第11話 失踪

 時曽根先生による地下室ツアーが終わって僕たちは、ゆっくりと地上階に戻ってきた。静真くん捜索の時に通ったはずの階段は、先生と二人で歩くと妙に広く感じられて、その空白が却って胸の内の何かをくようで、薄ら寒かった。

 地下室の探索自体は二十分にも満たない短いものだったが、その間に地上は大騒ぎになっていたようだった。地下からの階段を上り切って周囲を見渡すと、またしても女中や下男が駆けずり回っている。先生が一人を掴まえ、訊ねた。

「おいどうした」

 すると掴まえられた女中が答えた。

「瑠香様と動真様が……」

 背中に垂らした黒髪が綺麗なその女中さんの、消え入るような訴えを聞いた僕と先生は、険しい顔を見合わせた。それから覚悟を決めると、先生は女中さんに「ありがとう」と言い残し、足早に動き出した。僕はそんな先生の背中を追うように駆け出した。僕は行き先を知らなかったが、しかし先生についていけばいい気がした。それに、行くべきところは僕も分かっていた。時曽根家の一族が集まるところに行けばいい。そこできっと……事件は起こっている。そうに違いない。



 先生は上階を目指して階段を上り続けた。そうしてやってきた三階の、階段出てすぐにある部屋に静かに入っていったので、僕も後に続いた。そこは二十畳くらいの広い部屋だった。室内中央には泣き崩れる沙也加さんと……利喜弥さんの奥さん、里佳子さんとがいた。二人とも膝から崩壊したようにしてしゃがみ込んでおり、嗚咽を漏らしながら、顔をぐちゃぐちゃにして、泣いていた。僕は先生の後ろからその様子を見ていた。

「恵」

 部屋の隅に、ゑいかさんがいた。彼女は僕の方も見た。

「飯田先生まで」

「姉さん」

 時曽根先生が訊ねる。

「何があったんだい」

「瑠香が……」

 そう口を開いたのは利喜弥さんだった。青髭の男は顔を苦悶に歪めながらこう告げた。

「瑠香がいなくなった。それに……」

「動真……」

 続いてそう叫んだのは沙也加さんだった。静真くんに続く二撃目のショックに、彼女はもういよいよ、立っていることができないようだった。

 前例として、静真くんのことがある。彼は命を刈り取られた。

 だからだろう、瑠香ちゃんと動真くんの身に何かがあったであろうことは、容易に想像できた。その悍ましくおそろしい想像が大人たちの心臓を蝕んで、腐敗した毒の血を体に流していた。僕も毒気に当てられて不安な気持ちになった。僕は先生の背中を見つめた。

「いつからいない?」

 先生の問いにゑいかさんが答えた。

「今朝、静真を探しに行っていた段階ではみんないたのよ」

 ゑいかさんも心配そうな顔をしている。その言葉の先を、楓花さんが拾った。

「それがついさっき、昼食のためにテーブルメイクをする時に、子供たちの配置を考えようとみんなを呼んだの。子供たちに好きな場所に座ってもらおうと……」

「私が子供部屋に迎え行った時点では四人みんないたの」

 ゑいかさんが声を震わせつぶやく。それに続いて利喜弥さんが再び青髭を歪めた。

「だが食堂に行く途中の階段で数えたら三人になっていたらしい……これはゑいか姉さんが気づいた。子供部屋に置いてきたか、と思い姉さんが引き返したが部屋には誰もいない。数え間違えたか、と姉さんが食堂に行くと、そこではもう、子供が二人になっていて、我々が『子供が二人いなくなった』ことについて揉めていて……」

