第10話 調査

 一労働も二労働もした後の談話室というのは妙に静かで、僕は今まで如何に騒がしい空間にいたのかを思い知らされた。軽く頭痛がする。客室からタブレットPCを持ってきたとはいえ、今日は作業をやめておくか……そんなことを思いながら窓に近づき、外を見る。パソコンはカウンターテーブルの上に置くには置いた。窓ガラスは暖炉の熱で結露していた。僕はその白い幕を掌で擦ると、穴の向こうの景色を見た。

 専属の庭師がいるのか、それとも地元に根付いた造園業の人間が関与しているのか。窓の外に広がる芝生は綺麗に刈り込まれていて、本当に手入れの行き届いた庭だと思った。ただ今までと違うのは、遊び回る子供たちがいないということだった。彼らは今子供部屋とかいう部屋にまとめられて、その狭い世界でおもちゃ遊びを強いられているのだろう。かわいそう、とも取れるが、楽しそう、とも取れた。案外窮屈な世界の方が落ち着いたりするものだ。そう、押し入れみたいに。

 そんな風にぼやぼやしていると、談話室のドアが開いた。どうせ時曽根先生だろうと思っていたら、やはり時曽根先生だった。先生は煙草の箱を手の中で弄んでいた。

「朝から悪かったな」

 別に先生が悪いわけでもないのに謝ってくる。

「いえ」

 短くそう応じた。

「お前煙草嫌いだったよな」

「でも先生吸いたいんでしょう」

「まぁな」

「どうぞ」

「じゃあ失敬して」

 先生は煙草に火をつける。こんな豪邸の中、普通なら禁煙だろうに、実家だから吸いたい放題だ。

 先生が今どんな銘柄の煙草を吸っているのか知らないが、僕が高校生の頃と変わらないなら……そして今鼻孔をくすぐるこの甘ったるい匂いなら、おそらくピースだ。先生は煙と共に深い息を吐くと僕に話しかけてきた。

