第5話 幕間①

 プロンテラ王立アカデミーの一角、造りだけは立派なもののやけに端っこへと建てられた棟に目指す部屋はあった。ノックはせず無言で扉を開ける。そんなことをしても、この部屋の主が返事もしないことはとうに分かっていた。

 目に飛び込んできたのは、書類の束、何に使うのかも分からない器具、毒草、薬草、死んでも素手では触れたくない色をした液体、異様にデカいズタ袋のようなもの。最後のズタ袋を足で小突くと、それは何事か呻いてから体を起こした。

「今日はまた一段と酷いですね、何日徹夜したんですか?」

「……5日目までは数えてた」

 起き上がったズタ袋には頭と手足があった。そしてズタ袋に見えたのは、この部屋の主が纏う薄汚れた白衣だった。彼女――驚くべきことに、この部屋の主は女性だった――シュネル・ファインバーグは机の上に散らばった瓶の中からかろうじてゴミの浮いていないものを探し出すと、ごくごくと喉を潤す。

「仕事の方はどうだい」

「あなたにも社交辞令が言えたんですね」

「下っ端の近衛兵から王室付きの警吏にねじ込んだのは私なんだから、仕事ぶりは気になるだろう」

「自分のためにやったことでしょうが」

「まぁ否定はしないよ」

 俺は携えてきた書類をシュネルへ手渡す。ぺらぺらとめくりながら部屋を歩き回る彼女を見ながら、長椅子に積まれた紙束をどけて空いたスペースに腰を下ろした。

「どこもかしこも……死体か、動いているだけの死人ばかりです。なぜ誰も真っ当に生きようとしない」

「君の故郷ほど恵まれている訳じゃないからねぇ。水と安全が無料なら少しは違うんだろうけれど」

 シュネルは戸棚の中身をかき回す。出てきたのは皿に載ったスポンジケーキらしき何かだった、奇跡的にカビは生えていない。

「君も食べる?」

「結構です。この部屋で何かを口にする気はありません」

「つれないねぇ」

 彼女はケーキをかじると、先ほどの飲み物で胃へと流し込む。見ているだけで胸がむかついてきたが、彼女は一切気にしていない様子だった。俺が提出した書類を読み終えると、机の上へと放り投げて俺に向き直った。

「読ませてもらったよ、君のレポート」

「レポートではなく供述調書です。……どうでした?」

「君、霊体型のモンスターと遭遇したことは?」

 それが調書とどう繋がるかは不明だが、彼女の話題が脈絡を失うのはいつものことだった。

「何度か。聖別された武器がないので逃げ回るしかできませんでしたが」

「ああいうタイプのモンスターは、どうやって生まれる?」

「大気中のマナに死人の残留思念が焼き付くんでしょう」

「そう。マナ、オド、オルゴン、プシュケー、東方のアマツ等では『気』とも言うらしいが、まぁ呼び方は何だっていい」

 教練所で教わった、モンスターに関する基礎知識だった。

 この世界にはマナと呼ばれる元素が偏在しており、人の意志に反応して作用する。しかしマナは人のためだけに存在するのではなく、時には人に仇なす者の手となり足となって牙を剥く。

「そういったモノに死者……死の直前の思念が転写されて脳と似た回路を形成し、新たな生命体となったものが我々のいう幽霊ゴーストだ。厄介なモンスターではあるが、不滅という訳ではない」

 説明しながらシュネルは立ち上がり、ごちゃごちゃと書き散らされていた黒板を乱雑に消す。そして脳の簡略図を新たに描くと、その一部に矢印を描き入れた。

「我々は頭蓋骨の中、脳味噌の側頭葉にこのマナを制御する"思惟体"と呼ばれる器官を持っている。我々人間だけでなく、この世界に生きる生命ならほぼ全てだ。これを介してマナを制御することで魔術を発生させ、時には体術等に応用し一時的に爆発的な力を得る。教会のいう『奇蹟』がこのマナに依るものかはたまた神の御業によるものかは論を俟たないが、論争をするつもりはないからこの際は置いておこう。

 そして体の機能のほとんどをマナに依存している幽霊型のモンスターは、同じくマナによる攻撃が非常に有効だ。逆に言えばそれ以外の攻撃は非効果的――な・の・だ・が?」

 何が面白いのかシュネルはにんまりと笑いながら白墨を置き、再び紙束を手にする。

「イズルード聖堂の司祭が解呪しようとしたという、『黒い巻物〈スクロール〉』による呪い。この呪いには奇蹟が一切通用しなかった」

「……そう聞いています」

 俺の脳裏には、司祭と聖職者の亡骸が浮かんだ。通報を受けて同行した警吏は彼らの死に顔を見ただけで酷く取り乱し、未だに職場へ復帰できていない。

「話によると、巻物が元々あった……いや、異世界には、マナが存在しないらしいじゃないか」

 巻物。異物アーティファクト。こことは異なる世界から流れ着く、この世界の法則と乖離した存在。

 異物だけではなく、異世界からは人も流れ着く。たいていはモンスターに殺されるか、世界に馴染めず野垂れ死ぬか。もし運よく生き延びても、「世界に混乱を齎す」として幽閉され、死ぬまでこちらの世界に接触することはない。

 それでも、どこからか噂は漏れる。異世界がどのような国か、人々はどんな暮らしを送っているのか。異邦人たちの多くがいたという国の一つは、長年戦争を経験したこともない平和な国だ――そういう子供向けの物語も出版されて人気を博している。

 そしてこの世界と、異世界とを最も大きく隔てている噂が「マナが存在しない」ということだった。

「全く、こんな便利なものが存在しないのに異世界の人々はどうやって暮らしているのかねぇ」

 俺は何も答えずシュネルを見やった。彼女の指先に燐光が瞬く。どれだけ適性が低くとも、マナを操る素養はこの世界のすべての人間に備わっていた。

「だが、マナはなくともあの世界に霊体……それに類するものはいる。流れ着く異物たち、それに纏わる現象が明らかに似通っているのが証拠だ」

 黒い巻物も、白い家も。規模や殺傷力は異なるが、こちらの世界の霊体型のモンスターと通じるものが多少ある。最も異なるのは、その執拗なまでの残忍さだった。異物による霊障で命を落とす場合、凡そ真っ当な死に方はできない。

「不思議だよね。異世界にマナがないというのなら、向こうで幽霊がどうやって生まれたのか。どれほど強い念があれば、異物を生み出すことができるのか。一体どんな経験をすれば、それほどの強い念を生み出す……いや、生み出してしまうことになるのか」

「……顔」

「顔?」

「人死にも出ています。笑いながらする話ではないでしょう」

「おっと、これは失敬」

 シュネルは軽く頬を叩き、歪な笑みを浮かべた顔を正した。

「私はそろそろお暇します。次の仕事がありますので」

「次の案件は異物が絡んでないって話だろう? 大変だねぇ、任せるよ。えーと……」

 頭を指でつつき、口をもごもごとさせるシュネルを見てため息が出た。

「また俺の名前を忘れましたね」

「仕方ないだろう、君たちの国は名前が難しいんだよ。私の頭脳はこの国の至宝、そんなことに割く余裕はない」

「全く……」

「フカ君だっけ、それともワニ君?」

「どちらも違います。それわざと言ってません?」

 立ち上がると、体に結えてある装備がカチャカチャと音を立てた。扉のドアノブに指をかけ、退出する間際に振り返る。

鮫島サメジマです。次また忘れたら一度殴ってその至宝を叩き直しますからね」

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