「まず、誰がいなくなった?」

 先生の問いに、しかし大人たちは首を傾げた。

 すると沙也加さんが涙ながらに口を開いた。

「私……私、動真の安全を確認しなかった……」

 それは母としての悔恨だった。

「静真があんなことになったのに、まず一番に気にかけるべきは動真だったのに、静真がいなくなったショックで何も分からなくなって、だから……」

 それから沙也加さんは不意に立ち上がると傍にいた楓花さんに掴みかかった。

「あんた……あんたがさらったんでしょ! 静真を殺して動真まで……そうすりゃ遺産の相続権は流れるもんね!」

「やめろ沙也加」

 そうして仲裁に入った利喜弥さんを、沙也加さんはやはり突き飛ばした。

「相続順的には兄さんの方が怪しいわよね! 静真と動真がいなくなればまず瑠香に……」

「その瑠香がいなくて今困ってるんだろだが!」

 利喜弥さんが怒鳴り散らした。

「お前こそ、瑠香を攫ったんじゃないか。瑠香がいなくなれば動真に遺産が流れるもんな。静真の分も含めて!」

「ちょっと兄さん、姉さん……」

 楓花さんもおろおろと止めに入る。しかし。

「兄さん……静真も動真も瑠香もいないのよ。今一番得してるのこいつじゃない」

 沙也加さんが楓花さんを示す。

「やっぱりこいつよ! おいっ、動真をどこに……」

「沙也加」

 沙也加さんの夫、一照かずてるさんが彼女の肩を抱いた。

「落ち着いて。兄妹で憎しみあっても仕方ないよ。大丈夫。見つかるさ。この広いお屋敷だ。きっとどこかでいたずらをしているんだ」

「まず動真がいなくなったんだな?」

 先生が念を押すと、しかしゑいかさんが応じた。

「階段で一人足りないことに気づいた時、誰がいなくなっているのか確認しなかったの。頭の数しか数えなかったから……だから、誰が最初にいなくなったのか分からないわ」

「誰が消えたかも分からないのか……」

 先生が途方に暮れたようにつぶやくと、いきなり横から入ってくる使用人がいた。

「恵様。それに関しては私が……」

布施ふせ

 布施と呼ばれたその男は、下男の中でも一際綺麗な格好をした男だった。使用人の中でも位が高いことがうかがえる。執事か? 

「今朝方、静真様の捜索時には動真様はいらっしゃいました。子供部屋の見張り担当をしていた使用人、根岸がそう証言しております」

 根岸、と呼ばれた女中が一人、前に出た。すっと会釈し、先生に挨拶する。

「その動真の姿が見えなくなったのはいつだ?」

 これには女中の根岸さんが答えた。

「具体的には分からないのですが、おそらくゑいか様が迎えに来られた頃までは子供部屋内にいらっしゃったかと」

「その根拠は?」

 時曽根先生が訊ねる。すると根岸さんは淡々と続けた。

「先程の、テーブルメイクに際してゑいか様がお子様たちを迎えにいらっしゃるまで、わたくしめは子供部屋の前にておりをしておりました。そこにゑいか様が来て、わたくしめはお役目御免となりましたが、現場を離れる直前まで、動真様のはしゃぐお声は部屋の外まで聞こえておりました」

「確かに動真の声だったのか」

 はい、と根岸さんは頷いた。

「動真様は特撮ヒーローがお好きで、よくそのキャラクターの必殺技を口にしていらっしゃいました。私の家にも動真様と同い年くらいの男の子がいまして、同じように特撮ヒーローが好きなので、その必殺技のことも聞き覚えがあり……」

「なら間違いないのか……」

 と、俯く先生。

「あの、直接見たわけではない?」

 僕は思わず口を挟んだ。こういう「姿だけ」とか「声だけ」というのはミステリー的にはトリックを仕込みやすいのでアンテナも高くなる。

 僕のような横から入ってきた知らない男にも、根岸さんは顔色一つ変えず答えた。

「いえ、ゑいか様が四人を連れて出た時も動真様の姿をちらりとですが見ております。静真様と動真様はそれぞれ青いシャツと赤いシャツをお召しになられております。私が去る直前、ドアから赤いシャツの男の子が出てきたのを見ています。顔をハッキリ見たわけではないので、『赤いシャツを着た他の子供だったのでは?』と訊かれると否定しづらいのですが……」

 ここで視線がゑいかさんに行く。

「これは私の記憶違いかもしれないんだけど……」

 と、彼女は困り果てた顔をした。

「私が子供たちを連れていった時は、赤いシャツの子なんていなかったと思うわ」

 ダメだなこりゃ……証言が食い違い過ぎて整理するだけでひと苦労だ。先生も同じことを思ったのか、目線を利喜弥さんに向けて訊ねた。

「瑠香を最後に見たのは?」

 どうも目標を動真くんから瑠香ちゃんに変えたらしい。

「瑠香は昨夜、登也と千花と一緒に寝たいって言って……」

 あの子たちは特別仲が良かったから、と里佳子さんがつぶやいた。彼女は続けた。

「子供用寝室で三人を寝かせたわ。思えばあの時静真くんがいなくなっていたんだから、もう危険だったのよね。無理にでも瑠香と一緒に寝ればよかった……」

「今朝、瑠香は見なかったのか」

 先生が訊ねると使用人の一人が答えた。

「利喜弥様も里佳子様も、静真様の捜索に出ましたから……瑠香様、登也様、千花様の三人は、使用人の塩谷しおや佐奈川さながわが起こしてから子供部屋へと連れていきました」

