第6話 唄

「妙なこととは?」

 ミヨちゃんこと、女中のお美代さんに部屋まで案内してもらう道すがら、僕は訊ねた。彼女は黙って僕の前を歩き続けた。

「まぁ、余所者の僕には話しづらいでしょうが……」

 僕はダメ押しをしてみる。

「先生を動かせることができるとしたら、現状僕に頼るのが最善だと思いますよ」

 半ば脅しめいた追撃ではあったが、しかしお美代さんには効果的であった。しばらくお互い黙る。すると、お美代さんが返してきた。

「恵様には、ゑいか様がいらっしゃいますので」

 予想通りの返事に僕は口元が緩んだ。

「そのゑいかさんは今、お父様の一件でお忙しいのでしょう?」

 お美代さんはまた黙った。僕はさらに追撃した。

「時曽根先生はこの家に帰るに当たって僕を頼ってきました」

 必要以上は言わない。これが僕の攻め方である。沈黙は何より脅威なのだ。想像力が染み込むから。言葉の尾が心を乱すから。

 すると効果があったのだろう。お美代さんは次の角を曲がった後、不意にこちらを振り返るとこう告げてきた。

「めぐちゃんからどこまで聞いていますか?」

 めぐちゃん、とは先生のことだろう。やっぱり親しい間柄だったか。察するに、お美代さんのご両親が(あるいはそのどちらかが)この屋敷に住み込みで働いていた経歴があり、先生とお美代さんは幼い頃歳が近かったこともあって一緒に遊んだりした仲なのだろう。子供に主従関係はない。主人の子と従者の子が遊ぶことに何の違和感もない。

「先生のご兄妹の話までは聞いています」

 僕が素直に答えると、お美代さんはまた僕に背を向け前を歩き出し、しばらく黙っていると徐に話を続けた。

「時曽根家には莫大な資産がございます」

 見りゃ分かる。岩手の奥地とは言え、こんな立派な……東京ビッグサイトの一ホールくらいはありそうな屋敷を(見た目からの適当な解釈だが)持っているのだから。

「宗一郎様のご危篤に当たって、この家にはめぐちゃんを含めご兄妹が五人」

「話は伺っています」

 しかしお美代さんは僕に構わず続けた。

「遺産争いが起こり得ます」

 まぁ、そうでしょうな、という感想しか抱けない。

「このところ利喜弥様も沙也加様も楓花様も、わざわざ県外のご住居からお父様の様子を見に来たと言って屋敷中を回り、宗一郎様の遺書を探しています。どうしても宗一郎様の死の前に内容を知って、それによっては宗一郎様当人に働きかけて自身の家に最大限の利益が出るように動く……それを目的としているのでございます」

 よくある話だ。あまり外聞のいい話ではないが。しかし家の者が感じるくらいには残されたご兄妹の行動は露骨なのだろう。

「ゑいか様だけは、十年前に宗一郎様に呼び出されて帰郷されて以来ずっと、宗一郎様のご面倒を見ていらっしゃいましたから、遺産相続においては強く出られます。問題は二番手。誰がゑいか様の次に遺産を多く相続できるか……いえ、場合によってはゑいか様もお歳です。六十代で死ぬのは早すぎるとは言え、不自然というほどでもございません」

 ははぁ、なるほど。何となく見えてきた。

「誰もが宗一郎様の遺産を狙っていらっしゃいます。ゑいか様だって御身が危ない。そこに来て、ゑいか様の次に家督が高いめぐちゃんが……恵様が帰ってきたとあっては、もしものことが……」

「なるほどご心配は分かりました」

 僕はお美代さんの後ろを歩きながら頷いた。

「それで、このところ屋敷で起こる妙なこと、とは?」

 僕が訊ねると、お美代さんは一瞬迷うように言い淀んでから、しかしハッキリと続けた。

「色々あります……使われていないお部屋から誰かがはしゃぐ甲高い声が聞こえたり、誰もいないお庭で小さい子が走り回る声や音が聞こえたり、玄関で誰かの『こんにちは』という声がしたり……その声も、どうも子供の声みたいで、私怖くて……」

 この時僕は雷に打たれる。

 誰もいないところから子供の声。

 屋敷に潜む謎の、しかし子供と分かる気配。

 そしてこの、時曽根家の繁栄具合。

 さすが岩手だ……さすが岩手だ! 家の中にいる幼い影。そしてその家に起こる繁栄、隆盛。これこそ座敷童じゃないか! 僕が目当てにしていた日本の怪異、座敷童の影がこの屋敷にあるじゃないか……! 

「お美代さん」

 僕は目の前の女中を呼び止める。それから興奮を隠しながら続ける。

「この屋敷に書斎は……客人が本を読んでいいような、調べごとをしていいような部屋はありますか?」



 一旦、客室に行ってから、ということで。

 僕は僕が逗留する部屋に通された。大きなベッドにテーブルが一つ。ストーブが二つに、天井にはシャンデリア。テレビはないが、Wi-Fiはあるらしい。パスワードが書かれた紙が壁に貼ってあった。つまり最近も……少なくともネット環境の必要性が求められるくらいの時期に、客人がこの部屋を使ったことが想像できる。

「御用がある時は内線をお使いください。ベッドサイドテーブルの上に受話器がございます」

 目をやる。確かにそこにあった。

「お食事はこの部屋にお持ちします。例外が発生した場合……例えば村で食べてくる、ですとか、ご主人様ご家族と一緒に食堂でお食べになる、ですとか、そのような場合は内線でご一報入れていただけますと幸いです」