「静真が死んだな」

 そんなことは言われなくても知っているが。

 僕は応じる。

「ええ」

「遺産の二十パーセントが流れた」

 なるほど。そうとも取れる。

「沙也加の家はもらえる遺産が半分になった」

「まぁ、厳密には『管理できる遺産』ですけどね」

「だな」

 先生はもう一口煙草を吸った。

「お前どう思う?」

「どうとは?」率直に訊き返す。

「お前一応『先生』じゃん? それも推理作家」

「変なところで変なものを買われても困るんですが」

 先生は煙草を咥えたまま笑った。

「まぁ、それもそうか」

 また、煙を吐く。

「いやまぁ、お前に意見を聞いたのはさ」

 先生は懐から携帯灰皿を取り出した。

「静真が見つかった、旧洗濯室」

「ええ」適当な相槌。

「あれ密室だったろ」

 適当な相槌は打てない。

 沈黙。

「推理作家のお前なら、ああいうの得意かなって」

「厳密には密室じゃないですよね」

 僕は一応、プロとしての見解を述べる。

「探すのに難儀したとはいえ、鍵はありましたし。外からアプローチができる」

「いや、その鍵なんだが」

 先生はまた煙を吐いた。

前川まえかわっていう使用人が管理していたんだ」

 僕は記憶の中から鍵束を持ってきたあの背の高い中年男性を引っ張り出す。あの人が前川さんだろうか。

「前川は昨夜から夜番でな。一晩中宿直室にいた」

 ……何となく話が見えてきた。

「前川の部屋に旧洗濯室の鍵はあった。そして前川は昨夜宿直室にいた。自分の部屋に鍵をかけて、その鍵を自分で持って、な」

 旧洗濯室の鍵は、鍵のかかった前川さんの部屋の中に昨夜一晩中あった。そういうことらしい。

「じゃあ前川さんが犯人ですね」

 今度こそ適当な相槌を打つ。

 しかし先生は深刻な顔のまま続ける。

「前川は西田にしだとコンビを組んで仕事をしていた。西田が前川のアリバイを立証できる」

「それは……」僕もため息をつく。「難儀ですね」

「だろ」

 先生はまだ残っている煙草を揉み消した。

 甘い匂いが一瞬、弱くなった気がした。

「地下室。窓はない」

「ええ」

「その真ん中に静真はいた」

「ええ」

「どうやって入れた?」

 僕は黙る。

 それから、思考を整理する意味も込めて、口を開く。

「部屋にあったものを確認しましょうか」

「ああ」

 先生も前向きなようである。

「まずコンテナみたいな、上部に口がある箱がありましたね。各辺一メートルくらいの立方体かな。それが……」

「最低でも三つ」先生が僕の言葉を引き取る。

「俺がこの家にいた頃の記憶で悪りぃが、洗濯物を入れておくコンテナが三台壊れていたような記憶がある。使われなくなったものが置かれるのにはぴったりだろ、あの部屋」

「ですね」

 僕はさらに記憶を辿る。

「シーツですかね、布の山が二つか三つ。静真くんの傍に一番大きな山があった。だからでしょうかね……あの子の死体が布切れか何かに見えたのは」

 先生は頷いた。

「あったな。あれも廃棄だ」

 旧洗濯室入って左手側にそれはあった。人の背よりも少し低い……首元くらいの高さまでうずたかく積まれた布の山。つるつるした素材だったので、ベッドのシーツか何かに使われていたものだろう。

「あれさぁ、昔飛び込んでみたことがあったんだが……」

 先生が懐かしそうに話し出す。

「まとまった布って結構固いんだよなぁ。布団の山だと思ってダイブしたら顔面強打した思い出」

「先生がこの家にいた頃からあったんですか」

 僕が訊くと先生は頷いた。

「ああ。昔、いくつかベッドのある部屋を潰してな。その時余ったシーツとかカバーとかの類があそこにまとめられていたんだ」

「それと洗濯籠らしい大きな籠がありましたね。何個あったかな……少なくとも三個以上」

「それは俺もかず分からねぇわ」

 先生は携帯灰皿を胸ポケットにしまいながら、静かに言葉を続けた。

「あとは、アイロン台があったな。あれは部屋に作り付けのものだから撤去できない」

「アイロンを繋ぐコードみたいなものも天井から垂れていましたね」

「ハンガーをかけるレールもあったな。くねくねと蛇みたいに続いてるやつ」

「まぁ、おおよそクリーニング屋にありそうな装備は一通りありましたよね」

「だな」

 先生は頷いた。

「これらの中に密室作成に使えそうなものは?」

 僕は首を傾げる。

「さぁ」

「おいおいプロだろ」

 先生がからかってくる。

「しっかりしろよ」

「そうやってヘラヘラしていられる内は真面目に考える必要ないですよ」

 と、先生は急に目元に影を落とした。

「ヘラヘラするしかねぇだろうに……」

 共感できた。だから僕は、先生の目線の先を追った。

 窓があった。そこには僕が擦って開けた結露の穴があり、その先には庭があった。誰かが積んだ落ち葉の山があって、芝生があって、そして、木の影が地面を引っかいていた。僕は告げた。