 名を呼ばれた使用人二人が前に出た。

「今朝八時半、三人の子供たちを子供用寝室から子供部屋に連れていき……それから、朝食のおにぎりもお運びしました」

「その時瑠香は?」

 先生の問いに二人は俯いた。

「すみません、子供の頭しか数えなかったので……」

「今朝、その子供の頭が三つあったのは間違いないんですね?」

 僕が訊ねると使用人二人は頷いた。

「それは確かです」

「中身が当の三人かどうかはともかく、子供が三人いたのは確か」

「ええ。おにぎりを三人分持っていって、全部綺麗になくなりましたから。子供用に作ったおにぎりでしたし、大人用のと混ざって数が分からなくなるなんてこともないです。確実に子供用のおにぎりが三つ、なくなりました」

「その時点までで行方不明になっていたのは……」

 死んでしまった静真くん。

 それだけ。彼だけだ。

 僕が言外に確認すると周りにいた大人たちは曖昧に頷いた。

「静真はもういませんでした。私必死に探した。動真は静真のことがあったから子供用寝室には行かせずひとまず夫の一照と一緒に寝かせました。それから夫は動真を寝かしつけた後起きてきて私と二人、夜通し静真を探して、それで今朝、大捜索となる前に夫が動真を起こして、あの子と静真は昨晩夕食のパンを残していたものですから、それを手早く食べさせて、それから子供部屋に連れていった……ところまでは証言できます」

 これは沙也加さん。

「昨夜、登也と千花は子供用寝室に行くまで見送りました」

 これは楓花さん。

「その時一緒に寝たという瑠香は?」

 先生に訊かれた楓花さんは首を傾げた。

「それが兄さん、私自分の子たちしか確認しなくて……」

 僕は状況を整理した。

「大人たちの目が瑠香さんから離れたのは昨日の夜。ここで行方不明になっている可能性はある」

 大人たちが頷く。

「しかし今朝の時点で、子供用寝室にいた子供の頭は三つ」

 使用人たちが頷いた。

「うーん」

 子供は、大人とは違う。

 例えば大人の人数が前後合わない、とかだと、誰かが変装するとか(一人二役をするとか)で人数を誤魔化すこと自体は訳ない。だが子供は違う。そう、大人が子供のフリをするようなことは、難しい。というか不可能だ。小さいものを大きく見せることは容易だが、大きいものを小さく見せるのには特殊なギミックがいる。そのギミックを誰かが用意して……となると、まぁ、できなくはないのだろうが、しかし、どうにも、手間だというか、そうまでして子供たちの数を誤魔化したい理由があるのかと……。

 と、考えて、思考を止める。

 遺産問題。

 例えば……それはそう、例えば、だが。

 まず初めに静真くんが消えた。静真くんの母親である沙也加さん目線、仮にこれが遺産目的の誘拐だったとして(実際には殺人だったわけだが)、怪しいのは利喜弥さんか楓花さんということになる。瑠香→静真→動真→登也→千花の順で相続権が発生するのだから、静真と動真が死んで得するのは相続権の強い瑠香の父である利喜弥、そして静真動真に後続する登也と千花の母である楓花さんだ。

 ところが沙也加さんはこれへの報復として登也と千花を殺しても旨みがない。単純に遺産という問題だけで考えると、双子の片方を失って得られなくなった遺産を補填するには、静真動真より先に相続権のある瑠香ちゃんを殺すより他ない。

 つまり瑠香ちゃんが行方不明になっている今、沙也加さんが遺産目当てで瑠香ちゃんをどこかに幽閉している可能性は大いにある。

 そして動真くん。

 彼の命を狙う理由がある人間はやはり静真くんの時と同様利喜弥さんと楓花さんだろう。静真動真が消えればその遺産は瑠香登也千花に来る。

 利喜弥、楓花のどちらかが……ないしは両方が沙也加さんを。

 沙也加さんが利喜弥さんを……そしていずれは楓花さんを。

 互いが互いを攻撃しているのだとしたら。

 利喜弥、沙也加、楓花。

 兄妹それぞれが、それぞれの相続する遺産を巡って子供の殺し合いをしているのだとしたら。

 街角で吐瀉物にたかる鼠を見た時のような、またその悪臭を嗅いだ時のような、醜悪で、嫌な気持ちになる。

 まぁ、それはさておき。

 目の前の問題を考えると。

 朝の時点では四人いた。

 沙也加さんの夫、一照さんが子供部屋に連れていった動真くん。

 そして子供用寝室で寝ていた瑠香ちゃん、登也くん、千花ちゃん。

 それが今、二人になっている。

「タイムテーブルに起こすか」

 僕がぽつりとつぶやくと、大人たちの目線が僕に集まった。しかし構わず僕はメモ帳を取り出した。

「静真くんが行方不明になったのは何時ですか?」

 沙也加さんが泣き腫らした顔を持ち上げる。

「昨晩九時です。使用人が八時くらいに子供たちをお風呂に入れてくれたのですが、帰ってきたのは動真だけでした。動真に静真のことを訊いても首を傾げるばかりで要領を得なくて、私不安で探し始めて……」