「分かりました」

 僕は頷く。

「屋敷の見取り図をお渡しします」

 お美代さんはエプロンのポケットから小さな紙を一枚取り出した。

「この部屋から玄関までの通路を示してあります。この地図の通りに行けば最低限の御用は済むかと思いますが、例外が発生しましたら都度お知らせいただけますと幸いです」

「はい」

 僕は地図に目をやった。廊下と曲がり角とが簡易的に記された、手書きの地図を印刷機でコピーしたような代物だった。

「書斎についてですが……」

 と、お美代さんが僕のオーダーへの返答を口にする。

「お客様にこの家の私的な空間をお貸しすることはできません、ですが今いるこの部屋の近くに客室用談話室がございます。収蔵された書籍の数は少ないですが、調べ物をするには適当かと思います。道案内をいたしますので、お手数ですが道のりを覚えていただけますと……」

「分かりました」

 僕はもううずうずしていた。だがすぐに動き出そうとするお美代さんを止めると、カバンを床に置いて中からタブレットPCを取り出した。早速そこで作業ができるように……すぐさま執筆ができるように。

「小説家でして」

 何をしているんだ、という顔をするお美代さんに僕は説明した。

「今度この岩手の民俗学をテーマにした話を書く予定でしてね」

「それはそれは」

 お美代さんは穏やかに笑った。

「そういうことでしたら、きっと気に入るお部屋だと思います」

 そういうわけで、僕とお美代さんは客室を出た。

 お美代さんが僕の前を静かに歩く。いや、静かではあったが、それは廊下に敷かれたふかふかのカーペットが為す静けさだった。僕はふと、思い出す。ゑいかさんの滑るような、蛇が通った時ほども音を立てないあの静かな、足取りを。



「談話室でございます」

 お美代さんに連れられて曲がり角をいくつか曲がった先。

 大きな両開きのドア。その向こうに部屋はあった。

 大型冷蔵庫を三つくらい並べたような大きな暖炉。その前にキングサイズのベッドくらいはある立派なソファがあった。部屋の広さはバスケットコート一面くらいだろうか。やはりこの屋敷はどこまでも広い。部屋の隅には本棚と、いくつもの酒が並んだ棚が二つずつ。酒の並んだ棚の前にはカウンターテーブルもあるので、ここで一杯やることもできそうだ。暖炉に火を入れていないからとにかく寒かったが……すぐにお美代さんが薪を並べてマッチを擦った。途端にポッと、足元にオレンジ色の光が差す。

「夕食のご用意は七時を予定しておりますが、いかがなさいますか? この部屋で少しゆっくりしたいようでしたら、時間を遅らせることもできますが……」

「あ、いえ。時間の変更は必要ありません。七時ですね。それまでには部屋に戻るようにします」

「承知しました」

 するとお美代さんは静かに部屋の隅にある本棚を指差した。

「この部屋にある書籍はご自由に読んでいただいて構いません。執筆にお役に立つ本があるかは、わたくし把握しておりませんが……」

 僕はざっと本棚に並んだ背表紙を見る。『隼峯村百景』『隼峯村郷土史』『隼峯村地形図』『隼峯村民謡』……まぁ、使えるような使えないような。まったく希望がないわけではない。

「ありがとうございます。ここで少し執筆してみます」

 するとお美代さんは一度頭を下げた。それから、縋るような目になって、崩れた口調で僕に話してくる。

「恵様をお願いします。あの方、私の幼馴染なの……」

 どうも、僕が察した通りの間柄らしい。



 暖炉の火が大きくなるにつれ、談話室の空気も暖かくなってきた。部屋の隅、窓の近くはまだ冷えるが暖炉前のソファはむしろ暑いくらいだった。カウンターテーブルの辺りは寒暖ちょうどよく、僕は時折ため息をついて白くなるかどうか確認しながら執筆作業をした。執筆といっても浮かんだアイディアをマインドマップ式にまとめてみるだけで、肝心の小説自体はほとんど進めていなかったのだが。

 作業がひと段落ついたところで、僕は立ち上がって本棚の前に行き、背表紙を眺めた。適当な本を手に取る。

『隼峯村民謡』そうある本だった。

〈うえやあうえやあ〉〈ひき風ごり風〉〈はやぶさ音頭〉などなど、様々な民謡……というか村にまつわる音楽の全てか? がまとまっていた。古い紙にハンコで押したような小さな文字だからとにかく読みにくかったが……しかしある唄が僕の目に留まった。

 こんな唄だ。


 ひねりこ、ひねりこ、ひねりこやあ

 今宵のあかごは、ひねりでござる

 ひねりこ、ひねりこ、ひねりこやあ

 今宵のあかごは、ひねりでござる

 ひねりこ、ひねりこ、ひねりこやあ


 曲名を見てみる。


〈コナサセの唄〉


 コナサセ。

 怪異か……あるいは何かの現象、行為の名だろうか。

 コナサセ。

 ”粉„サセ、か。

 ”子„ナサセ、か。

 あるいは”子無さ„セ、か。

 最初のは風車に関係がありそうで、残り二つは出産に関わりそうだ。

 時曽根家は助産の家系。

 と、いうことは、これが怪異の名前ではない場合、おそらく助産行為の何かを指していることになる。

 コナサセ。

 僕は思案の渦に身を沈める……。

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