第14話 座敷童

 二杯目のココアもやはり骨身に応えた。自分が芯まで冷え切っていたことを実感する。ほうと一息つくと白い息が漏れた。マグカップで掌と指先を温めようと思ったが、温度差で却って火傷しそうだった。僕はカップの側面でチリチリ痛む指先を躍らせると、そのままずるずるココアを啜った。カカオの香りが濃く、部屋中甘い匂いに包まれた。

 ココアは登也くんと千花ちゃんにも配られた。二人とも美味そうに飲んでいる。楓花さんも不安げな顔をしながらも口をつけていた。束の間の、休息だった。

 ゑいかさんの宣言通り、これからこの屋敷の機能は一時的に停止する。一時間半の休息は屋敷の主従関係なく力を取り戻させてくれるだろう。僕も一息つくことにした。ただ柊木医師だけはどうにも、落ち着かないようだった。

「遺体はどうしましょうか」

 そう、ゑいかさんに訊いている。

「客室の二十号室が使われていなかったと思います。ベッドもそれなりの広さが。あの子たちも、最後におっきな布団にくるまれたら幸せでしょう」

 ゑいかさんがテキパキ指示を出す。

「使用人の斎藤と竹本に手伝わせます。二人とも」

 ゑいかさんが使用人たちに休憩前の最後の指示を出しているところを尻目に、僕は静かに一人部屋を出た。ベッドで一休みしたかったが、客室のフロアにいるのは僕と子供の死体だけ。何とも居心地が悪そうだったので、応接間の……僕と先生がこの屋敷に来て最初に寛いだあの部屋の、ソファを借りようと思った。しかし冷たい廊下を歩いていると、いきなり先生が僕の隣につけてきた。

「どこいく」

 短く訊いてきたので短く答える。

「応接間へ」

「あんなところ行ってどうする」

「客室のフロアは僕と死体だけでしょう」

 そうこぼすと僕の意図が伝わったのか先生は「それもそうだな……」と俯いた。それから、僕にこう続けた。

「あれなら俺の部屋に来い。俺の部屋って言ってもかれこれ三十年くらい使われていなかったから半分物置みたいな部屋だが、そのおかげもあって立派なソファがひとつ置き去りにされているからそこで休むといい」

 僕はちょっと考えると、先生に向かって素直に頷いた。

「では」

 僕は先生について屋敷の三階へ向かった。



「密室だったな」

 廊下を歩きながら。

 僕の先を歩く先生が低い声で唸ってきた。僕は首を傾げた。

「客室用談話室、鍵がかかっていたのですか?」

 すると先生は首を横に振った。

「瑠香じゃない。動真だ」

 ああ。僕は納得がいった。

「屋根裏部屋、鍵がかかっていた上に、鍵そのものも部屋の中にあった」

 なるほど、確かに。

 動真くんが見つかった屋根裏部屋も、ドアに鍵がかかっていた。窓はどうか知らないが……しかしまぁ、四階だ。出られたところで、あるいは入るにしても、かなりの苦労がいる。おまけに鍵も部屋の中に……動真くんの手の中にあったとなってはいよいよ「外部からの接触不可」である。密室と取れるだろう。

 先生はまた唸るように俯いた。

「全く分からん。あの部屋、別にオートロックとかそういうんじゃないんだけどな。どうやって鍵をかけた後に鍵を中に、それも動真の手の中に入れたのか……」

 それは難題だった。僕は鼻から息を吐くと押し黙った。少しの間、でもじっくり考えて、それから一呼吸置き、分かっていることだけを述べることにした。

「まぁしかし、動真くんがあの部屋に鍵を持ったまま行って、そこで事故死した訳じゃないことは確かですよ」

 僕はそう断言した。すると先生は首を傾げた。

「どうして?」

 僕は返した。

「廊下です。階段もだな。埃が積もっていました。僕たちの足跡が残るくらいね。僕たちがあのフロアへの久しぶりの来訪者だったみたいですよ。他に足跡がなかった。つまり……」

「動真があの部屋に入った痕跡さえないってことか」

 訳が分からん、と先生は頭を抱えた。

「動真は足跡もなくあの部屋に入って、鍵を手に持ったまま殺されたってことになるわけだな?」

「客観的事実のみを述べるならそうなります」

「はぁ……」

 困り果てる先生。

 しかし僕は現在進行形で僕の頭を悩ませている問題について話した。

「謎はまだあります。地下室の捜索を……最初に死んだ静真くんの捜索をする過程で、屋敷の鍵束は一旦全部洗われているんですよ」

 先生は先を歩きながら黙って聞いていた。

「静真くん捜索の時点で、鍵束を調べて足りない一本があれば『そこに静真くんがいるんじゃないか?』となるはずなんです。ところが屋根裏二号ではなく地下室の鍵に捜査が及んだ。この時点で鍵束に明確な異変はなかったんです。ただ『地下室だけ探していない』ということだけを根拠に地下の捜索が行われた。鍵束を見て足りない一本があればそこに及ぶはずなのに、二人目の動真くん捜索の時になって初めて、布施さんが鍵束を見て『屋根裏の鍵が足りない』となった。本来ならその現象は静真くんの時に起こるはずなんです。なのに動真くんの時にのみ起こった。それはつまりということを示しますよね」