 僕が風呂に入ったのは十時くらい。あの時点で既に一時間以上経過していたのか。

「瑠香は八時半頃子供用寝室に行った」

 これは利喜弥さん。

「登也と千花が子供用寝室に行ったのは九時二十分くらい」

 楓花さんが続いた。僕は疑問を訊ねた。

「子供たちは子供用寝室で寝ることになっていたのですか?」

 このくらいの年頃の子はまだ親と離れて眠ることを怖がる子も多い。

 すると楓花さんが答えた。

「夕飯の席で瑠香と登也と千花が一緒に寝ようって言ってて……静真と動真はふにゃふにゃ返事していましたから真意は分かりませんけど、あの晩、子供たちは子供用寝室に行く流れにはなっていました」

 なるほど。僕は頷く。

「登也くんと千花ちゃんが子供用寝室に行った時、瑠香ちゃんは?」

 僕が訊くと楓花さんは一瞬黙った。それから、おずおずとこう話し始めた。

「さぁ、子供用寝室の入り口のところで登也と千花を送り出してしまったから……」

「それでも中に子供がいるかどうかは分かるでしょう?」

「子供用寝室、ちょっと造りが特殊なんです。部屋の中の子供たちを見ておくための、マジックミラーの待合室がありまして。寝室本体はその向こうにあるんです。私が登也と千花を送っていったのもその待合室までで……」

 あ、でも。楓花さんが手を打つ。

「子供用寝室、明かりはついていました。だから私、中に人がいるって思ったのかも」

 なるほど。

 ひとまず昨日までの状況をタイムテーブルに起こしてみる。


 八時:子供たち入浴

 八時半:瑠香、子供用寝室へ

 九時:静真行方不明

 九時二十分:登也、千花、子供用寝室へ


 さらに今日の動きだ。

「沙也加さん、一照さん、今朝動真くんを起こしたのは?」

 疲弊しきった夫婦は顔を見合わせる。

「さぁ……八時くらいでしょうか」

「子供部屋に連れていったのは?」

「それから三十分以内だと思います」

「で、八時半には子供を三人……瑠香、登也、千花を子供用寝室から子供部屋へ。同じタイミングでおにぎりも。これによりこの時点で子供が三人いたことは確か。厳密には内訳不明ですが、ひとまず

 使用人たちがこくこくと頷く。

「で、時間が飛んでお昼前、十二時くらい。さっきですね。まず根岸さんが部屋の中で遊ぶ動真くんの声を聴いていた」

「はい」根岸さんが頷く。

「ゑいかさんがお昼ご飯のために子供たちを迎えに来た。この時点では四人いた」

 ゑいかさんが頷く。

「で、それからすぐ、ゑいかさんが階段で『一人足りない』ことに気づく」

「はい」

「子供部屋に引き返したが誰もいない」

「ええ」

「で、今。食堂に来てみたらもう一人いなくなっていた」

 全員が頷く。

 ざっくり。


 八時:動真起床。朝食

 八時半:内訳不明三名起床。子供部屋にて朝食。時同じくして動真、子供部屋へ

 十二時:子供部屋外にて、室内で遊ぶ動真の声を聴いた根岸さん

 十二時過ぎ:ゑいかさん、四人を迎えに。途中階段にて「一人足りない」。そして食堂にて「もう一人足りない」。瑠香と動真、行方不明に


「うーん」

 ブラックボックスは昨日の夜から先程にかけての十二時間程度。ちょっと穴が大きすぎる。それも大人たちがやいのやいのと騒いでいたタイミングでの失踪だ。

 つぶさに見てみよう。

 瑠香ちゃんが確実にいたのは昨夜八時半まで。

 静真くんは同じく昨夜九時まで。

 動真くんは今朝、沙也加夫妻が起こした時点まではいた。

 と、誰かの腹が鳴った。

 空腹である。

 朝からおにぎりしか食べていない。そしてこの喧噪。大人たちは屋敷中を駆けずり回った。そりゃ腹も減る。

 するとゑいかさんが……この場の長であるゑいかさんがパン、と手を叩いた。

 それから告げる。

「とりあえず、お昼を摂りましょう。考えるのはそれからです」

 かくして、不気味な気配の中の昼食、と相成った。

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