童をルーツに持つもしくは座敷童と似たような行動を取る妖怪は多々いるらしい。いずれも早池峰神社から各地に渡ったとしたら……などということを考えると感慨深い。

「しかし、こういうのには何かしらの起源がありそうだが……」

 例えば、北欧の話になるが冬の妖精であるニッセンやトントゥは極夜と呼ばれる一日中太陽が上らない現象(いわゆる白夜の反対現象)をルーツに持つのではないかと言われている。もっと分かりやすいところで言うと川の水難事故が河童のルーツだったなどといった説が挙がるが、僕たちが研究している座敷童にも何か、その起源たる行為や現象があるのではないか。

 僕と与謝野くんは資料を片っ端から当たっていった。だが、結果は芳しくなかった。

「うーん。障害児を座敷に匿っていた→座敷に人を匿えるのは豊かな証→結果その家は栄えて見える。なーんてのは見つけましたけどねぇ」

「起源かと言われると微妙なところだな……」

「メジャーな妖怪なのに謎が多いんですねぇ」

「だから面白い」

 僕は資料から顔を上げた。

「だから日本は、面白いんだ」



「おう。よろしく」

 土曜日、朝の東京駅。僕は革のトランクに荷物を目一杯詰めて待ち合わせ場所に向かった。僕は若干潔癖の嫌いがあるので、着替えが何着も必要、そして執筆に使うパソコンやメモ、ノート、資料やら何やらをまとめると通常のスーツケースでは収まらなくなり……仕方なく、祖父から引き継いでいるこの革の大型トランクに全てを詰め込んだ、という次第だ。タイヤがなく転がすことができないのでなかなか運搬に難儀したが、慣れてしまえば何となく旅行の風情があって楽しい。

 そんな僕のトランクを見て先生がつぶやく。

「随分大荷物だな」

「作家先生は持ち物も多くて」

 時曽根先生は軽く笑った。

「よろしく頼むぜ。『先生』」

「分かりました。先生」

 東京駅から新花巻を目指す。新幹線のシートに腰を下ろすのはいつぶりだろうか。もしかしたら大学四年の終わりに免許合宿をしに山形県に行ったのが最後かもしれない。社会人になってからの移動は基本的に飛行機だったしな……思えば飛行機でも在来線でもやりにくい中距離の移動というものをあまりしていない。まずい。民俗学の話を飯のタネにする人間として、地理的な偏りはネタ集めの偏りに繋がる。

 と、うんうん考えている僕の隣で先生がビールを開けた。お前は飲まないのかと言われたが僕は道中も仕事をするつもりなのでと断った。いや、僕は執筆に特にルールを設けないクチなので飲酒運転もするといえばするのだが、しかし他人の目があるとどうにも後ろめたい。そして後ろめたい飲酒は面白くない。

 いくつかのトンネルを超えると、もう雪国だった。線路の脇に雪が積まれ、その先の景色も真っ白、気のせいか空さえも白鈍色に濁っているように見える。僕はつぶやいた。

「真っ白ですね……」

 すると先生が返した。

「どこが。雪って汚いぜ」

 雪国の人たちからしたら、僕のような凡人には美しく見えるそれも、そうなのかもしれない。

 先生は二缶目のビールを開けた。この頃から若干不安になる。しかし先生も大人だ。まさか道中でつぶれることはないだろう。そう、信じることにした。まぁ酒を前にした男ほど信用できない生き物もいないが、先生もいい歳だ。そんなに量は飲めないし、飲まないだろう。

 つまみのスルメイカの匂いをどこかで感じながらタブレットPCに文字を打ち込んでいく。ふとこの旅に出る前に与謝野くんにかけられた言葉が頭をよぎる。

 ――先生、もし座敷童に会えたら、一言伝えてくださいね。

 ――なんて?

 ――あなたは寂しくないの? って。

 時々、与謝野くんは意図が読めない発言をする。


 新花巻に着いた頃には先生はもうすっかり出来上がっていた。席を立つ時に缶の数を数えてみる。一、二、三、四……。

「五本も飲んだんですか」

 ついつい非難するような口調になってしまう。っていうかいったいどこからこんな数の缶を……。

「飲みすぎですよ」

「いや、わりぃ」

 先生は鳩尾の辺りをとんとんと叩いた。胸やけがしているのだろう。

「だがもう一缶あってな」

 なんて、350ml缶がもう一つ出てくる。

「飲みすぎですよ」

「わりぃわりぃ」

 そんなわけで大量の缶を駅のゴミ箱に捨てる。からんからんと音だけは景気が良かった。

 そのまま乗り換えをして遠野駅を目指した。道中、先生はまた酒を飲んだ。さっきの缶だ。

「どうしちゃったんですか」

 僕が訊くと先生は俯きながら答えた。

「どうもしちゃいねぇさ」

 どうだか。しかし僕は構わず原稿を書いた。時々心配になり横に目をやると、最後の一缶を飲み終えた先生は目を瞑って俯いていた。

 そういうわけで遠野駅に着くころには先生はもう舟を漕いでいるような状態で、僕は自分の荷物と先生と先生の荷物とを半ば担ぐようにして列車から降りた。これだけでえらい重労働で、僕はもう帰りたくなった。だが、そうまでして降り立った駅は爽快だった。

 空気が、鋭い。

 息を吸うと鼻孔や肺がチクチクする。冷たい空気、澄んだ空気。気のせいか目も乾いているような気がする。だからだろうか、涙が出た。欠伸をした、なんて言い訳では説明がつかないくらいの量が、出た。

 時曽根先生は外の空気を吸っていくらか気を取り直したのか、すっと背筋を伸ばした。

「着いたか」

「ええとっくに」

「ここからまた乗り換えだ」

 と、ふらつく先生。僕は肩を支える。

「大丈夫ですか」

「ああ、すまん」

 そこで僕は、ようやく気付いた。

 先生、緊張……というか、動揺しているんだ。

 それもそうか。勘当された家族に……折り合いの悪かった父親の死に目に会いに行こうとしているのだ。父子関係は影響が強い。ましてや息子にとっては。僕も思い返す。僕と父の、歪でだが健全な、親子関係。父は息子に期待し、息子はそれに応えようとして、時に失敗する。僕も先生も失敗した人間なのだろう。

「大丈夫ですから」

 僕は先生を背負い直す。

「きっと、大丈夫」

 その言葉は僕自身にかけている言葉のようにも、感じられた。

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