 先生が黙っていた。それは肯定の意味だと僕は捉えた。

「誰かが静真くん捜索と動真くん発見の間で鍵を盗んでいるんです。その理由について考えてみたんですけどね……」

 僕は空唾を飲み込んだ。

「まぁ、普通に考えれば動真くんの死体をどうにかしたくて鍵を盗んだ。そう考えるのが自然でしょう」

「ああ」

 先生が頷いた。

「続けて」

「ただ僕は、『動真くんの死体を屋根裏に入れて隠したかったから鍵を盗んだ』とは思えなくて」

「どうしてだ」

「動真くんの死体を隠したいだけなら、鍵を鍵束に戻した方が利口なんですよ。だってその方が。屋敷中の部屋を調べよう、となるとまず手が及ぶのは鍵です。その鍵を調べた段階で異常が検知されたらその鍵のない部屋に人の手が及ぶのは自明すぎる。シンプルに死体を隠したいだけなら鍵を元に戻す方が賢いんです。でも犯人はそれをしなかった。つまり……」

 僕は喉の奥が乾燥したのでまた唾を飲んだ。

 すると先生が首を傾げた。

「同義じゃないか?」

「いえ、違います。前者は恒久的に死体に触れられないようにすることを目指しますが、後者は恒久的か否かはさておき触れられないようにすることを目指している」

 先生がまた首を傾げた。

「言っていることが分からんのだが……」

「犯人はおそらく、死体の発見を遅らせたかった、あるいはその順番をコントロールしたかったんです」

 僕の言葉に、今度こそ先生の目が見開かれる。

「おそらく『静真くんより後』に動真くんの死体を発見してほしかったのでしょうね。静真くん捜索の時点であった鍵がその後昼食時になくなっているのですから、犯人はそこの順番に意図を挟んだ。だから静真くんの時にあったものが動真くんの時になかった」

「……そんなことをする理由は?」

 未だ納得しかねる、という顔の時曽根先生に僕は進言した。

「僕もよく分かりません。ただ、遺産の相続順を考慮するに……」

 先生の顔が凍った。

「瑠香、静真、動真、登也、千花、の順番ですね。それぞれ全体の二割ずつ」

「ああ」先生が唸った。「ああ」

「今、死んでいるのは瑠香、静真、動真、です」

「ああ」先生が三度唸った。

「最初に瑠香ちゃんが死んだ場合を考えてみましょう。遺産相続順第一位が死んだ。こうなると、明らかに遺産目当ての殺人だと分かりますね。そしてその容疑者は……」

「沙也加の家族が第一容疑者だな。だが楓花の家族も容疑から外れない」

「はい。容疑の範囲が広い」

「広いっつっても大した範囲じゃ……」

「静真くんが最初に殺された場合を考えてください」

 僕の言葉に、時曽根先生はまたも考え込んだ。

「容疑者は瑠香ちゃんの家族だけになりませんか? 孫の中の誰かが相続権を放棄または喪失した場合、浮いた遺産は瑠香、静真、動真、登也、千花の順で相続権を有します。つまり、静真くんが遺産を受け取れなくなった場合、その遺産は一度瑠香ちゃんの手に流れる。瑠香ちゃんの家族……利喜弥さんの家族の動機が明確になる」

「……何が言いたい」

 先生は疲れているのか、いよいよ頭が痛くなってきたようだ。

「容疑者を絞れる、ということは、容疑の矛先を明確にそちらに持っていけるということです」

「……犯人自身から逸らせるということか」

 先生の、重たいため息。

「でもその仮説……犯人が容疑の矛先を利喜弥たちに向けたかったという説は利喜弥の家族が静真を殺したわけではないという前提の上でのものだよな」

「ええ。静真くんと動真くんが死んだだけの頃は利喜弥さんたちへの容疑が濃かったのですが、ここに来て瑠香ちゃんが死んだ。捜査としては振り出しに戻った……いえ、楓花さんの家族は怪しくなりますが、決定的な証拠はない」

「動真より先に静真を殺した理由は」

 先生の問いに僕は答えた。

「いえ、そこまでは。ただ正直、相続権第二位と第三位を持つ沙也加さんの家の中で死人を出すことが重要だったと思うので、静真動真問題は些末だと思うんですよね。容疑を利喜弥さんの家族に明確に向けさせることで目くらましを目論んだと思うので」

「……まぁ、双子だし、最悪どっちがどっちの死体かなんてのは誤魔化せそうだしな。行動や態度のような中身がなくなっちゃ、外見だけで二人を判別するのは難しい。動真の死体指して『これは静真です』は通用するしな」