「調査しましょう」

 先生が顔を上げる。それから、返してきた。

「調査」

 僕は頷く。

「ええ。警察は?」

 念のために訊いておく。公務執行を妨害するわけにはいかない。

「隼峯村には駐在所しかなくてな」

 そうつぶやく先生の目には僅かに光が灯っている気がした。

「仮にこれが殺人なら、遠野警察署から人が来るだろう。少し時間がかかるはずだ……まぁ、遅くとも今夜には着くだろうがな」

「じゃ、それまで当事者として調査してみましょう」

 僕はカウンターテーブルの方に行くと広げかけていたタブレットPCを畳んだ。

「現場を荒らさない程度に。旧洗濯室の中に入らなければ大丈夫でしょう」

「現場に入らないで調査するって言ってんのか?」

 先生の怪訝そうな顔に僕は返した。

「ええ。そういう問題、数学にもあるでしょ」

 高校時代、先生は数学の担当だった。



 地下室にやってくると、さっきは気にならなかった空気の湿っぽさが鼻を突いた。かびたような匂いもする。まぁ、地下室らしいといえば地下室らしい。

「ルームツアーやればいいか?」

 先生が茶化してきたので僕も応じた。

「ぜひ」

「OK、まずは地下ホールだ」

 先生が手近にあった大きなドアを開ける。

 念のために記しておくと、地下の設備は下りてきた階段手前から地下ホール、洗濯室、旧洗濯室、食料備蓄庫、地下牢の順番で並んでいた。屋敷の禁忌である地下牢が一番奥にある造りである。そして、今いるのは地下ホール。僕が捕まえた書生さんが「何に使われていたものか分からないが、たまに使用人同士のレクリエーション会が開かれる」と言っていた場所だ。

 しかし先生によって、その「何に使われていたのか」の一部が明らかになる。

「一説によると聖堂らしい。イギリス人が建てた屋敷だからな。ここで礼拝をしていたのではないかと言われている。真相は当時この屋敷を買ったご先祖様に訊くしかないがな」

 かちりと明かりのボタンを押す先生。書生さんが言っていた通り、強烈な水銀灯が室内を照らす。ちょっとした市民体育館くらいの規模があった……というか、窓がないことと観客席がないことを除けば市民体育館そのものだ。

「次」

 先生は歩き始める。

「洗濯室」

 うわあ、というのが正直な感想だった。

 巨大な洗濯機。ドラム式……と言えるのだろうか。口が斜めについている。これが例えば、軍艦の上に乗っていたら「ミサイルを発射するんですね」と納得できるほどゴツい。そんなのが九台。そしてその脇にはくねくねとカーブが続くレールが二本。フックが大量にあることから洗濯機から取り出したものをここでハンガーに吊るすのだろう。そのレールがずーっと奥に続いている。

「このレールはそのまま地上のテラスに繋がっている」

 よく見てみるとレールの先の壁に穴があり、そこからは機械の内側らしき様々なパーツや、レールに接続している滑車が見える。

「レールの脇にある大きな鉄の箱は何ですか? 倒れているのと直立しているのとありますが」

 僕が見ていたのはハンガーを吊るすレールより手前側にある、将棋の駒を逆さにしたような形の足下が尖った箱だった。五台ほど並んでおり、横向きに倒れているものもある。

「ありゃ洗濯籠みたいなもんだな。ほら……」

 と、先生が頭上を示す。

「ランドリーシューターの繋がる穴があるんだよ」

 先生の言う通り、天井には穴があった。ようやく僕は合点がいった。

「シューターから落ちてきた洗濯物が、一定量溜まるとあの箱が横転するんですね」

「そ。そんであの大きな洗濯機の足下に積まれていく。ほら、旧洗濯室に三つの使われなくなったコンテナあるだろ。あれの最新型というか、ちょっと便利になったやつだよ。まぁ、この洗濯室の設備自体は旧洗濯室とそんなに差がないんだが、唯一の変更点を挙げるとしたらこの自動で横転するコンテナだわな」

 昔から変わんねぇなぁ、なんて先生がつぶやいた。屋敷の大掛かりなシステムを見て、当時の便利さでも思い出したのだろう。確かに、その辺の穴に放り込んでおけば翌日綺麗になって返ってくるなんてのは一般人じゃ経験し得ない。

「気になるんですが」

 僕は授業中よろしく先生に挙手をして質問をした。

「ランドリーシューターは新旧混線しないんですか?」

 先生が意外そうな顔をする。

「ああ、なるほどな。そりゃ洗濯室が新旧別れてたら気になるわな。俺が聞きかじった話じゃあ、新設の時にほとんどのシューターは新洗濯室に繋がるようにしたらしい。何本か工事できなくて、旧洗濯室の方に繋がったままのやつはあったらしいけどな。まぁ、俺たち時曽根家含めこの屋敷に出入りの多い奴なら大抵どれがどこに繋がるか知ってるもんさ」