 先生はまたため息をついた。

「嫌な家族だ」

 僕も俯く。まぁ、こうなった以上は犯人は時曽根家にいることは間違いないし、どうあっても家族に嫌悪感を向けざるを得ない。ましてや先生は一度反発して家を出ているのだ。そもそも論、先生は家族に対してあまりいい思い出がないのだろう。

「瑠香ちゃん発見についてですが……」

 僕は話を続ける。

「僕たちが談話室を使った時点では当然そんなのは……」

「ない」先生が断言する。

「どこかに隠してあった、とかもないはずだ。まぁ、厳密に確認した訳じゃねぇが、俺みたいな家の人間が見て不自然に思わない程度には整った環境だった」

「となると僕たちが出た後に誰かがあの部屋に置いていったことになりますよね」

「ああ」

「誰かが運んだことになります」

「ああ」

「目的は?」

 先生は黙った。だから僕は、客室用談話室という手掛かりから攻めることにした。

「客室用談話室の特徴は何かありますか?」

「バーカウンター」

「他には?」

「暖炉がでかくて暖か過ぎる」

「他には?」

「窓から中庭が見えることとかか?」

 ふむ。なるほど。

「お前一人で分かったような顔になんなよ」

 僕は笑った。「失敬」

 しばらく歩く。すると、先生があるドアの前で立ち止まった。どうも、ここが、先生の部屋らしい。

 先生が鍵穴に鍵を挿す。ゆっくりと、木製のドアが開く。

「入れよ」

 中にはちょっとした廊下が一つ、部屋が二つ。

 六畳くらいの広さの部屋の真ん中に、テーブルと椅子が二脚。その脇に古びたソファが一つ。部屋の奥にはドアがあり、どうもそこは寝室か何かのようだ。

「座れ」

 テーブルを指してくるので僕はお言葉に甘える。

「冷蔵庫しかねぇからアイスコーヒー以外ない」

「分かりました」

 先生が手早くコーヒーを淹れてくれる。テーブルに並んだそれを、僕は飲んだ。さっきまで冷え切っていたが、温かい部屋の中で飲む冷たいものもまた乙である。

 少し黙っていると、先生がおもむろに口を開いた。

「お前、俺の依頼を引き受けた理由は何だ」

 僕はグラスから目線を上げると先生を見た。鋭い質問だ。

「俺の顔を立てた以外にもあんだろ」

「取材ですよ」

 僕は静かに告げた。

「今度座敷童について小説で取り扱うんです。遠野は座敷童の聖地でしょ」

 すると先生はまた忌々しそうな……砂利でも噛んだような顔になった。僕は先生の顔色の変化を咎めるように訊ねた。

「座敷童は幸福の象徴でしょうに」

 先生はしかし「お前民俗学の話書くならもっと勉強しないと駄目だぞ」と低い声でつぶやいた。僕は帽子を脱ぐことにした。

「座敷童について、知識がおありなんですね?」

 先生はつまらなそうな顔をした。だが僕も、仕事だ。

「教えていただけませんか? そういう生の情報、欲しいんですよ」

 先生が胸ポケットを漁り始めた。「吸うぞ」そう、宣言してくる。

 やがて先生が煙草に火をつけた頃になって……そして僕がコーヒーを半分ほど飲んだ頃になって、話は始まった。

「うすごろの話はしたな」

 未熟児や障害児を、産まれた瞬間に死産として殺してしまう間引き行為。岩手ではこの行為に臼を用いたため、うすごろ。

「座敷童の母体というか……『家』に出てくる『子供』の妖怪のルーツはそのうすごろにあるんだ。臼なんて昔は土間にあるものだったからな。あるいはうすごろで殺した赤子は墓じゃなく土間に埋めたりしていた。座敷童のルーツにある怪異は『土間でそこにいないはずの子供の声がする』っていうものだ」

 なるほど。家によって葬られた……あるいは埋められた子供の、魂の発現。

八戸はちのへ市の近くにある二戸にのへ市じゃあ、かつて家を建てる時にそれまで間引かれた子供たちを供養するための小部屋を作ったりしたそうだ。これも座敷童のルーツだな。ちなみにこの風習は隼峯村でもあったような話は聞いたことがある。見たことはねぇけどな」

 要するに、と先生は続けた。

「座敷童ってのは、親や家、あるいはその集合体である村の都合で殺された、大人の勝手で悲しい目に遭わされた子供たちへの、罪滅ぼしというか悔恨の念とか、そういうのが関与している妖怪なんだよ。俺はそう捉えている」

 親や家の都合で悲しい目に遭わされた。

 まさに今、時曽根家を襲っている事態そのものだ。

 となると、瑠香ちゃんも、静真くんも、動真くんも、いずれは座敷童になって、この屋敷に棲み付くのだろうか。

 いや、あるいはもう、既に……。

 僕は今朝方この家を襲った混乱を思い出す。

 あれはもしや……。

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