「へえ」

 先生はご存知なんですか? と訊くとごほんと咳払いされてお茶を濁された。まぁ、空白期間があるからな。

 先生は説明を続ける。

「ほんで壁から飛び出ているあれがアイロン台。アイロンは天井からぶら下がってるコードの先にある鉄の塊」

 天上には無数のコードが張り巡らされており、ランドリーシューターの穴を避けるようにして配線されていた。そのコードの先には雫のような形をしたアイロン。アイロン台は壁に畳み込める形式のようで、台が飛び出ているところには壁にその形の凹みがあった。

「洗濯室はこんなもんかな」

 先生がまた歩き出す。

「次、食料備蓄庫」

 入り口のドアを開け照明をつけると、いきなり目に飛び込んできたのは大量かつ背の高い棚だった。すごい。天井までずっと並んでいる。まるでIKEAに来たみたいだ。

 棚の一段一段には段ボール箱。側面を見てみると電子レンジで温めれば食べられるご飯だったり、お湯を注げば食べられるスープだったり、乾パンだったり、缶詰だったり。箱の一つ一つにラベルが貼られ、いつ頃からこの倉庫にありいつまで持つのかも徹底的に管理されているようだ。

 入り口の正面、部屋の向こう側の壁には小さな口があった。シャッターで閉められている。その横にはランプ。点灯している。あれは何だ。

「ああ、ありゃエレベーターだ」

 僕の目線を追って先生が応えてくれる。

「一階から屋根裏まで各フロアに出口がある。備蓄庫から物を運ぶのも入れるのも大変だからな。エレベーターで出し入れしちまえって算段だ」

 なるほど。ランプがついているのは、今このフロアにリフトがあるということだろうか。

「災害時なんて電気も止まってしまいそうなものですが……」

 と、僕がつぶやくと先生は返してきた。

「半年に一回やり取りしてる姉さんの手紙にあったんだが、この屋敷は最近太陽光発電装置を取り入れたらしい。自家発電で屋敷内の電気がまかなわれているんだとか」

 へぇ。

「何だかんだ現代的な設備も取り入れてるんですね」

「金はあるからな」

 この発言でいやらしくならないのがすごい。

「次」

 先生がまた歩き出した。

「旧洗濯室。これは省略」

「はい」

 まぁ、大体新洗濯室にあるような設備があるのだろう。

「最後。地下牢」

 先生が心底不快そうな顔をする。

「ガキの頃からずっと、ここは怖い」

 地下室の廊下の先、地下牢の前にある一帯は照明が落ちている関係で真っ暗だった。だが天上のソケットを見るに、そもそも蛍光灯を通していない。最初から明るくする気がないようだ。

 ある程度進んでいくと廊下がまるで廃病院みたいな暗さになる。暗闇に目が慣れるまで、待つ。すると見えてくる。

 格子。鉄でできている。それが示すのは明らかな閉塞だった。僕は一歩近づく。

「幽霊が出るって噂だぜ」

 くだらないが妙な迫力がある。

「まぁ俺は見たことねぇけど」

「この中何があるんですか」

 すると先生は答えた。

「一時期は備蓄庫の一部として使ってたみてぇだが、食料なんかじゃなくて殺鼠剤さっそざいやら農薬やら、薬品系をしまっていたらしい……っていうか、多分今もしまってあるんじゃないかな。処分したなんて話聞いたことないから」

「殺鼠剤」

 ミステリー作家としてこのワードには反応する。

「リン化亜鉛、硫酸タリウム」

 先生がこちらを見る。

「毒ですね。殺しに使えます」

 先生の顔が強張った気がした。

「鍵、しっかり管理させておくか」

 そんな声が暗い廊下に木霊する。

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